イツハク・ラビン
イツハク・ラビン(猶:יצחק רבין)は、イスラエルの軍人・政治家。同国の6・11代目首相。1994年、「中東へ平和を築く努力」を理由にノーベル平和賞を受賞した。
生涯[編集]
第一期政権まで[編集]
1922年3月1日、イギリス委任統治領のパレスチナで生まれる。当初は農業学校に通っていたが、やがて軍人を志すようになり、1941年にハガナー(ユダヤ人自警団)に入隊。1947年の第一次中東戦争ではエルサレム防衛で戦果を挙げたほか、参謀総長として1967年の第三次中東戦争の大勝利に貢献した。退役後は外交官を務めていたものの、まもなく政治家へ転身。1973年にクネセト議員(労働党)に当選し、翌年にはゴルダ・メイアの辞任に伴いイスラエルの6代目首相に就任した。1期目ではエジプトを始めとするアラブ諸国との関係改善を模索する一方、エンテベ空港奇襲作戦(1976年)を成功に導き、テロリズムに対して断固たる態度を示した。しかし国内ではインフレや党内対立を抑えられず、妻の外銀不正口座スキャンダルが発覚したことで選挙に敗北し、1977年4月22日に辞任に追い込まれた。
オスロ合意[編集]
退陣後は国防相としてインティファーダの対処に当たっていたが、1992年に首相再任を果たした。1993年8月、ラビンはノルウェーのオスロでPLO議長のヤーセル・アラファトと会談。イスラエルはパレスチナ人の自治を認め、1948年以来続いていた両者の対立は解決に向けた第一歩を踏み出したかに思われた。ところが、リクードを始めとするイスラエル国内の右派勢力はオスロ合意に激しく反発し、激しい抗議デモを引き起こした。1995年11月4日、ラビンはテルアビブの王広場で極右のイスラエル人青年イガール・アミルに銃撃され、死亡した。享年73。葬儀にはビル・クリントン米大統領やホスニー・ムバーラク埃大統領が参列した。
関連項目[編集]