エジプト・アラブ共和国
エジプト・アラブ共和国(エジプト・アラブきょうわこく、アラビア語: جمهورية مصر العربية)、通称エジプトは、アフリカ大陸北東部およびシナイ半島を領有する共和制国家である。首都はカイロ。
国土の大部分はサハラ砂漠に属するが、ナイル川流域に古代より文明が栄え、世界史において重要な役割を果たしてきた。メソポタミア文明と並ぶ四大文明の一つであるエジプト文明発祥の地として知られる。
国名[編集]
正式名称はアラビア語で「ジュムフーリヤト・ミスル・アル=アラビーヤ」(جمهورية مصر العربية)である。これは「エジプトのアラブ共和国」を意味する。「エジプト」という語は、アラビア語の「ミスル」(مصر)に由来し、これはヘブライ語の「ミツライム」やアッカド語の「ミツィル」と関連があると考えられている。
歴史[編集]
エジプトの歴史は、紀元前3100年頃にナルメル王によって上エジプトと下エジプトが統一されたことに始まるとされている。以後、ファラオによる王朝が支配し、ピラミッドやスフィンクスなどの巨大な建造物が築かれた。
紀元前332年にアレクサンドロス大王によって征服され、プトレマイオス朝エジプトが成立。この王朝のもと、アレクサンドリアはヘレニズム文化の中心地として栄えた。
紀元前30年にローマ帝国の属州となり、その後東ローマ帝国の支配下に置かれた。7世紀にはアラブ人のエジプト征服によりイスラム化が進み、アラビア語が公用語となった。
オスマン帝国の支配を経て、19世紀にはムハンマド・アリー朝が成立し、近代化を推進した。1882年にイギリスの事実上の保護国となり、1922年にエジプト王国として独立を達成した。
1952年にエジプト革命が発生し、1953年に共和制が宣言され、エジプト共和国が成立した。ガマール・アブドゥル=ナーセル大統領のもと、汎アラブ主義の旗手として中東地域で大きな影響力を持った。1970年代にはアンワル・サダト大統領によるイスラエルとのキャンプ・デービッド合意が締結され、中東和平に貢献した。
2011年にはエジプト革命が起こり、長期政権であったホスニー・ムバーラク大統領が辞任した。その後、政治的混乱を経て、2014年にアブドルファッターフ・アッ=シーシーが大統領に就任し現在に至る。
地理[編集]
エジプトの国土は、北を地中海、東を紅海に面し、西はリビア、南はスーダンと国境を接している。東はガザ地区およびイスラエルと接する。
国土の約95%は砂漠地帯であり、居住可能な地域はナイル川の流域とデルタ地帯、およびいくつかのオアシスに限られる。ナイル川は、エジプトの生命線として古くから重要視されてきた。
気候は概ね砂漠気候であり、年間を通して乾燥している。夏季は非常に暑く、冬季は比較的温暖である。
政治[編集]
エジプトは半大統領制の共和制国家である。国家元首は大統領であり、軍の最高司令官も兼ねる。行政府の長は首相である。
立法府はエジプト代議院(一院制)であり、議員は国民による直接選挙で選出される。
経済[編集]
エジプト経済は、観光業、スエズ運河の通行料、石油・天然ガスなどの鉱業、および農業が主要な柱となっている。近年では、製造業やサービス業の育成にも力が入れられている。
観光業は、ギザのピラミッド、ルクソール神殿、アブシンベル神殿など、豊かな古代エジプトの遺跡群が国内外から多くの観光客を惹きつけている。
文化[編集]
エジプトは、その長い歴史と多様な文化的影響が融合した独特の文化を持つ。
アラビア語が公用語であり、アラブ文化圏に属するが、コプト教徒の存在など、古代エジプトやキリスト教文化の影響も色濃く残る。
食事では、ファラフェル、コシャリなどが国民食として親しまれている。エジプトコーヒーも有名である。
豆知識[編集]
- 古代エジプト人は、世界で初めて紙(パピルス)を発明し、象形文字(ヒエログリフ)を使って記録を残した。
- エジプトのギザのピラミッドは、世界の七不思議の中で唯一現存するものである。
- エジプトには、世界最古の大学の一つとされるアズハル大学がある。