錆取り列車

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錆取り列車(さびとりれっしゃ)[1]とは、レール表面に付着したを取り除くために走らせる列車のことである。サビ落とし列車[2][3]レール磨き列車とも呼ばれる。本来は事業用列車の一種であるが[4]、他の列車を用いることもある[5]

概要[編集]

電化路線に於いては、線路に錆が発生すると、架線から集電した電気をレールを通して返すことができなくなり、列車の運行が不可能になる場合がある。また、電化路線・非電化路線を問わず、自動信号機や自動踏切はレールと車輪を介した軌道回路によって作動するため、同様に、錆によって作動に支障を及ぼす場合がある[6]。このため、定期的にレールの錆を落とす目的で錆取り列車が運行される。

錆取り列車の例[編集]

錆取り列車は、定期的に列車が通過しない線区であっても、臨時列車が通る場合に備えて、1日1往復程度走行する場合がある。

例えば、2004年6月に休線となり、2009年3月に廃線となった関西本線貨物支線(阪和貨物線)では、阪和線における貨物列車の廃止により定期的に通過する列車はなくなっていたが、和歌山方面から奈良京都方面へ向かう団体専用列車や、南海電気鉄道向けの甲種輸送列車が通過することがあったため、117系電車などを用いて1日1往復、他の列車が通らない日は錆取り列車を走らせていた[1]

定期列車での「錆取り」[編集]

駅に定期的な緩急接続や通過待ちなどがなく通常使用しない発着線がある場合に、1日に1 - 2本ほど意図的にその発着線側のホームに列車を発着させる場合があるが、これも一種の錆取り列車といえる。これらの事例としては、

湖西線永原駅JR神戸線土山駅(土曜・休日ダイヤ)などのように、待避設定のない駅で待避線に列車を停車させる場合もある。

JR東日本でも、内房線千倉駅外房線安房小湊駅などのように、夜間滞泊を兼ねて錆取り列車を運転する駅がある。

ストライキ時における錆取り列車[編集]

1975年11月26日から12月3日まで続いた公共企業体等労働組合協議会(公労協)によるスト権ストでは、当時の国鉄組合である国労動労がストライキに参加したため、全国規模で国電など多くの電車、列車がストライキ決行中運休になった。しかし、スト解除後の運転再開に備えて、錆取り列車は運転されていた。スト解除後には、運転再開に備えるため錆取り列車が先だって運転された[3]

出典[編集]

  1. a b 平藤清刀 (2022年8月8日). “かつて旅客列車も走った貨物線跡は、歩き鉄の人気スポットに…JR「阪和貨物線」の今”. 神戸新聞. 2025年2月24日確認。
  2. 『日本国有鉄道民営化に至る15年』 運輸政策研究機構、成山堂書店2000年、92頁。
  3. a b 有賀宗吉「略年表―総評から連合へ―」、『汎交通』第91巻第8号、日本交通協会、1991年、 39頁。
  4. 例:伊原薫「~九州三池 三井化学専用鉄道をたどる~炭鉱列車が刻んだ歴史」、『鉄道ダイヤ情報』第50巻第3号、交通新聞社2021年、 34頁。
  5. 例:徳田耕一 「[ここに注目] 豊田線を初めて走った電車は”古豪”800形だった」『名古屋鉄道 今昔 - 不死鳥「パノラマカー」の功績』 交通新聞社2017年
  6. 深谷研二 「潮風と錆」『江ノ電 10kmの奇跡』 東洋経済新報社2015年