百年戦争
百年戦争(英:Hundred Years' War、仏: Guerre de Cent Ans)とは、1339年(1337年)から1453年にかけて行われたイングランドの諸王家とヴァロワ家のフランス王位継承戦争である。
背景[編集]
イングランド国王は形式上フランス国王の家臣であったが、両者は仲が悪く領土を巡る戦争を繰り返していた。特に12世紀半ばにプランタジネット朝が成立してからは争いが激しさを増したが、カペー朝のフィリップ2世がイングランドの大陸領土の大半を奪って以降、フランスの優勢が続いていた。しかし、14世紀前半にルイ10世・フィリップ5世・シャルル4世が後継を残さず相次いで死去したことでカペー朝は断絶してしまう。
このためヴァロワ家のフィリップ(フィリップ6世)が新たな王に選出され、ヴァロワ朝が成立した。これに対し毛織物業が盛んなフランドル地方を狙うイングランド王のエドワード3世は、母イザベラがフランス王女であることから自身の仏王位継承権を主張。両者の戦争が始まった。
展開[編集]
イングランドの快進撃[編集]
フランスは1340年6月のスロイスの海戦で初っ端から大敗北を喫し、フランス艦隊は壊滅してしまう。他方、陸上では善戦し、一進一退の攻防が続いていた。しかし、1346年7月のクレシーの戦いで倍以上の兵力差があったにも関わらずフランス軍は完敗、イングランドに完全に主導権を奪われた。その後もフランスは連戦連敗だったが、黒死病の流行により1351年に両軍は一時休戦する。
フィリップ6世は1350年8月に崩御したため、同年9月にジャン2世が新たにフランス王に即位した。失地回復に燃えるジャン2世はノルマンディーへ親征を行うが、1356年のポワティエの戦いでエドワード黒太子相手に大敗し、王自らが捕虜となってしまった。
フランスの反撃[編集]
散々なフランスだったが、ジャン2世の子であるシャルル5世が実権を握ると風向きが変わる。シャルル5世は税制強化による財政健全化と軍隊の改革に努め、崩壊寸前だったフランスの建て直しに成功。1360年代前半に戦争が再開されると、イングランドとその同盟国ナバラに奪われていた領土を次々と奪回した。
なお、この頃エドワード黒太子は病気で療養しており、国王エドワード3世は愛妾に夢中で政治への関心を失っていたため、イングランドはまともに対応できなかった。
両国の混乱[編集]
1377年、新たなイングランド王にリチャード2世が即位した。リチャード2世は悪政を敷いたうえにフランスと不利な条件で和平を結んだため貴族の反発を招き、従兄弟のダービー伯(ヘンリー4世)にクーデタを起こされ廃位されてしまう。しかし、今度はリチャード2世派の貴族たちがヘンリー4世の王位継承に反発し次々と反乱を起こしたため、イングランドは不安定な状態となった。
フランスでも、シャルル5世の後を継いだシャルル6世が発狂してしまい、それを良いことに王妃イザボーが宮廷費で散財を繰り返したため国家情勢が不安定になる。
トロワ条約締結[編集]
1413年、ヘンリー4世が死去すると息子のヘンリー5世が即位。父とは対照的に拡大志向の彼はリチャード2世以来長らく休戦となっていたフランスとの戦いを再開した。イングランド軍は破竹の勢いで勝ち続け、1415年のアジャンクールの戦いで決定的な勝利を収めた。最終的にフランスは王都パリを含む北フランス一帯を奪われてしまった。1420年のトロワ条約でシャルル6世の王女カトリーヌとヘンリー5世が結婚し、その王子が次の英仏両王に即位することが決められた。
ジャンヌ・ダルクの登場とフランスの勝利[編集]
1422年にヘンリー5世・シャルル6世が相次いで死亡したため、条約に基づいて1歳にも満たないヘンリー5世の息子ヘンリーがヘンリー6世として英仏両王に戴冠された。しかし、これに反発したのが王位継承権を奪われたシャルル6世の王太子シャルルである。
イングランドはシャルルを討伐するため同じく王位を争っていたブルゴーニュ公と結び、1428年に王太子の本拠地オルレアンの包囲を開始した。絶体絶命に思われたシャルルだったが、翌1429年、神の声を聞いたという農民の娘ジャンヌ・ダルクが現れる。彼女の指揮のもと王太子軍はオルレアンの解放に成功し、これに勢いづいて各地で勝利を収めた。また、同年に王太子はノートルダム大聖堂で戴冠式を行いシャルル7世としてフランス王に即位した。
その後ジャンヌはイングランド側に捕らえられ魔女として処刑されるが、シャルル7世は1435年にブルゴーニュ公と和解、さらに翌年にパリの奪還を果たした。その後両軍の間では和睦と小競り合いが続くが、1450年のフォルミニーの戦いでシャルル7世はイングランドからノルマンディーを奪還し、1453年のカスティヨンの戦いで決定的勝利を収めた。大敗したイングランドはカレーを除く大陸領土から撤兵し、120年にわたる戦争に終止符を打つこととなった。
戦後[編集]
フランスではシャルル7世、そして跡を継ぐルイ11世の元で復興と中央集権化が進めれられ、ヨーロッパの大国の地位を揺るぎないものにした。
一方、敗れたイングランドではヘンリー6世が敗北のショックから精神崩壊してしまい、これに漬け込んでヨーク家が王位簒奪を画策し薔薇戦争が勃発する。