ジャン2世 (フランス王)
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ジャン2世(英:Jean II)とは、フランス・ヴァロワ朝の2代目国王。渾名は善良王。なお、ここでいう「善良」とは「お人好し」のニュアンスで褒めている訳ではない。
生涯[編集]
1319年4月16日、ヴァロワ伯フィリップ(後のフィリップ6世)とジャンヌ・ド・ブルゴーニュ(フィリップ5世王妃とは別人)の長男として生まれる。1328年、父が仏王に選出されたことによりフランス王太子となる。1350年、父王の崩御によりフランス王に即位し、ジャン2世を名乗る。
当時のフランスは先代に始まったイングランドと百年戦争の真っ只中で、ジャンも不利な戦況を覆すため英王エドワード3世と争う。1356年、ジャンは食糧不足などに悩まされてアキテーヌに撤退中のエドワード黒太子率いるイングランド軍への追撃を開始し、フランス軍がポワティエで追いついたことでポワティエの戦いが勃発した。
この戦闘でフランス軍はまたしても大敗し、国王ジャン2世はイギリス軍の包囲から逃げ遅れて捕虜となり、ロンドンに連行した。このため、長男の王太子シャルルが急遽摂政の座につきフランスの指揮をとった。エドワード3世はジャンの身代金として金貨300万枚を要求したが、結局全額は支払われず、1360年の休戦条約締結時に次男ルイを人質として解放された。しかし、1363年にルイが脱走し、国王としての責任を感じて自らイングランドに渡り虜囚の身となった。1364年4月8日にそのままロンドンで崩御。享年44。王太子シャルルがシャルル5世として即位した。