エドワード黒太子
ナビゲーションに移動
検索に移動
エドワード黒太子( - こくたいし、英:Edward the Black Prince)とは、イングランドの王太子、軍人。
1330年6月15日に生まれる。父はイングランド王エドワード3世、母は王妃フィリッパ・オブ・エノー。1337年に百年戦争が勃発すると、若いながらも前線で指揮をとりフランス軍相手に多くの勝利を収めた。特に1356年のポワティエの戦いでは3倍近い兵力差のフランス軍を撃破し、国王ジャン2世を捕虜にする大戦果を挙げた。1362年、エドワード黒太子はフランスから獲得したアキテーヌの領主に封ぜられた。しかし政治の才能はイマイチだったようで、戦費調達のため重税を課し民衆の反感を買っている。1369年、暫く休戦になっていた百年戦争が再開される。エドワード黒太子はイングランド軍が劣勢な中リモージュを陥落させることに成功したが、この際住民3000人を虐殺したため名声は地に落ちた。既に赤痢を患っていた黒太子は1371年にイングランドに帰国。劣勢挽回のため内政改革を試みたが1376年6月8日に死去した。享年45。
エドワード黒太子は1361年に貴族の未亡人ジョーン・オブ・ケントと結婚し、男子リチャードをもうけていた。1377年にエドワード3世が崩御すると彼がリチャード2世として僅か10歳で新国王に即位した。