リチャード2世

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リチャード2世(英:Richard II)とは、イングランド・プランタジネット朝の8代目国王。

1367年1月6日エドワード黒太子と王太子妃ジョーン・オブ・ケントの次男として生まれる。なお、長男のエドワードは5年前に早逝していた。1376年に父が、1377年に祖父エドワード3世が相次いで崩御したため僅か10歳でイングランド王に戴冠された。幼い頃は叔父たちの評議会が権力を握っていた。1381年ワット・タイラーの乱が起こると14歳にも関わらず王自ら農民の指導者と会見するなど王の威信を見せた。1383年に親政を開始するが、百年戦争フランスと屈辱的な講和を結んだり、専制政治を行って貴族を弾圧したため国中でリチャード2世に対する反発が強まった。1399年、叔父のランカスター公が死去するとその土地と財産を全て没収し、その息子のヘンリー・ボリングブルックを永久追放に処した。怒り狂ったボリングブルックはアイルランドに親征している隙をついて反乱を起こした。リチャードの味方につくものは誰もおらず、反乱軍に降伏して逮捕された。1399年9月29日、議会でリチャード2世の廃位が決定され、翌日にはボリングブルックがヘンリー4世として新国王に即位した。リチャードはウェストヨークシャー州のポンテフラクト城に幽閉され、1400年2月14日に死去した。享年33。一説によると食事を与えられず餓死させられたという。