ヘンリー4世
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ヘンリー4世(英:Henry IV)とは、イングランド・ランカスター朝の初代国王。
1366年4月3日、ランカスター公ジョン・オブ・ゴーント(エドワード3世の4男)の長男として生まれる。彼はボリングブルック城で生まれたためヘンリー・ボリングブルックとも呼ばれる。当時のイングランドではヘンリーの従兄弟の国王リチャード2世が議会を無視して専制政治を行っており、父ランカスター公は反国王派の急先鋒だった。1399年2月3日に父が死去するとリチャード2世はヘンリーが相続するはずの領土を全て没収し、フランスのパリに追放された。しかし、リチャード2世がアイルランドに遠征した隙をついて反乱を起こし、イングランドに上陸した。有力諸侯は軒並みヘンリーの味方につき、戦意を喪失した王は呆気なく降伏した。1399年9月30日、議会はリチャード2世の廃位を決議し、ヘンリーが新国王に戴冠。リチャードは幽閉されたのち餓死されられた。これによりヘンリー2世が創始したプランタジネット朝は終焉を迎え、ランカスター朝が開かれることとなる。しかし、王位簒奪により即位したヘンリー4世の権威は弱く、治世を通じてリチャード派の貴族による反乱が頻発した。さらに、百年戦争中の対仏方針の違いをめぐって次男の王太子ヘンリーとの対立もあり、ヘンリー4世は疲弊していった。1413年3月20日、ウェストミンスター寺院にて礼拝中に発作を起こし崩御。享年46。人々はリチャード2世の呪いではないかと噂した。実際にヘンリーが発作を起こした時、部屋に飾られていたリチャードの肖像画が彼を睨みつけていたという。シェイクスピアの戯曲でも、ヘンリー4世はリチャードの呪いに怯える様子が描かれている。王位は王太子ヘンリー(→ヘンリー5世)が継いだ。