ヘンリー5世

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ヘンリー5世(英:Henry V)とは、イングランド・プランタジネット朝の2代目国王。

1380年代後半に生まれる。生年月日ははっきりしていない。父はヘンリー・ボリングブルック、母はハンフリー・ド・ブーン。1399年に父がクーデターでヘンリー4世として王位に就いたことで王太子となる。親子関係は良くなく、特にフランスとの関係を巡って父王と対立を繰り返した。しかし、継母のジョーン・オブ・ナヴァールが血の繋がっていない王太子ヘンリーのことを庇ってくれたため、反乱に発展することはなかったという。1413年にヘンリー4世が崩御したことでイングランド国王に即位し、ヘンリー5世を名乗る。ヘンリーはフランスに対する強行姿勢を明確にし、1415年に大陸への親征を開始。リチャード2世の在位時から休戦となっていた百年戦争が再開した。当時のフランス宮廷では国王シャルル6世が発狂したため権力争いが勃発しており、ヘンリー相手にまともな対策を練ることができなかった。10月25日にアジャンクールの戦いでフランス軍を撃破した。1417年までにパリを含む北フランスの大半を占領し、1420年に英仏の間で講和条約のトロワ条約を締結した。この条約により、シャルル6世の娘キャサリン・オブ・ヴァロワとヘンリー5世の結婚と、2人の子供が将来的に英仏両王に即位することが取り決められた。シェイクスピアの戯曲では、「私はフランスの敵を愛することはできないわ」と言うキャサリンに対し、「フランスは私のものなのだから私を愛したまえ」(意訳)とイキり倒す姿が描かれている。ところが、翌1422年8月31日、抵抗を続けるフランス王太子シャルルの討伐のための遠征中に急死した。30代中盤であった。キャサリンとの息子ヘンリーが生後9ヶ月で跡を継いだ。なお、彼はウィリアム1世以来のフランス語使用を取りやめ、公文書に英語を用いた最初の王である。