シャルル6世

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シャルル6世(英:Charles VI)とは、フランス・ヴァロワ朝の4代目国王。渾名は狂気王

生涯[編集]

1368年12月3日、フランス国王シャルル5世と王妃ジャンヌ・ド・ブルボンの子として誕生。2人は近親婚であり、これが後のシャルルの精神疾患の原因という説もある。1380年に父が崩御し、11歳でフランス国王に即位した。幼いシャルル6世は父王が登用した有能な家臣団に補佐されて統治を安定させ、市民からは親愛王と呼ばれた。

しかし1392年に事件が起こる。8月の朝、シャルル6世がブルターニュへの親征の途上でル・マンの森を通過中、突然1人の老人が現れ、王に裏切り者がいると警告した。シャルル6世はこれにひどく動揺した。そして正午に森を抜けた時、小姓が持っていた王の槍を落としてしまい大きな金属音が鳴り響いた。シャルルは裏切り者が出たと発狂し、味方の騎士に斬りかかった。これ以降彼は度々発狂するようになり、自分の体がガラスでできていると思い込んだり、裸で王宮内を徘徊することがあったという。1393年1月28日、ある女官の結婚式で貴族たちが焼死する事故(燃える人の舞踏会)が起こり、シャルルの精神は完全に崩壊した。

王妃イザボーは夫を見限り、宮廷費を使って散財した上にシャルル6世の従兄弟であるブルゴーニュ公ジャン1世と手を組み、政治の実権を握ろうと画策する。さらに、イングランドヘンリー5世がフランスに侵入し、アジャンクールの戦いでフランス軍は壊滅した。1420年英仏の間でトロワ条約が締結され、フランスは広大な領土を喪失。またシャルル6世の崩御後はシャルルの娘キャサリンとヘンリー5世の王子が英仏両王に即位することが取り決められた。シャルルとイザボーの五男の王太子シャルルはこれに反発したが、イザボーは王太子が不義の子であると言い出したため王位継承権を疑われた、南フランスに撤収した。

1422年10月21日に崩御。享年53。父シャルル5世の治世で一時的に百年戦争で巻き返したフランスだったが、彼の統治下で再び崩壊寸前に陥ることとなった。

関連項目[編集]