フィリップ2世 (フランス王)

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フィリップ2世(英:Philippe II)とは、カペー朝7代目のフランス国王。その業績からフランス史上最も偉大な王、尊厳王と呼ばれる。

誕生と即位[編集]

1165年8月21日、フランス王ルイ7世と3番目の妻アデル・ド・シャンパーニュの元に生まれる。父王にとって待望の男子の後継であり、幼い頃は非常に大切に育てられた。1180年にルイ7世が崩御したため僅か15歳で単独王として即位。フィリップはフランドル伯と結んで外戚であるシャンパーニュ伯のブロワ家を宮廷から追放した。しかし今度はシャンパーニュ伯が増強したため一応は家臣であるイングランド王ヘンリー2世の力を借りてこれを抑えた。怒ったシャンパーニュ伯はフランドル伯らと反乱を起こしたが、フィリップ2世に鎮圧された。

十字軍とリチャードとの決別[編集]

フランスを制したフィリップは、父ルイ7世と同じく離間策を以てアンジュー帝国の取り崩しにかかった。彼はヘンリー2世の三男リチャードを唆し父と敵対させた(一説では恋人関係にあったともされる)。1188年、ヘンリー2世はリチャードに対し、自身が溺愛する末子ジョンにダキテーヌを譲渡するよう迫った。激怒したリチャードは反乱を起こし、追い詰められたヘンリー2世は失意のうちに崩御した。

1189年サラディンから聖地エルサレムを奪還するために、イングランド王となったリチャード1世とフィリップ2世、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世が参加する第3回十字軍が組織された。しかし、道中でリチャードがフィリップ2世の異母姉アデルとの婚約を破棄したり、方針に相違が生じた(信心深いリチャードに対し、フィリップは合理主義的だった)結果2人は破局し、以降徹底的に争うこととなる。

イングランドとの争い[編集]

病気を理由に十字軍から途中離脱したフィリップはフランスに帰還すると直ちに離間策に取り掛かり、リチャードの弟ジョンを唆し王位を簒奪させた。また、この混乱に乗じてイングランドの大陸領土を掠め取った。しかし、これを知ったリチャードはサラディンと興和して兵を引き上げ、途中神聖ローマ皇帝に捕らえられながらも帰還。ジョンを屈服させてフランス軍を各地で破り、フィリップは占領した領土をほとんど失った。

しかし、1199年にリチャードは反乱鎮圧中に弓矢で負傷しその傷が元で死亡する。後を継いだジョンは暗愚な王で甥アーサーを殺害、教皇と叙任権問題で対立して破門、おまけに家臣の妻を略奪した。この家臣がフィリップにジョンの蛮行を訴え、フィリップはジョンに出廷を命じたが拒否されたためイングランド王の大陸領土を没収した。これによりイングランドとフランスの戦争が始まるがジョンは戦がド下手でフィリップの圧勝に終わった。

国をなんとか建て直したジョンは神聖ローマ皇帝オットー4世と同盟を結び、1214年南北からフランスへの挟撃を開始した。しかし、獅子王と称される王太子ルイ(後のルイ8世)に敗れ、ブーヴィーヌの戦いでフィリップ2世が神聖ローマ帝国軍を撃破したことで失敗に終わった。これらの戦争の結果パリオルレアン周辺のみだったフランス王領は大幅に拡大した。

尊厳王[編集]

1209年、ローマ教皇の求めに応じ南フランスを拠点に活動する異端カタリ派(アルビジョワ派)の討伐のため十字軍を派遣した。この事業は孫のルイ9世の時代まで続けられる。

1223年7月14日に崩御。享年57。後を王太子ルイが継いだ。

3人の妻[編集]

フィリップ2世には3人の妻がいた。

1人目は1180年に結婚したエノー伯の娘イザベル。彼女はフランク王国カロリング家の血筋を引いており、カペー家のフランス支配の正統性を高める重要な結婚だった。彼女は1187年に王太子ルイを産んだが、1190年に双子の王子を出産した際に死亡した。享年19。

2人目は1193年に結婚したデンマーク王女インゲボルグ。彼女は金色の髪を持つ美女だったが、フィリップ2世は初夜で勃たなかったらしく一方的に離婚を宣言した。

この後、1196年に3人目のバイエルンの貴族令嬢アニェスと結婚した。しかし教皇インノケンティウス3世はこれを認めずフィリップを破門した上、フランス全土に聖務停止命令を下した。これには流石のフィリップもたまらず1201年に表面上アニェスと別れた。彼は教皇を騙すつもりだったようだが、アニェスはフィリップ2世に捨てられたものと思い、悲しみの中難産で死亡した。

フィリップ2世はインゲボルグが彼女を呪い殺したと難癖をつけてインゲボルグを幽閉した。しかし、ジョンとの戦争でデンマークの海軍力が必要となったため1213年にインゲボルグを呼び戻して和解した。フィリップは罪滅ぼしとして彼女の持参金を全額返金し、崩御するまでインゲボルグを丁重に扱ったという。

関連項目[編集]