ルイ9世
ルイ9世(英:Louis IX)とは、カペー朝4代目のフランス国王。フランス国王として唯一列聖された人物でもある。
生涯[編集]
ルイ8世とブランシュ・ド・カスティーユの間に1214年4月25日に誕生。1226年に父が崩御したため12歳で即位した。まもなく祖父フィリップ2世と父に抑えられていた諸侯が反乱を起こすが、母ブランシュにより鎮圧された。信心深く過干渉な母の元で育ったルイはやがて敬虔な青年に成長した。
1229年にフィリップ2世の時代から続けられていたアルビジョワ十字軍が終結、南フランスへ王権を伸長させた。同年にはプロヴァンス伯の娘マルグリットと結婚するが、母ブランシュは姑の美しさと人気に嫉妬して彼女に嫌がらせをするようになり、嫁姑間の仲は険悪となった。ルイ夫妻はブランシュにバレないよう密会を重ね、最終的に11人の子供をもうけた。
1240年代中頃になるとルイ9世は母の干渉を排除し自立した政治を行うようになった。1248年、第7回十字軍を起しアイユーブ朝支配下のエジプトを攻撃するが大敗して王自らが捕虜になってしまった。さらに1253年には愛する母ブランシュが亡くなり、ルイは打ちのめされて数日間人前に姿を見せなかったという。1254年、莫大な身代金を払うことで解放され、何も得られずフランスに撤退した。それでも懲りずに1270年、家臣やマルグリットの猛反対を押し切って第8回十字軍を敢行。マムルーク朝支配下のチュニジアを攻撃したが、伝染病に罹患し陣中で崩御した。享年56。後を次男のフィリップ3世が継いだ。
ルイ9世は貧者に自ら施しを与え、修道院を各地に建設した。誠実な人柄で他国からも信頼され、争い事の調停を頼まれることもあった。彼の知世の中でフィリップ2世のような輝かしい勝利はなかったが、フランスのヨーロッパでの立場をより高めたことは確かだ。