ロベール2世 (フランス王)
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ロベール2世(英:Robert II)とは、フランスのカペー朝2代目の王。
生涯[編集]
972年、パリ伯にして後のフランス初代国王ユーグ・カペーの長男として生まれる。987年に父がフランス王に即位すると共同統治者として戴冠された。988年にフランドル伯の未亡人ロザーラと政略結婚させられるが、当時の彼女は少なくとも40歳は超えており、当時でも稀有な年の差婚だったため愛情は芽生えず、父ユーグが崩御すると速攻で離婚した。
続いてブロワ伯の未亡人のベルトと恋愛結婚したが、彼女とロベールは又従兄弟の関係だったため近親婚を禁じるローマ=カトリック教会は激怒し、教皇グレゴリウス5世によって必殺技破門に処された。さらに、ベルトとの間にも生まれた子供が奇形児だったためやむを得ず離婚することとなった(当時のキリスト教的価値観では、奇形児は背信行為に対する神罰だと考えられていた)。
三番目の妻はプロヴァンス伯の娘コンスタンスで、彼女との間にユーグ・アンリ・ロベール・ウードの4人の男子が産まれた。しかし、彼女は宮廷で常に傲慢に振る舞ったうえに些細なことですぐにヒステリーを起こす苛烈な性格だったため夫婦仲は最悪だった。ロベール2世は王領を拡大するため諸侯との戦争を繰り返しブルゴーニュなどの領土を征服するが、これにより多くの敵を国内外に作ってしまった。1030年、彼は次男アンリらに反乱を起こされ、避難先で熱病にかかり(?)死亡した。享年59。
ロベール2世は一応信心深い王で、宮殿に礼拝所を作ったり、ユダヤ人を強制改宗させようとしたため「敬虔王」とも呼ばれる。