フィリップ3世 (フランス王)

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フィリップ3世(英:Philippe III)とは、カペー朝10代目のフランス国王。大胆王とも呼ばれる。

1245年4月3日、フランス王ルイ9世と王妃マルグリット・ド・プロヴァンスの次男として誕生。聡明な長男ルイに対してフィリップは勇猛だが騙されやすい青年だった。1260年に兄が死亡したため王太子となった。1262年、アラゴン王女イザベルと結婚。彼女との間に後のフィリップ4世を含む5男が産まれた。1270年、第8回十字軍に参加するが父ルイ9世が疫病にかかって崩御した。フィリップは軍を率いてフランスに撤退するが、渡河中に妻イザベルが落馬しそれが原因で病死する悲劇に見舞われた。

帰国したフィリップは正式にフランス国王に即位しフィリップ3世を名乗る。母マルグリットや叔父シャルル・ダンジューの言いなりだったが、父ルイ9世の優れた統治を引き継いだため大きな政治的混乱はなかった。1274年にはブラバント公の娘マリーと再婚し1男2女をもうけたが、彼女は派手好きで自己主張が強いタイプだったため義母マルグリットらと対立し、前妻イザベルの息子が病死した際には毒殺の嫌疑をかけられたこともあった。

1282年、いわゆるシチリアの晩鐘事件により信頼する叔父シャルルがシチリア島をアラゴン家に奪われたためアラゴン王国と対立するようになり、1285年アラゴンと戦争になる。しかしフィリップ3世は敗北し、撤退中に赤痢で病死した。享年40。次の王に次男フィリップが即位した。なお、当時の慣習に基づき死体はバラされ、心臓肝臓などはそれぞれ別の場所に埋葬された。