フィリップ6世
フィリップ6世(仏:Philippe VI de Valois)とは、フランス・ヴァロワ朝の初代国王。渾名は幸運王。
仏王に即位[編集]
1293年11月17日、ヴァロワ伯シャルル(フィリップ3世の三男)の長男として誕生。1325年に父が死亡したためヴァロワ伯の位を継いだ。1328年、従兄弟のフランス国王シャルル4世が男子を残さず崩御し、カペー朝が断絶したため、貴族と聖職者の会議により彼が新たな王に選出された。ヴァロワ朝の始まりである。なお、フィリップ4世以来同君連合を組んでいたナバラ王位はルイ10世の王女ジャンヌが継いだ。
治世[編集]
即位したフィリップ6世はカッセルの戦いでフランドル伯領の反乱軍に勝利し、華々しい治世のスタートを切った。しかし1330年代に入るとイングランドとの対立が顕著になった。1336年、フィリップは対立していた貴族アルトワ伯ロベール3世の妻子を逮捕し、領地を没収した。ロベールはイングランドに亡命し、国王エドワード3世に助けを求めた。フィリップはエドワードにロベールの身柄の引き渡しを要求し、これが拒絶されると一応は臣下であるイングランド王の大陸領土の没収を宣言。これに反発したエドワードは自身の母(イザベラ・オブ・フランス)がフィリップ4世の王女であることを理由に自身のフランス王位継承権を主張してフランスに侵攻、こうして百年戦争が始まった。
百年戦争[編集]
1340年、フランス艦隊はスロイスの海戦で壊滅、制海権を失った。1346年、フィリップ3世は自ら軍を率いてイングランド軍の討伐に向かい、両軍は北部クレシーの地で激突した。フランス軍はイングランド軍の3〜4倍の兵力で、自慢の騎士軍団を突撃させた。しかし、イングランド軍のロングボウ射撃により次々となぎ倒され大敗を喫した。1347年には港町カレーを喪失し、黒死病も蔓延しだした。1350年8月22日、フィリップ6世はフランスが破滅していく中崩御した。享年56。長男のジャン2世が王位を継いだ。