虫プロダクション
虫プロダクション株式会社(むしプロダクション)は、東京都練馬区に本社を置くアニメ制作会社。通称は虫プロ。1961年に設立され、1973年に倒産した株式会社虫プロダクションは「旧虫プロダクション」(旧虫プロ)、1977年に旧虫プロの労働組合を母体に設立された虫プロダクション株式会社は「新虫プロダクション」(新虫プロ)と呼ばれる[1]。
旧虫プロ[編集]
1961年6月に手塚治虫がアニメーション制作のため手塚治虫プロダクション動画部を設立。1962年1月に虫プロダクションに改称[2]。設立メンバーは手塚、坂本雄作、山本暎一、広川和行、渡辺千賀子の5人。その後、紺野修司、杉井儀三郎(杉井ギサブロー)、石井元明、中村和子、林重行(りんたろう)ら東映動画のベテラン・アニメーターが加わり[3][4]、1962年12月に株式会社虫プロダクションとして法人化[2]。1962年11月に初作品として中編アニメ『ある街角の物語』を公開。1963年1月に日本初の30分テレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』がフジテレビ系列で放送開始[5]。1964年6月に出版部を新設[6]。1965年10月に日本初の本格的なカラーテレビアニメシリーズ『ジャングル大帝』がフジテレビ系列で放送開始[7]。1966年9月に版権部、出版部、営業部を分離して虫プロ商事株式会社を設立し[8]、漫画雑誌『COM』や単行本レーベル「虫コミックス」などを出版[6]。1968年1月に手塚が漫画制作のため手塚プロダクション(手塚プロ)を設立[9]。手塚プロは旧虫プロ倒産に前後してアニメーション制作を開始したが[10]、虫プロとは別会社である。1969年6月に最初の大人向け長編アニメ『千夜一夜物語』を公開。1960年代後半から経営が悪化[11]。1971年に経営悪化の責任をとって手塚が社長を辞任し、川畑栄一が社長に就任[12]。同時に映産労系の組合が結成された[13]。1973年8月22日に子会社の虫プロ商事が倒産、1973年11月1日に虫プロも倒産した[12]。
設立当初は手塚治虫原作の作品を制作していたが、のちに『わんぱく探偵団』(1968-1969年)、『アニマル1』(1968年)、『あしたのジョー』(1970-1971年)、『ムーミン』の第27話以降(1970年)、『アンデルセン物語』(1971年)など手塚原作以外の作品も制作した[11][14][15]。代表作にテレビアニメ『鉄腕アトム』(1963-1966年)、『ジャングル大帝』(1965-1966年)、『リボンの騎士』(1967-1968年)[11]、『どろろ』(1969年)、劇場アニメ『千夜一夜物語』(1969年)、『クレオパトラ』(1970年)、『哀しみのベラドンナ』(1973年)の「アニメラマ3部作」などがある。
戦後日本のアニメ業界のスタジオやスタッフの流れは東映動画系と虫プロ系の2つ[16][17]、もしくはこれにタツノコプロ系を加えた3つの潮流に大別することができる[18]。特徴として東映動画はフルアニメーション、虫プロはリミテッドアニメーションを流儀にしたと言われる[19]。ただし虫プロ設立に関わった者の多くは東映動画出身者であり、東映動画労組の活動を嫌って虫プロに移籍した者が多かった[20]。東映動画出身の虫プロのアニメーター・演出家には坂本雄作、紺野修司、杉井ギサブロー、りんたろう[19]、石井元明、中村和子[21]、杉山卓[22]、ひこねのりお、平田敏夫、月岡貞夫などがいる[19]。また東映動画もテレビ時代以降はいわゆる「リミテッドアニメ」が中心である[19]。
東映動画出身ではない虫プロ在籍のアニメーター・演出家には出﨑統、芦田豊雄、川尻善昭、高橋良輔、富野由悠季、安彦良和、吉川惣司[1]、荒木伸吾、杉野昭夫、金山明博[16]、木下蓮三[23]、北野英明、村野守美、真崎守、山本暎一などがいる[21]。虫プロ出身のプロデューサーには丸山正雄[1]、田代敦巳、岸本吉功[21]、野崎欣宏[24]、漫画家には永島慎二、文芸関係者には豊田有恒、鈴木良武、石津嵐などがいる[21]。
虫プロを源流とするスタジオにはアートフレッシュ、グループ・タック、マッドハウス、サンライズ[18]、オフィス・アカデミー[16]、京都アニメーションなどがある。グループ・タックは1969年に虫プロの音響監督だった田代敦巳、明田川進と杉井ギサブローが設立[25]。マッドハウスは1972年に出崎統、丸山正雄、おおだ靖夫、杉野昭夫、りんたろう、川尻善昭らが設立[26][27]。オフィス・アカデミーは1972年に虫プロ商事役員の西崎義展が設立。手塚作品原作のテレビアニメ『海のトリトン』(1972年)は、虫プロの経営悪化による混乱の中で西崎義展がアニメ化の権利を取得し、虫プロ商事にいたメンバーが中心となって設立したアニメーション・スタッフルーム(鈴木芳男主宰)と共同で製作した。
新虫プロ[編集]
1977年11月26日に旧虫プロ・虫プロ商事の労働組合が中心となり、虫プロダクション株式会社を設立[1][11][28]。『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『あしたのジョー』などの作品を旧虫プロから引き継いだが[29]、後に手塚治虫原作の作品は手塚プロに、『あしたのジョー』はトムス・エンタテインメント(旧東京ムービー)に版権が移管された[30]。1979年7月に新虫プロの初作品として長編アニメ『北極のムーシカ・ミーシカ』を公開[28]。
手塚治虫の未亡人が家賃1,148万7千円の返済と建物の明け渡しを求めて虫プロと同社の代表取締役を提訴していたことが『週刊新潮』2021年10月14日号で報道された[31]。同誌はさるアニメ業界関係者の話として、「手塚先生は『手塚プロダクション』という会社も設立していて、先生のアニメの版権はほとんどそちらが持っているので、虫プロの利益にはならない。オリジナルを作らなくては稼げませんが、旧虫プロ時代からのスタッフも高齢化し、3年前には再建時からの社長も亡くなった。近年は新作もほとんど作っていませんでした」としている[32]。2022年7月12日に東京地裁は虫プロに建物の明け渡しと未払いの賃料約1,148万の支払いを命じた。訴状によると、2019年5月以降、賃料が支払われず、人の出入りも確認できなくなった。延滞賃料を催促したところ、2020年11月に代表取締役から「再生プランを出したい。待ってほしい」と連絡があったが、状況は変わらなかったとしている[33]。
出典[編集]
- ↑ a b c d 第21回 手塚治虫さん(マンガ家・アニメーション制作者)その1 練馬アニメーションサイト
- ↑ a b 山口且訓、渡辺泰著、プラネット編『日本アニメーション映画史』有文社、1978年、159-160頁
- ↑ 常設展2「作家、手塚治虫」2 虫プロダクション 手塚治虫記念館
- ↑ 中川右介『アニメ大国建国紀 1963-1973――テレビアニメを築いた先駆者たち』集英社文庫、2023年
- ↑ TVアニメ50年史のための情報整理 第1回 1963年(昭和38年) TVアニメの時代が始まる WEBアニメスタイル、2012年6月4日。6月13日リスト修正。6月25日サブコラム修正。
- ↑ a b 山口且訓、渡辺泰著、プラネット編『日本アニメーション映画史』有文社、1978年、162頁
- ↑ TVアニメ50年史のための情報整理 第3回 1965年(昭和40年) 初のカラーTVシリーズ登場 WEBアニメスタイル、2012年6月18日。2012年6月25日サブコラム修正。
- ↑ 山本暎一『虫プロ興亡記――安仁明太の青春』新潮社、1989年
- ↑ 企業情報・沿革 手塚プロダクション
- ↑ デジタル大辞泉プラス 「手塚プロダクション」の解説 コトバンク
- ↑ a b c d デジタル大辞泉プラス 「虫プロダクション」の解説 コトバンク
- ↑ a b 山口且訓、渡辺泰著、プラネット編『日本アニメーション映画史』有文社、1978年、169-171頁
- ↑ 久美薫「訳者解説(PDF)」、トム・シート著、久美薫訳『ミッキーマウスのストライキ!――アメリカアニメ労働運動100年史』合同出版、2014年
- ↑ 関係者インタビュー 私と手塚治虫 小林準治編 第1回 古き良き、虫プロ時代 手塚治虫 TEZUKA OSAMU OFFICIAL、2020年3月30日
- ↑ 【氷川教授の「アニメに歴史あり」】第12回 「どろろ」と白黒アニメの終焉 : ニュース アニメハック、2019年2月4日
- ↑ a b c 小黒祐一郎「アニメ様の七転八倒 第67回 虫プロブームとマイナーだった宮崎アニメ」WEBアニメスタイル、2006年8月11日
- ↑ 自著 「アニメ作家としての手塚治虫」 津堅信之のアニメーション研究資料図書室、2008年5月21日
- ↑ a b 原口正宏「歴史編② アニメの3大源流とその系譜 ~東映・虫プロ・タツノコ〜(PDF)」文部科学省 平成24年度「成長分野等における中核的専門人材養成の戦略的推進事業」 アニメ・マンガ人材養成産官学連携事業/アニメ・マンガ人材養成産官学連携コンソーシアム/アニメ分野職域学習システム実証プロジェクト/カリキュラム検討委員会産業論部会、2013年3月
- ↑ a b c d 3DCG の夜明け 〜日本のフル CG アニメの未来を探る〜 第13回:月岡 貞夫 氏(アニメーション作家) AREA JAPAN、2016年9月16日
- ↑ まつもとあつし、津堅信之「アニメ業界は手塚治虫から何を学べるか? (5/5)」ASCII.jp、2011年9月28日
- ↑ a b c d 草川昭編著『アトムの子らは荒野をめざす――テレビ・アニメ20年史』立風書房、1981年、32-35頁
- ↑ 草川昭編著『アトムの子らは荒野をめざす――テレビ・アニメ20年史』立風書房、1981年、44頁
- ↑ JESPA編『やさしいアニメーションのはなし』蜻蛉舎、発売:文久書林、1978年、87頁
- ↑ 伸童舎の創業者・野崎欣宏が死去 「鉄腕アトム」「宇宙戦艦ヤマト」に参加 アニメ!アニメ!、2017年1月13日
- ↑ 【明田川進の「音物語」】第17回 田代敦巳氏の思い出(前編)グループ・タックの名前の由来" アニメハック、2018年11月28日
- ↑ 「杉野昭夫ロングインタビュー」『キネ旬ムック 動画王』Vol.7、1998年
- ↑ 第9回 丸山 正雄さん(プロデューサー)その1 練馬アニメーションサイト
- ↑ a b 虫プロ沿革 虫プロダクション
- ↑ 虫プロダクションごあいさつ 虫プロダクション
- ↑ 版権に関する注意事項 虫プロダクション
- ↑ 手塚治虫の未亡人が「虫プロ」を提訴 経営危機で家賃を2年間滞納 デイリー新潮、2021年10月16日
- ↑ 手塚治虫の未亡人が「虫プロ」を提訴 経営危機で家賃を2年間滞納(2ページ目) デイリー新潮、2021年10月16日
- ↑ 「虫プロ」に明け渡し命令 賃料未払い、東京地裁 産経新聞、2022年7月12日
関連文献[編集]
- 虫プロダクション資料集編集室編『虫プロダクション資料集 1962~1973 1』(虫プロダクション、1977年)
- 石津嵐『虫プロのサムライたち――アニメ風雲録』(双葉社、1980年)
- 石津嵐『秘密の手塚治虫――世界に通用する男の生き方』(太陽企画出版、1980年)
- 富野喜幸『だから僕は…――「ガンダム」への道』(徳間書店、1981年)
- 富野由悠季『だから僕は… 増補改訂版』(徳間書店[アニメージュ文庫]、1983年)
- 富野由悠季『だから僕は…――ガンダムへの道』(角川書店[角川スニーカー文庫]、2002年)
- 山本暎一『虫プロ興亡記――安仁明太の青春』(新潮社、1989年)
- 手塚プロダクション編『手塚治虫劇場――手塚治虫のアニメーションフィルモグラフィー』(手塚プロダクション、1991年、第2版1997年)
- 富野由悠季監修『富野由悠季全仕事』(キネマ旬報社[キネ旬ムック]、1999年)
- 豊田有恒『日本SFアニメ創世記――虫プロ、そしてTBS漫画ルーム』(TBSブリタニカ、2000年)
- 巽尚之『鉄腕アトムを救った男――手塚治虫と大阪商人『どついたれ』友情物語』(実業之日本社、2004年)
- うしおそうじ『手塚治虫とボク』(草思社、2007年)
- 津堅信之『アニメ作家としての手塚治虫――その軌跡と本質』(NTT出版、2007年)
- 柴山達雄、小林準治『誰も知らない手塚治虫――虫プロてんやわんや』(創樹社美術出版、2009年)
- 皆河有伽『小説 手塚学校――日本動画興亡史(1・2)』(講談社、2009年)
- 牧村康正、山田哲久『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男――西崎義展の狂気』(講談社、2015年/講談社+α文庫、2017年)
- 吉田豪『吉田豪の巨匠ハンター』(毎日新聞出版、2020年)
外部リンク[編集]
- 虫プロダクション株式会社
- 映像講座「練馬のアニメスタジオの遺伝子」 - 練馬アニメーションサイト
- 手塚治虫と虫プロダクション - 津堅信之のアニメーション研究資料図書室