公明党

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公明党
党首斉藤鉄夫
旗揚げ1964年11月17日
政治思想人間主義・中道主義
本部所在地東京都新宿区南元町17
公式サイト公明党

公明党(こうめいとう Komeito)とは、宗教法人創価学会を支持母体とし、基本理念は「生命・生活・生存を最大限に尊重する人間主義を貫き」人類の幸福追求を目的とする中道政党である。

かつては「福祉の党」や「平和の党」とも呼ばれていたが、近年は、自民党との連立政権による「日本国憲法の改正問題」で保守色が強まりトーンダウンしていた。

概要[編集]

設立は、1961年(昭和36年)に発足した公明政治連盟である。これを前身として創価学会の会長の池田大作の発意により、1964年(昭和39年11月17日東京都墨田区両国で公明党の結成大会が開かれた。「大衆福祉の公明党」などのスローガンが掲げられる。1967年(昭和42年)の第31回衆議院議員総選挙国会衆議院に初進出し、1969年(昭和44年)の第32回衆議院議員総選挙で第3党となる。

1993年(平成5年)7月の衆議院議員総選挙で自民党が過半数割れ政権交代し、自民党と日本共産党を除いた、ほとんどの野党が参加した「細川護熙連立政権」や「羽田孜連立政権」が成立した。公明党も初めて連立政権に参加した。

1994年(平成6年)12月に、日本共産党を除いたほとんどの野党が合流して新進党を結成した。公明党の議員のほとんどが新進党に参加した。元の公明党は少数政党となった。1997年(平成9年)12月に新進党が解党、旧公明党議員は「新党平和」(衆議院)と「黎明クラブ」(参議院)の所属となった。黎明クラブは結党後すぐに新党平和に合流し、新党平和は、その後、公明党に合流した。1998年(平成10年)11月に公明党が再び結成された。

選挙の時期に、創価学会員が友達や知り合いの人や学校時代の同級生などに公明党への投票依頼に来る場合がある。

極右政党日本第一党街宣活動によると公明党(創価学会)は、反日であり神社参拝してはいけないという決まりがあると発言。これは創価学会が信仰する日蓮仏法の教えに背く「謗法(ほうぼう)」に当たるとされているためである。近年の創価学会は「随方毘尼」(ずいほうびに)という「教義を柔軟に解釈する考え方」が進んでおり神社への参拝は緩和されている。

公明党本部は東京都新宿区の南元町にある。最寄りは信濃町駅。創価学会員かどうかに関係なく公明党の党員になることができる。

公明党の機関紙『公明新聞』がある。公称の発行部数は約80万部。党員数は約45万人。

中道政党[編集]

  • 公明党の政治的な立場は、基本的には中道政党である。

自民党との連立政権[編集]

一応「福祉の党」を主張するが1999年(平成11年)の自民党との連立政権以降(特に安倍晋三政権以降)は、自民党の言いなりで福祉政策を切り捨てているとして、創価学会の学会員でさえ池田大作(名誉会長)の考え方とは異なるとして、公明党の政策に不信感を持っている学会員が多く存在している[1]

連立政権離脱[編集]

近年は、自民党との連立政権で公明党は保守色が強まっていたが、自民党内でもっとも極右(思想)に位置する高市早苗が自民党総裁になったことで公明党員や学会員の間で不満が爆発し2025年(令和7年)10月10日に「外国人排外主義」や「歴史認識」や「裏金問題」などで政策的にズレが生じたために1999年(平成11年)から長らく続いた自民党との連立政権から離脱した。自民党は公明党の応援がなければ選挙で大幅に得票数が減るとされている。

中道改革連合の結成[編集]

他党との関係[編集]

批判的な意見[編集]

  • 近年では、公明党は政策的に「中華人民共和国(中国)寄り」という批判的な意見もある。

本部所在地[編集]

関連記事[編集]

  • 創価学会 - 日本で最大級の宗教団体。公明党の支持母体。

外部リンク[編集]

参考文献[編集]