佐藤彦五郎
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佐藤彦五郎(さとうひこごろう、1827年-1902年9月2日)は幕末の新選組の支援者で土方歳三の義兄である。近藤勇とも親しい。明治期の多摩地域の指導者である。
概要[編集]
日野宿の名主の佐藤半次郎とまさの長男として武蔵国多摩郡日野宿で1827年に生まれる。1845年に石田村の出身で土方歳三の姉の土方のぶ(婚姻前はとく)と結婚する。1850年に天然理心流3代目宗家近藤周助の弟子となる。1854年2月、極意皆伝となる。道場に近藤勇、土方歳三、沖田総司、山南敬助らが剣術指導に訪れていた。1878年、初代の南多摩郡長(郡行政を統括する役職)となる。1902年9月17日に没、享年76歳。
業績[編集]
1888年に高幡金剛寺(現高幡不動)に「両雄殉節の碑」の建立に尽力する。死後のことであるが、佐藤彦五郎の残した史料をもとに、2005年4月25日、日野宿本陣の南側に佐藤彦五郎新選組資料館が開設された。佐藤彦五郎の孫の佐藤仁が佐藤彦五郎などが語った逸話を曾孫の佐藤あきらが出版した『聞きがき新選組』がある[1]。
新選組写真[編集]
今も残る土方歳三の肖像写真は函館で新撰組隊士の市村鉄之助が土方歳三の命を受け、他の形見とともに日野宿の佐藤彦五郎に届けたものである。また近藤勇の肖像写真は、勇が彦五郎に直接手渡したものである。
参考文献[編集]
- ↑ 佐藤あきら(1972)『聞きがき新選組』KADOKAWA(新人物往来社)