ジュニアアイドル

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ジュニアアイドル[1]またはキッズアイドル[2]は、非常に若いグラビアアイドルである。通常15歳以下の者を指す[3]。セクシー女優出身のフリーライター・たかなし亜妖も、ジュニアアイドルの年齢層を「義務教育中の学生」としている[4]。年齢の下限については特に定義やコンセンサスはないが、9歳くらいからジュニアアイドルとして活動を開始するケースが多い。香月真理子によると4歳・5歳の幼女もジュニアアイドルとして活動している[5]。初版立項者の記憶では3歳の幼女のイメージDVDがリリースされたことがある。先述のように、ジュニアアイドルはグラビアアイドルなので、写真集やビデオ・DVDを主な活動領域としている。なかには歌手または女優を兼業するもの、歌手または女優になることを最終目標に据え、知名度を得る手段としてジュニアアイドルになった(と思われる)者もいる。2023年の報道でも、撮影会でファンを増やすことが夢への第一歩であるという関係者のコメントを伝えている[6]

おはガールてれび戦士、Eテレの料理講師など、グラビアを主軸としない者も広義のジュニアアイドルと言えよう。

同世代の若者のみならず、ロリ趣味の成人男性から支持を集める。なお、ジュニアアイドル隆盛の最大の原動力は、ファンのニーズではなくわが子に託す親の達成願望であるとする見方もある[3]

2022年現在、ジュニアアイドルと言えば事実上全部女性であるが、誰が見るのか男性ジュニアアイドルも少数存在する。初版立項者にショタ趣味はないので、以下特に断らない限り女性ジュニアアイドルについて記述する。

沿革[編集]

前史[編集]

戦前の映画・戦後のテレビドラマの撮影には子役も必要で、実際にいつの年代にも一定数の女性の子役がいた。しかし、彼女たちがジュニアアイドルと呼ばれることはなかった。子役は出演するのが仕事で、見せる(魅せる)のは二の次であった。もちろん番宣などの目的で雑誌に写真が掲載されることはあった。ちなみに、昭和32年の『少女』誌で松島トモ子(12)、由紀さおり(11)ら当時の人気子役の全裸を拝める[7]

1969年、12歳の梅原多絵をモデルとした『ニンフェット 12歳の神話』を嚆矢としてロリータヌード写真集がわが国でも出版されるようになる。1979年から1985年にかけての第1次ロリコンブーム(中:羅莉控熱潮)の時期にはおびただしい数の?ロリ本が出版されるに至った。これは1989年の東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件をきっかけに終息する。1994年から1999年にかけての第2次ロリコンブームの際も西村理香をはじめとする蕾たちが秘密の花園で人知れず開花した。これらの少女ヌードモデル(中:少女裸体模特)もジュニアアイドルと呼ばれることはなかった。一応日本国内で市場として成立していたが、職業的に見せる(魅せる)モデルばかりではなく、JCのアルバイトに近い感覚で活動する者もいた。また、東南アジアの蒼いパパイアを剥いたケースでは、本名や国籍などは秘匿したうえで日本人ということにして売り出したことも多い。こうなると大々的に宣伝する訳にもいかず、彼女たちのためにジュニアアイドルという単語を新たに作るという発想もなかったと思われる。

しかし、後にジュニアアイドル市場が成立する基盤のようなものはこの時期にすでにあった。そう、チャイドルである。安達祐実がブレイクすると、各事務所は「子供も商売になる」と食指を動かし始めた(北川昌弘の説)[8]。1994年、『家なき子』放送開始。なお、チャイドルという単語の文献初出は1996年3月に発売された『SPA!』で[9]、写真集『Namaiki』を売るために中森明夫によって作られた造語である[10]

この時期のロリータ雑誌として『Alice Club』『Sweet Lowteen』『Little Lips』『クラスメイトジュニア』『純粋美少女通信』『フィフティーンクラブ』『お嬢』『プチミルク』などが挙げられるが、このうち最後の3種では「15歳以下」という基本方針を早くから打ち立てていた。また、現在のジュニアアイドル(中:年少偶像)に近い概念を表す「ローティーン」という単語が使用されていた。ジュニアアイドルという日本語を作ったのはアイドル評論家の高倉文紀であるという資料もある[11]が、これは本当だろうか。下記『Jr.アイドル名鑑 ―小中学生子役・美少女タレント完全データブック』に高倉が関与しているが、ことによると本当かもしれない。高倉以外による使用は1998年の『週刊新潮』が調べた範囲で初出である。

  • 高倉文紀、小波堂、北川昌弘、T.P.ランキング 『Jr.アイドル名鑑 ―小中学生子役・美少女タレント完全データブック』 宙出版、1997年。ISBN 4-87287-926-0 - 奥付では「ジュニア・アイドル」となっている。この単語の文献初出か。このころは子役と見せる(魅せる)ジュニアアイドルはまだ未分化だった。
  • 高倉文紀・小波堂, 北川昌弘, 松井俊夫, 山下剛一, 渡辺水央 『Jr.アイドルperfect名鑑 ―小中学生子役・美少女タレント完全データブック』 小松克彦, オフィスK21、ティーツー出版、1999年。ISBN 4-88749-704-0
  • 「ホラー度満点映画「死国」の愛媛ロケ」、『週刊新潮』第43巻第45号、新潮社、1998年11月26日doi:10.11501/3379048ISSN 0488-7484 - ジュニア·アイドルという単語が出てくる
  • 竹中邦祐「CMアイドルに見る顔の変遷」、『月刊アドバタイジング』第44巻第7号、電通、1999年doi:10.11501/2262207 - ジュニアアイドルという現在の語形の文献初出

チャイドルブームを受けてこの時期、JS5-6, JCをメインターゲットに据えたファッション雑誌がいくつか創刊している。この頃は非常に若いファッションモデルも後のジュニアアイドルも未分化なところがあり、ファン層も重なっていた。これらのファッション雑誌をおかずにするマニアもいた。全盛期直前に見られた一時的なムーブメントである。

  • 『ピチレモン』(学研プラス、1986年4月 - 2015年10月)- 1999年2月リニューアル
  • 『CANDy』(白泉社、2000年1月 - 2006年3月)
  • 『ラブベリー』(徳間書店、2001年12月 - 2012年3月)
  • 『Hana*chu→』(主婦の友社、2003年5月 - 2011年5月)

1999年児ポ法の施行により18歳以下の裸は市場から姿を消す。お菓子系の草分けにして最大手の『Cream』誌も、一時はすべてのモデルを20歳以上としたほか、未成年を連想させる制服・体操服・スクール水着もヤバいのでは、と自主規制した[注釈 1]。なお、2000年頃まではチャイドルという単語が一般に使われていた。

全盛期[編集]

ところが、2001年頃より合法の範囲で蒼い果実の魅力を表現した写真集・DVDが増加する。それも、第1次ロリコンブームの時期に粗製乱造?された写真集のモデルなど比較にならないような美少女である。「脱がなくてよい」と分かっているので美少女たちが自らを見せる(魅せる)ことに対する障壁は低下したのだ。

  • 野下義光 『Pure Angel 2』 ソフトガレージ、2001年。ISBN 4-921068-63-1 - 背表紙に「ジュニア・アイドル」の文字列あり。
  • 『Daisy ―ジュニアアイドル100%制服マガジン』 ワイレア出版〈ミリオンムック〉、2002年。ISBN 4-8130-0649-3 - 「ジュニアアイドル」という現在の表記
  • 大嶺こず恵「キティちゃんを超えた少女ブランド」、『週刊エコノミスト』第80巻第39号、毎日新聞出版、2002年9月17日、 40-41頁、 ISSN 0013-0621 - ジュニアアイドルと言う単語について特に新語であると断っていない。この単語は2002年のうちに急速に普及したようだ。

会田我路によると、U15、それも無名の少女たちが露出するようになった背景には1990年代のヘアヌードバブルの崩壊があるのだという。行き詰まった出版社は打開策として無名の少女たちに着目した。売れているタレントでは肖像権の使用範囲について制約が大きく、契約するとコストがかかる。それならば…と会田が着目したのが無名の少女たちである。2次使用・3次使用も含めて肖像権を買い取れるので結果的に低コストとなる[12][注釈 2]

2004年前後には何種かの専門誌が創刊しており、ここから2015年頃までがジュニアアイドルの全盛期である。

  • 『ピュア☆ピュア』(辰巳出版、2000年4月 - 2010年5月)
  • 『memew』(近代映画社、2001年 - 2012年3月)- 全54号
  • 『清純系』(平和出版、2001年11月 - 2004年11月)- 非常に若いモデルを起用したグラビア雑誌。当時10歳の小池里奈が出演したこともある。
  • 『清純系 BEST』(平和出版、2002年12月 - 2004年?)
  • 『Chu→Boh』(海王社、後に楽楽出版を経て文友舎。2004年3月 - 刊行中) - JCに特化。星七虹心、大島優子桐村萌絵丸山知紗、山口ひかり、しほの涼、桐嵯梨、小川櫻子小林万桜、篠崎愛、市川美織、小池里奈、真野しずく、佐々木みゆう、橋本環奈など。
  • 『Sho→Boh』(海王社、2005年12月 - 2014年8月) - JSに特化。小池里奈、木村葉月、真野しずく、山中知恵など。
  • 『Jr.アイドルみるく倶楽部』(ヒット出版社、2004年7月1日 - ?)
  • 『Moecco』(マイウェイ出版、2006年2月 - 2021年12月)しほの涼、多田瑞穂、山中知恵など。全94号

2005年5月、泉明日香は写真集『Peach』をリリースしているが、これは業界内でも賛否両論あった。それまで、子供のモデルの写真は顔まで入れるのが「お約束」だったが、同書には体の一部[注釈 3]を拡大したカットも含まれる。香月真理子の取材によると、それまで別のカテゴリーに属していた成人グラドルのファンとジュニアアイドルのファンの間の垣根を取り払ったエポックメーキングな作品であるという[14][注釈 4]

2005年8月、泉明日香の『アイドル魂Jr. 泉明日香 part.1』が「Tバック中学生」として話題になる。当時新人だった泉が当初予定されていたモデル(18)の代打として現場に行ってみるとTバックがあり、「はいてみますか?」と言われたのがきっかけ。マネージャーをつとめる母・KOTOMIは、過激になりすぎないよう注意して制作にあたったとMBSの取材に答えているが、それでも泉らの過激な作品が売れるのを見た各メーカーは、いわゆる過激路線を踏襲した[16]。これについてKOTOMIは「娘がこの年齢でTバックを履くことに何の問題もありません」と語り、娘の体には未熟な少女だけが持つことができる「中性的でセックスレスの美しさ」があるともコメントした。「明日香の作品を買う人は誰でも、その作品でやりたいことを何でもする権利がある」とJapan Timesの取材に対し語った[17]

2006年には1年間で合計300万冊のジュニアアイドルの写真集が売れた[18]。初版で5000-6000冊、増版で2000冊程度売れたという報道もある[8]。タイトル当たり5500冊売れたと仮定して、単純計算で545タイトル。1日に1.5タイトル。はっきり言って異常だ。2007年1月1日に発行された『現代用語の基礎知識』がジュニアアイドルという言葉を見出し語として採録する。2006年までにはある程度広い範囲でこの言葉は使用されていたと窺われる。なお、同書ではジュニアアイドルを「チャイドルの新称、または15歳以下のアイドルの総称」と定義している[3]。この年に発行された週刊文春が、娘の皮を剥いて金に換えるバカ親を批判している[18]

なかには年齢を詐称してジュニアアイドルとして売り出した藤江まみのような例もある。要はジュニアアイドルは売れるということで、当時のブームの盛り上がりを象徴する出来事である。

2010年前後、当局の取り締まりが強化されるとそれまでのような過激な作品は鳴りを潜める。魚肉ソーセージに生クリームを塗り付けてパイズリ、ボディーシャンプーを白濁させ水鉄砲で顔面発射、手足を拘束して電マまたはくすぐりといった表現は大幅に減少する[4]。この頃にはジュニアアイドル専門誌の多くが廃刊となっており、2005年頃からしばらくの間続いたバブル的狂騒は落ち着いていた。これについて、当時は48グループがグラビアのページを席巻してシェアを奪ったことが原因の一つであるという説もある[11]が、これはちょっと疑わしい。48グループが主戦場としていた一般的なグラビア雑誌・『YOUNG○○』という漫画雑誌にジュニアアイドルのグラビアが掲載されることはほとんどなく、もともと競合する相手ではなかった。それに、気合の入ったロリオタはジュニアアイドル誌を買うものである。

2013年9月7日(現地時間)、ブエノスアイレスで開かれたIOC総会で「2020年の夏季五輪は東京で開催する」旨決定する[19]。これが翌年の単純所持禁止のきっかけとなった、というのがロリコン界の大方の見方である。

2014年6月25日に改正された児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律(平成十一年法律第五十二号)第七条で、いわゆる単純所持が禁止された。1年の猶予期間(平成二六年法律第七九号第一条2)を経て2015年7月15日、ついに罰則の対象となる。このころを境にDVDの新作もほぼリリースされなくなり、ジュニアアイドル業界は低迷する[注釈 5]。時間的順序は少し前後するが、2015年2月1日、秋葉原の聖地「おいも屋本舗!」が閉店する。実店舗では商品が売れない、営業不振というのが公式の理由だが「店舗に入れば白い目で見られる時代だけに、ひそかに購入できるネットショップに移行するのは自然な流れ」と述べる関係者もいる[20]

その後[編集]

2017年、東京都で「特定異性接客営業等の規制に関する条例」通称・JKビジネス規制条例が施行される。18歳未満の者を対象とする撮影会を開催する業者は公安委員会に届け出なければならない。2023年7月現在、同様の条例は愛知県、神奈川県、大阪府、兵庫県などにある[21]

その後は現在に至るまで、DVDの発売件数は減少したままであるが、ネットを利用した通販やダウンロード販売で手に入らないこともない。また、ジュニアアイドル自体も絶滅したわけでなく、Eテレの料理番組も続いている。非常に若いライブアイドルなどがジュニアアイドルを自称することもある。たかなし亜妖によると、2023年7月現在も作品はリリースされており、DVDメーカーも未だ現役である[4]

先述のように、撮影会を中心に活動するジュニアアイドルも一定数存在する[2]。この時期特有の問題として、SNSのフォロワー数がオーディションやコンテストの合否に関わるという現象が挙げられる(書類審査でも各種SNSのフォロワー数を記入する欄がある)。フォロワー数を増やすために我が子に露出の多い衣装を着せる、アカウントは母親が管理してキャバ嬢同然の“営業”を行うなどの問題行動もある[22]。デビュー前の素人女児[注釈 6]の撮影会すらあるが、デビューするのを応援していると話す主催者・娘の夢を応援していると話す母親もいる[21]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. そんな雑誌に何の価値が…以下、自主規制。
  2. 会田がU15のTバックを始めて撮影したのは2006年6月、当時13歳の小池凛である。ダンスを習っており、衣装の下にはいつもTバックをはいていたので抵抗はなかったという。会田は出版社の弁護士に、法的に問題ないことを確認した[13]
  3. お尻
  4. 匿名を条件に香月真理子の取材に応じたA氏による。A氏は2005年頃からジュニアアイドルの撮影現場で働く[15]
  5. するってえとお前さん、いままでは児童ポルノを製造してたってことかい?
  6. アイドルの卵という呼び方もある。物は言いよう

出典[編集]

  1. “子ども消費 (8) 8歳、ビキニ姿で撮影会”. 読売新聞: p. 15. (2008年2月22日 
  2. a b 山本 2023a.
  3. a b c 現代用語の基礎知識 2007, p. 1527.
  4. a b c たかなし 2023a.
  5. 香月 2008, p. 133.
  6. 山本和幸 (2023年2月15日). “「まずは母親を懐柔して…」少女が食い物にされる“キッズアイドル撮影会”の鬼畜現場(page=3)”. 日刊SPA!. 2023年2月21日確認。
  7. 「おふろはたのし!!」、『少女』第13巻第1号、光文社、1957年doi:10.11501/1819534
  8. a b サンデー毎日 2007, p. 30.
  9. チャイドル年表’94―’97”. netnavi.nikkeibp.co.jp. 株式会社日経BP. 1998年12月3日確認。
  10. 「ニュースな女たち287 新少女」、『SPA!』第45巻第13号、扶桑社、1996年4月3日
  11. a b 猪口 2025, p. 27-32.
  12. 香月 2008, p. 128.
  13. 香月 2008, p. 127-128.
  14. 香月真理子 『欲望のゆくえ 子どもを性の対象とする大人たち』 朝日新聞出版、2009年11月30日、135-136頁。ISBN 978-4-02-250501-9
  15. 香月 2008, p. 126-127.
  16. "子どもへの虐待" ジュニアアイドル規制へ”. mbs.jp (2011年6月24日). 2011年7月5日確認。
  17. Jun Hongo (2007年5月3日). “CHILD PORN SCANTILY DISGUISED AS ART?: Photos of preteen girls in thongs now big business”. japantimes.co.jp. 2007年9月29日確認。
  18. a b 週刊文春 2007, p. 38-40.
  19. 江口博文 (2013年9月8日). “2020年五輪、東京開催が決定 56年ぶり”. nikkei.com. 2023年7月12日確認。
  20. “聖地”も閉店 ジュニアアイドルDVDビジネスはあと半年の命か”. tokyo-sports.co.jp (2015年2月7日). 2023年7月10日確認。
  21. a b 渋井 2023.
  22. 山本和幸 (2023年2月21日). ““キッズアイドル撮影会”のおぞましい実態。親は「良かれと思って…」(page=2)”. news.yahoo.co.jp. 2023年4月23日確認。

参考文献[編集]