西村理香
西村 理香(にしむら りか) は、日本で活躍したタイ王国出身[1]のロリータモデル。
1990年代の日本で、ロリータモデルの一人として活躍、1980年代前半人気を博した倉橋のぞみ、諏訪野しおり、花咲まゆ以来の知名度を誇った。力武靖の撮影により、10歳から16歳頃まで写真集とビデオを発売。『目覚める前に』(力武靖写真事務所)がデビュー作である。なお、当時は本名はもとより国籍を含むプロフィールの類は公表されていなかった[2]。
1980年代初頭から成人漫画雑誌などの分野で起こったロリコンブームは、写真家・清岡純子の作品が摘発されたのち、社会意識の変化から1988年頃には低迷した。写真集の出版数は激減し、日本人モデルを起用する事自体が困難という事態となったが、1990年前後から新進気鋭の力武靖ら[3]がおもに東南アジア人モデルを起用した写真集の刊行を開始した。一連の制作で篠原茜[4]などに続くモデルの一人として西村は登場した。
来歴・人物[編集]
チェンマイより更に奥地の山岳地帯の少数民族の出身。真中誠士によると中華系の血が入ってるらしい。力武が同じ時期に撮影していたモデルに比べ西村は日本人に近い顔立ちだったが、真中は中華民族の混血に理由を求めている[5]。
タイ北部の観光都市、チェンマイに来ればロリータのヌードが撮れる、そう聞きつけた力武は「ナイトバザール」近くに逗留する(時期不詳)。そこで知り合った土産物屋のおやじは、力武の話を聞くと少数民族の村からピックアップトラックの荷台にいっぱいの少女を連れてきた[6]。少しは選べよ、と思うのだが、結局力武は彼女たち全員の写真を撮った。撮ってもらえない少女の親がカネのことで騒ぐので、順繰りに村から連れてきて撮った。数百坪の土地(場所不詳)を購入して野外撮影場所とした。貧しかった少数民族の村には、いつしかコンクリートの家が並び、力武は神のごとく崇められた[7]。
そんな中で力武が出会った最高のロリータこそ、当時8歳の西村だった(11歳とする資料もある[8]がここは当事者の証言に従う)。『百万レムの視線』のなかで、力武は
彼女が撮影を許してくれた時、もう天にも昇る思いだった。私の理想の美少女なのだ。彼女がもうやめてくれと言うまで撮り続けるつもりだ。 — 力武靖、[9]
と、『伝説の美少女 西村理香』のなかで
私が初めて西村理香クンと出逢ったのは、まだ彼女が8歳の頃だった。(略)幼いながらすでに理想の美少女としてのすべての条件を満たしていた。(略) 撮影するにはまだまだ幼すぎるし、そんなに急ぐことはないのでは、というのが、関係者全員の意見だった。いやいや、そんなことはない! 今すぐ彼女を撮りたい! 彼女の撮影に関するすべての権利を、私に託して欲しい。(略)「力武先生、理香の写真を撮ってください」彼女と両親の答えを聞いたとき、私は、人生最高の歓喜に満たされた。西村理香クンの撮影を開始したのは、彼女が9歳になってからだ(今まで最初の写真集では、10歳の撮影と発表していたが、実際はまだぎりぎりで9歳だった)。それから6年間。年に二、三回、計15回の撮影を行なった。その期間は、私にとって、まさに至福の時だった。 — 力武靖、[10]
と述べている。
『目ざめる前に』に収録されたのは撮影時10歳および11歳の写真[9]。なお、『伝説の美少女 西村理香』によると『目ざめる前に』の頃9歳だったという[10]。従来、このあたりのことは「戸籍もないような村の出身なのでそのあたりはアバウトなのかもしれない」と曖昧にしか述べることができなかったが、真中誠士の2008年のブログによりほぼ確定した。本稿では「力武と出会ったとき8歳、10歳になる少し前に最初の撮影[10]」という見解を採用する。
当時、母に逃げられ父が酒飲みの中、伯母に引き取られていた。女郎屋に売られそうであったところを力武靖に見出された。毎月カネを支払うから絶対に売らないでくれと交渉、伯母の下に置いてもらえることになった[1][5]。その約束は西村が大人になるまで履行された[8]。力武は毎月タイを訪れ、西村を撮った。これについて、真中誠士は結局裸を撮影されているのだから美談として語るのは違うのではないか、という趣旨の発言を残している[5]。
その後[編集]
1990年代、ネットの普及とともに、西村の画像は全世界に広まった。力武は特に対策を講じなかったので、誰もが知っているが写真集は持っていないという、いわば幻のロリータとして知られるにいたった[11]。
1999年末、児童買春・児童ポルノ禁止法の施行前夜には彼女の作品を買い求める人で行列ができたという[1]。
西村は実は日本人ではないのではないかという疑惑は、都市伝説のようなかたちでマニアの間でささやかれていた。動画の中で日本語をしゃべっていない、日本には自生しない植物が下草のように映りこんでいる、撮影の小道具に使われた廃車が日本国内では見かけないタイプであるなどを根拠にそう言われてきたが、決定的な証拠は誰も提示できなかった。しかし事件は起きるのだ。2000年11月7日、ロリコンショップ「ぺぺ」を運営する会社「コネクション」の社長ら計7人が逮捕されるが、「タイのムアン市内で撮影」と報道されてしまった[12]。これ以降、ロリコン界隈では西村理香タイ人説が支配的となる。『伝説の美少女 西村理香』の編集に関与した真中誠士も、2008年のブログの中でタイ人と明言している。少なくともこれ以降はタイ人説に異論を唱える者は、少なくともガチロリの中にはいない[5]。
2004年5月、過去に発売された写真集から適法範囲である着衣写真のみで構成した、メモリアル写真集『伝説の美少女 西村理香』(ISBN 978-4776900313)が発売される。この写真集の販売において、Amazon.co.jpでの出版社コメントに「一時、売れすぎて配送までの時間が何週間もかるという状態になっていました」とのお詫びコメントが掲載されたことからも、その人気の継続のを窺い知ることができる[13]。
2008年現在、現地の男性との間に8歳の娘と4歳の息子を儲けている[5]。
写真集ほか[編集]
- 目覚める前に(力武靖写真事務所)1994年発行 ISBN 4-915979-02-4
- FRIENDSⅣ「よりみち」(ペペ)1995年発行※三浦佳代子と共演
- FRIENDSⅤ「6人の天使たち」(ペペ)1996年発行※三浦佳代子、湯沢厚子、新井真美、島澤智子、大野弥生との共演
- 百万レムの視線(力武靖写真事務所)1996年発行 ISBN 4-915979-10-5 ※他写真集転載した複数モデルのオムニバス
- SixYears三部作
- SixYears12(力武靖写真事務所)1998年1月発行
- SixYears13・14(力武靖写真事務所)1998年1月発行
- SixYears15・16(力武靖写真事務所)1998年1月発行
- ジェニー達の肖像 Portraits of Jennie4 (力武靖写真事務所)1998年発行 ※複数モデルのオムニバス
- ラストクリスマス(リップス)1999年。発行:三和出版
ビデオ[編集]
(出典:[14])
- 『また会う日まで』(ペペ<メイキングビデオシリーズ パートⅢ>)
- 『目覚める前に』(ペペ<メイキングビデオシリーズ パートⅧ>。11歳) - 同名写真集のビデオ版
(出典:[15])
- 『よりみち』(ペペ。12歳)※共演:三浦佳代子(12歳)。写真集『FRIENDS Ⅳ』のビデオ版
- 『6人の天使たち』(ペペ。12歳)※共演:三浦佳代子(13歳)、湯沢厚子(16歳)、新井真美(14歳)、島澤智子(13歳)、大野弥生(15歳)。写真集『FRIENDS Ⅴ』のビデオ版
(出典:[16])
- 『よりみち 未公開集』(ペペ。12歳)共演:三浦佳代子(12歳)
- 『さよなら6人の天使たち 前編』(ペペ)※共演:大野弥生、島津智子、近藤佳乃、藤田未来、大竹はるか
- 『さよなら6人の天使たち 後編』(ペペ)※共演:大野弥生、島津智子、近藤佳乃、藤田未来、大竹はるか
- 『ラストクリスマス』(ペペ。16歳)
- 『さよなら西村理香 前編』(ペペ。17歳)
- 『さよなら西村理香 後編』(ペペ。17歳)
(出典:[17])
- 『西村理香大全集【11歳】』(ペペ<メイキングビデオ 番外編>)写真集『SIX YEARS 11・12』の前半部分
- 『西村理香大全集【12歳】』(ペペ<メイキングビデオ 番外編>)写真集『SIX YEARS 11・12』の後半部分
- 『西村理香大全集【13歳】』(ペペ<メイキングビデオ 番外編>)写真集『SIX YEARS 13・14』の前半部分
- 『西村理香大全集【14歳】』(ペペ<メイキングビデオ 番外編>)写真集『SIX YEARS 13・14』の後半部分
- 『西村理香大全集【15歳】』(ペペ<メイキングビデオ 番外編>)写真集『SIX YEARS 15・16』の前半部分
- 『西村理香大全集【16歳】』(ペペ<メイキングビデオ 番外編>)写真集『SIX YEARS 15・16』の後半部分
(当時の年齢については出典:[2])
脚注[編集]
- ↑ a b c 高月 2009, p. 74.
- ↑ a b 「ビデオアイドル西村理香ちゃん、みんな知ってる?!」、『熱烈投稿』第15巻第6号、少年出版社、1999年6月1日。
- ↑ 通信販売や成人向け特殊図書で実績を重ねていた
- ↑ 力武靖のモデルとして参加したのち撮影助手や通訳として活躍した
- ↑ a b c d e 真中, 小倉 2008.
- ↑ 川本 2011, p. 174-176.
- ↑ 川本 2011, p. 176-177.
- ↑ a b 川本 2011, p. 177.
- ↑ a b 力武靖 『百万レムの視線』 力武靖写真事務所、1996年。ISBN 4-915979-10-5。
- ↑ a b c 力武 2004.
- ↑ 川本 2011, p. 190.
- ↑ 真中誠士, 小倉一真 (2008年1月18日). “ペペ逮捕!!!”. 無毛最終真兵器. 2008年3月3日確認。
- ↑ 川本 2011, p. 178.
- ↑ “ペペ メイキングビデオシリーズ(1)”. アリスビデオのデータベース(仮). 2020年5月5日確認。
- ↑ “ペペ オリジナル(1)”. アリスビデオのデータベース(仮). 2020年5月5日確認。
- ↑ “ペペ オリジナル(2)”. アリスビデオのデータベース(仮). 2020年5月5日確認。
- ↑ “ペペ メイキングビデオシリーズ(2)”. アリスビデオのデータベース(仮). 2020年5月5日確認。
参考文献[編集]
- 高月靖 『ロリコン』 バジリコ、2009年。ISBN 4862381510。
- 川本耕次 『ポルノ雑誌の昭和史』 筑摩書房〈ちくま新書927〉、2011年。ISBN 978-4-480-06631-2。
- 力武靖 「西村理香と私の7年間」『伝説の美少女 西村理香』 三和出版、2004年。NDL:20726751。ISBN 4-7769-0031-9。
- “西村理香はタイ人”. 無毛最終真兵器 (2008年2月22日). 2008年3月3日確認。