エレバン
エレバン Երևան | |
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愛称: 桃色の街、母なる街 | |
| 国 |
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| 市 | エレバン市 |
| 面積 | |
| • 合計 | 227 km2 |
| 標高 | 989.4 m |
| 人口 (2025) | |
| • 合計 | 1,100,240人 |
| • 密度 | 人/km2 |
| 等時帯 | UTC+4 (アルメニア時間(AMT)) |
| 市外局番 | +374 10 |
エレバン(アルメニア語:Երևան[c] /jɛɾɛˈvɑn/ エレヴァン、イェレヴァ(バ)ンとも)は、アルメニアの首都であり最大の都市である。また、世界で最も古くから人が途切れることなく居住してきた都市の一つでもある。
フラズダン川沿いに位置するエレバンは、首位都市として、同国の行政・文化・産業の中心地となっている。1918年以来、アルメニアの首都であり、アルメニア史上14番目、アララト平野内またはその周辺に置かれたものとしては7番目の首都である。また、アルメニア使徒教会最大の教区であり、世界最古の教区の一つでもあるアララト教皇教区の所在地でもある。
エレバンの歴史は紀元前8世紀にさかのぼる。紀元前782年、ウラルトゥのアルギシュティ1世がアララト平野の西端にエレブニ要塞を築いたのが始まり。エレブニは「王権のもとにある壮大な行政・宗教の中心地、完全な王都」として設計された。古代アルメニア王国の末期までには新たな首都が築かれ、エレバンの重要性は低下した。1603~05年の大スルグン(強制移住)では、サファヴィー朝が数十万人のアルメニア人をイランへ強制移住させ、エレバンの人口は大きく減った。1679年には地震で街の大部分が破壊され、その後、より小規模に再建された。1828年、エレバンはロシア帝国の一部となり、17世紀に祖先が強制移住させられていたアルメニア人の帰還につながった。
第一次世界大戦後、オスマン帝国で起きたアルメニア人虐殺を生き延びた人々が数千人この地域に到着し、エレバンはアルメニア第一共和国の首都となった。アルメニアがソビエト連邦の一部だった20世紀には、街は急速に拡大した。数十年のうちに、エレバンはロシア帝国内の地方都市から、アルメニアを代表する文化・芸術・産業の中心地へと変貌し、国の政府機関が置かれる都市にもなった。
アルメニア経済の成長に伴い、エレバンは大きく変化してきた。2000年代初頭から街のあちこちで大規模な建設が進み、ソ連時代には珍しかったレストランや商店、路上カフェなどの小売店も増えた。2011年のエレバンの人口は1,060,138人で、アルメニアの総人口の35%強を占めていた。2022年にはさらに増え、1,086,677人となった。エレバンは2012年、ユネスコにより「世界本の首都」に選ばれた。また、ユーロシティーズの準会員でもある。
エレバンの主な名所のうち、エレブニ要塞は街の発祥の地とされている。カトギケ・ツィラナヴォル教会は現存するエレバン最古の教会で、聖グレゴリオ大聖堂は世界最大のアルメニア教会である。ツィツェルナカベルトは、アルメニア人虐殺の犠牲者を追悼する公式記念施設となっている。
エレバンには、複数のオペラハウス、劇場、博物館、図書館をはじめとする文化施設がある。例えば、エレバン・オペラ劇場はアルメニアの首都を代表する公演会場である。アルメニア国立美術館は同国最大の美術館で、アルメニア歴史博物館と同じ建物に入っている。マテナダランには、世界最大級の古書・写本コレクションが所蔵されている。