R-7 大陸間弾道ミサイル (ICBM)

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R-7(ロシア語: Р-7)は、ソビエト連邦が開発した世界初の大陸間弾道ミサイル (ICBM)である。その設計は、その後のソ連の宇宙計画、ひいてはロシアの宇宙計画におけるほとんど全ての主要な打ち上げロケットの基礎となり、スプートニクボストークソユーズなどの象徴的なミッションに使用された。

概要[編集]

R-7は、その独特な「クラスターロケット」設計によって特徴付けられる。これは、中央のコアステージの周囲に4つの円錐形ブースターが配置されたもので、これにより高い推力を初期段階で得ることができた。この設計は、後のソユーズロケットファミリーにも受け継がれ、今日の宇宙開発においてもその影響力は大きい。

開発はセルゲイ・コロリョフ率いるOKB-1(現在のS.P.コロリョフ ロケット&宇宙公社 エネルギア)で行われた。当初の目的は、米国に到達可能な核弾頭運搬手段を開発することであったが、その高い信頼性と設計の柔軟性から、すぐに宇宙打ち上げロケットとしての可能性が見出された。

開発経緯[編集]

R-7の開発は1953年に開始された。当時のソ連は、米国の戦略爆撃機に対抗するための核抑止力構築を急務としていた。開発には多くの困難が伴ったが、コロリョフとそのチームは革新的な技術を導入し、開発を推し進めた。

最初の飛行試験は1957年5月15日に行われたが、これは失敗に終わった。しかし、同年8月21日の2回目の飛行で、R-7は初めて大陸間距離の飛行に成功し、ICBMとしての実用性を示した。この成功は、米国に大きな衝撃を与え、「ミサイルギャップ」論争を巻き起こした。

宇宙開発への応用[編集]

R-7の最も有名な功績は、1957年10月4日に世界初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げたことである。この偉業は、宇宙時代の幕開けを告げ、米ソ宇宙開発競争を激化させた。

その後、R-7は様々な派生型を生み出し、宇宙開発の主役となっていく。

これらの派生型は、基本的なR-7の設計を踏襲しつつ、上段エンジンの追加や構造の改良が加えられたものである。

技術的特徴[編集]

R-7は「1.5段式ロケット」と呼ばれる独特の構成を持つ。これは、中央のコアステージ(第2段)と、それに並列に配置された4つのブースター(第1段)で構成される。離陸時には全てのエンジンが同時に点火され、ブースターが燃焼を終えると、切り離される。その後、コアステージが単独で燃焼を続ける。この設計は、初期のロケット技術における推進力の限界を克服するための独創的な解決策であった。

エンジンはRD-107(ブースター用)とRD-108(コアステージ用)であり、いずれも液体酸素ケロシンを推進剤とする。これらのエンジンは、その後のロシアの液体燃料ロケットエンジンの基礎となった。

運用と退役[編集]

R-7のICBMとしての運用は、1960年代半ばにはより高性能なICBMに置き換えられ、比較的短期間で終了した。しかし、その派生型は信頼性と汎用性の高さから、ソ連崩壊後もロシアの宇宙開発を支え続けた。特にソユーズロケットは、2025年現在もバイコヌール宇宙基地ボストーチヌイ宇宙基地から打ち上げが行われている主力ロケットである。

最終的に、R-7の原型に最も近い派生型であるソユーズ-U22013年2月2日に最後の飛行を行い、その歴史に幕を閉じた。しかし、その設計思想はソユーズロケットとして、今もなお宇宙に飛び立ち続けている。

豆知識[編集]

  • R-7の開発中に、その巨大さから「セヴョールカ(ロシア語で「7」を意味する愛称)」と呼ばれていました。
  • R-7の設計は、その後のN-1ロケットエネルギアロケットなど、ソ連の大型ロケット開発にも影響を与えました。
  • R-7のブースターは、飛行中に空中で分離する際に独特の「コロリョフの十字架」と呼ばれる形状を形成します。これは、ロケット打ち上げ映像でしばしば見られる光景です。

関連項目[編集]

参考書籍[編集]

  • 的川泰宣 著, 『宇宙開発の最前線』, 講談社現代新書, 2010年.
  • ドミトリー・バティギン 著, 『ソ連宇宙開発秘史』, 東洋書店, 2007年.