P-51 (航空機)
P-51 マスタング(P-51 Mustang)は、第二次世界大戦中にアメリカ合衆国のノースアメリカン・アビエーション社が開発し、主にアメリカ陸軍航空軍で運用された単発単座のレシプロ戦闘機である。その高性能から「史上最高のレシプロ戦闘機」と評されることも多く、大戦後半のヨーロッパ戦線及び太平洋戦線において、連合国側の航空優勢確立に大きく貢献した。
開発経緯[編集]
P-51の開発は、1940年にイギリスの英国航空省からの要請によって始まった。当時のイギリスは、バトル・オブ・ブリテンを戦い抜く上で不足していたホーカー ハリケーンやスーパーマリン スピットファイアなどの戦闘機を補うため、アメリカからの航空機調達を積極的に行っていた。ノースアメリカン・アビエーションは、イギリスからのカーチス P-40のライセンス生産の打診に対し、それよりも優れた機体を開発・生産することを提案。この提案はイギリス側に受け入れられ、わずか120日という短期間で設計を完了させるという異例の速度で開発が進められた。
当初、ノースアメリカン社は自社設計の機体「NA-73X」として開発を進め、1940年10月26日に試作機が初飛行に成功した。この機体は、当初から優れた基本性能を示したが、搭載されたエンジンはアリソン V-1710であり、高高度性能に難があった。
主要な型式[編集]
P-51は、その運用期間中に様々な改良が加えられ、多くの派生型が生まれた。
P-51A[編集]
初期量産型。エンジンはアリソン V-1710-39を搭載。機首に2挺、翼に4挺の計6挺の12.7mm機関銃を装備した。主にイギリス空軍では「マスタングMk.I」として偵察任務などに使用された。
P-51B/C[編集]
P-51の最も重要な転換点となったのが、イギリスのロールス・ロイス社製マーリンエンジンを搭載したP-51B(ノースアメリカン社内名称NA-102)およびC(NA-103、テキサス州ダラス工場製)である。このエンジンは、それまでのアリソンエンジンに比べて大幅に高高度性能が向上しており、P-51の潜在能力を最大限に引き出すことに成功した。特にヨーロッパ戦線においては、B-17やB-24といった爆撃機の長距離護衛任務に投入され、その能力をいかんなく発揮した。武装は主翼の12.7mm機関銃を6挺に強化された。
P-51D[編集]
P-51Dは、P-51の最終的な完成形ともいえる主力生産型である。最大の特徴は、後方視界を改善するために採用された「バブルキャノピー」と呼ばれる水滴型風防である。これにより、パイロットの全周視界が格段に向上した。また、武装もさらに強化され、主翼に12.7mm機関銃を6挺装備し、携行弾数も増加された。エンジンは引き続きマーリンエンジンを搭載し、高高度性能と航続距離を両立させた。総生産数は8,000機を超え、P-51シリーズの大部分を占める。P-51Dは、沖縄戦など太平洋戦線にも投入され、日本本土空襲の護衛にも活躍した。
P-51H[編集]
大戦末期に開発された軽量化された最終生産型。エンジンを強化した上で機体を再設計し、最高速度784km/hを達成した。しかし、終戦により生産数は少数に留まった。
その他の派生型[編集]
- **F-6**:偵察型。カメラを搭載し、戦略偵察任務に従事した。
- **A-36 アパッチ**:急降下爆撃機型。ダイブブレーキを装備し、初期の対地攻撃任務に用いられた。
- **F-82 ツインマスタング**:P-51を2機連結したような双胴の長距離戦闘機。主に朝鮮戦争で使用された。
設計と特徴[編集]
P-51の設計は、その優れた性能の源泉となったいくつかの特徴を持つ。
- 層流翼:P-51の主翼は、当時としては画期的な層流翼(NACA 45-100シリーズ)を採用していた。これにより、空気抵抗を大幅に低減し、特に高速域での性能向上に寄与した。
- 胴体下面のラジエーター:冷却器は胴体下面に配置され、排気ジェットの効果(「マージナル・ジェット推進効果」または「メレディス効果」)により、むしろ推力を発生させ、抵抗を打ち消す効果があったとされる。これは、P-51の高い速度性能に貢献した要因の一つである。
- 大容量燃料タンク:P-51は、長距離護衛任務を可能にするため、主翼内および胴体内に大容量の燃料タンクを装備していた。これにより、外部増槽なしでも非常に長い航続距離を確保できた。
戦歴[編集]
P-51は、その運用が始まった1942年以降、第二次世界大戦の主要な戦線で活躍した。
ヨーロッパ戦線[編集]
P-51がその真価を発揮したのは、間違いなくヨーロッパ戦線である。1943年末から1944年にかけて、P-51B/Cがアメリカ第8空軍に配備されると、それまでドイツ空軍の戦闘機によって多大な損害を受けていた爆撃機隊の護衛に投入された。P-51は、それまでのP-47 サンダーボルトやP-38 ライトニングでは不可能であったベルリンへの往復護衛を可能にし、ドイツ本土の空の制圧に大きく貢献した。 P-51は、Bf109やFw190といったドイツの主力戦闘機と互角以上に渡り合い、多くのエースパイロットを輩出した。特に、その高速性能と優れた高高度性能は、ドイツ空軍を圧倒する上で決定的な要素となった。
太平洋戦線[編集]
太平洋戦線では、主にP-38 ライトニングが主力戦闘機として活躍したが、P-51Dは1944年後半から徐々に配備が進められた。硫黄島を拠点として、B-29爆撃機の日本本土空襲の護衛任務に投入された。また、日本軍の戦闘機との空戦においてもその高性能を発揮し、多くの戦果を挙げた。
戦後[編集]
第二次世界大戦後も、P-51は多くの国々で運用され続けた。アメリカ空軍に再編された後も、しばらくは主力戦闘機の一翼を担い、朝鮮戦争でも初期の段階で活躍した。しかし、ジェット機の登場により第一線からは退き、訓練機や偵察機として使用されることが増えた。いくつかの国では1980年代まで運用が続けられた。
評価[編集]
P-51マスタングは、しばしば「第二次世界大戦における最高のレシプロ戦闘機」と評価される。その評価の根拠は、以下の点にある。
- 卓越した性能:高速性能、高高度性能、航続距離のすべてにおいて高いレベルでバランスが取れており、当時の他の戦闘機を凌駕する総合的な能力を持っていた。
- 戦略的影響:P-51の登場により、連合軍は長距離爆撃機の護衛が可能となり、ドイツの工業地帯への昼間爆撃を効果的に行えるようになった。これにより、ドイツの継戦能力を低下させ、戦争の早期終結に貢献した。
- 汎用性:戦闘機としてだけでなく、戦闘爆撃機、偵察機としても優れた能力を発揮し、多様な任務に対応できた。
もちろん、P-51にも欠点がなかったわけではない。初期のアリソンエンジン搭載型は高高度性能に課題があり、生産開始当初は評価が定まらなかった。また、液冷エンジンゆえに被弾に弱く、被弾箇所によっては容易に停止してしまうという弱点も抱えていた。しかし、それらの欠点を補って余りある性能と戦果を挙げたことにより、P-51は歴史に残る名機としての地位を確立した。
豆知識[編集]
- P-51の愛称「マスタング」は、ノースアメリカン社が考案したもので、「野生馬」を意味する。
- 「メレディス効果」とは、空気抵抗を減少させるためのダクトの設計により、ダクトを通過する空気の流れから推力を得る効果のことである。P-51の胴体下面のラジエーターダクトはこの効果を狙って設計されたと言われている。
- P-51のアメリカ合衆国での生産工場は、カリフォルニア州イングルウッドとテキサス州ダラスの2箇所であった。
- 戦後、多くのP-51が民間へ払い下げられ、エアレース機として活躍したものも多い。現在でも、飛行可能なP-51が世界各地に存在し、航空ショーなどでその雄姿を見ることができる。