東京都道311号環状八号線
東京都道311号環状八号線 (とうきょうとどう311ごう かんじょうはちごうせん) とは、東京都大田区の羽田空港周辺から北区岩渕町に至る主要地方道(特例都道)である。通称は環八通り (かんぱちどおり)。
概要[編集]
全長 44.2 km。「環状八号線」という名でありながら、実際には完全な環状道路ではなく、東京23区の西部を半周するだけの道路である。都市計画道路の事業名は「東京都市計画道路幹線街路環状第8号線」。
基本的には片側2車線か片側3車線の道路である。一つ内側を通っている環状道路である東京都道318号環状七号線よりややハイスペックな道路となっている。制限速度は基本60 km/h制限。かつては大田区内の一部区間は50 km/h制限であったが、現在は見直されそこも60 km/h制限になっている。
環状八号線は首都圏より西側に向かう主要道路と交差しており、特に主要な道路との交差点は立体交差を使って抜けている。交差する国道は国道1号、国道15号、国道131号、国道246号、国道466号である。国道131号、国道466号とは重複区間も存在する。
歴史[編集]
東京都道311号環状八号線の初期構想は旧東京市が1927年に発表した「大東京道路網計画」に含まれており、その当時から環状八号線は東京23区の西側半周するのみの道路としての計画であった。その後、太平洋戦争中は工事が中断され、当時はところどころ既存のルートを環状八号線として指定するだけだった。
1945年戦争が終わり、1946年には「戦災地復興計画方針」に置いて、環状八号線は都市計画決定されたものの、当時は国道246号との交点である瀬田交差点周辺のみを拡幅するだけにとどまった。1956年には本格着工されたが、1964年に開催される東京オリンピックに関連する工事として位置づけられた環状七号線及び産業道路の整備が優先され、しかもその当時は多摩川を渡る橋さえ少なかったため後回しにされ、環状八号線は比較的遅く本格的に工事が行われることになった。
1965年には、第三京浜道路が開通。第三京浜道路の起点は環状八号線との交差点であるため、沿線が急速に住宅地化される。それにより自家用車が普及し、交通需要が一気に増加する結果となった。また、その後には東名高速道路、中央自動車道、東京川越道路(現・関越自動車道)などの主要な高速道路が順次開通していき、環状八号線は線形が悪い首都高速道路の代わりに短絡する道路としての需要が高まった。それにより、工事はなるべく急がれたものの、用地買収、特に大田区にあった古い墓地の買収がなかなか進まず、最終的に全線開通するのは2006年であり、本格着工から50年もの年月がかかったのである。
また、1970年代には、荻窪以北では、周辺住民が歩行者が優先されるべきとして歩道が拡幅され、道路の幅が狭くなることとなった。これにより渋滞も発生している。
環八雲[編集]
環八雲とは、環状八号線沿線で主に夏の午後において発生する積雲列のことである。かつては環状八号線の交通量の多さから排気ガスが原因で作られた雲かと思われていたが、実際の原因は海陸風とヒートアイランド現象によるものである。