有田鉄道線

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有田鉄道
有田鉄道線
基本情報
日本
所在地 和歌山県
起点 藤並駅
終点 金屋口駅
駅数 5駅
開業 1915年5月28日
廃止 2003年1月1日
所有者 有田鉄道
運営者 有田鉄道
路線諸元
路線距離 5.6 km (最長時 9.1 km)
軌間 1067 mm
線路数 単線
電化方式 非電化
最大勾配 9.0
最小曲線半径 180 m
最高速度 40 km/h

有田鉄道線(ありだてつどうせん)とは、和歌山県有田郡吉備町(現在の有田川町)の藤並駅金屋口駅の間を結んでいた有田鉄道の鉄道線である。

概要[編集]

沿線で産出される木材有田みかんなどの農産品の積出港である湯浅港まで運搬する目的で1915年(大正4年)に海岸駅から下津野駅、その翌年に下津野駅から金屋口駅までが開業した。

貨物輸送だけでなく、沿線の井ノ口大社への参詣者輸送でも賑わった。その一方、1927年(昭和2年)に鉄道省紀勢西線紀伊湯浅駅まで延伸すると、海岸から藤並までの区間がこれに実質並行することとなり、1944年(昭和19年)12月に不要不急として路線が休止された。
レールは撤去されたものの、休止から6年後の1950年(昭和25年)に国鉄紀勢西線への乗り入れを開始した。1959年(昭和34年)4月には休止区間が廃線となり、廃線後の敷地は後年紀勢本線の複線化用地に転用された。

一方で、農産物などの貨物輸送の自動車転移が進み、1984年(昭和59年)2月に貨物営業を廃止。以降は旅客輸送で細々と営業する形となり、鉄道部門の人員削減、車両保守を近隣の自動車整備工場に委託するなどの合理化が推し進められた。

紀勢線への乗り入れはJR発足後の1992年(平成4年)12月まで継続されたものの、晩年は利用客の殆どが通学高校生に限られるようになったため、1995年(平成7年)3月からは学校が休みになる第2・4土曜日と日曜・休日は全列車を運休とし、並行する路線バスで代替するようになった。最末期には列車を運転できる免許を持った人員が1人しかいなかったという。

先行して日中の運転を休止した北恵那鉄道線同様に、並行する路線バスの定期券・回数券で鉄道にも乗車可能な措置が執られており、有田鉄道が鉄道廃止の方針を打ち出しても、観光鉄道としての存続模索や廃止反対の声は地元[注 1]から殆ど上がらず、2002年(平成14年)12月末を以て廃線となった。

車両[編集]

廃線時点で在籍していた営業用車両は2両であった。

ハイモ180形(ハイモ180-1)
岐阜県樽見鉄道からの譲渡車で、富士重工業が開発・製造したレールバスLE-Car。有田鉄道初の冷房車でもあった。
キハ58形(キハ58001・キハ58002・キハ58003)
山梨県富士急行からの譲渡車で、国鉄キハ58系気動車の同型車。キハ580001・002は片運転台車、003は両運転台車で、001・002はハイモ180の営業開始後に廃車解体されたが、003は両運転台車ということで予備車として廃線まで残存していた。
この他にも国鉄から部品取りの名目でキハ58 86とキハ58 136を譲り受けているが、キハ58 136については何故か営業運転に使われており、映像がYouTube上にアップロードされている。

[編集]

  1. 1955年(昭和30年)4月からは吉備町域のみの路線となっていた。