我らが祖国
| Մեր Հայրենիք | |
|---|---|
| Mer Hayrenikh | |
| 和訳例:我らが祖国 | |
| |
| 作詞 | ミカエル・ナルバンディアン(1859年) |
| 作曲 | パルセグ・ガナチアン(20世紀初頭) |
| 採用時期 | 1991年7月1日 |
| 言語 | アルメニア語 |
Մեր Հայրենիք(転写:Mer Hayrenikh、メル・ハイレニク゜、アルメニア語で"我らの祖国/故郷"の意)とは、アルメニア共和国の国歌である。
歴史[編集]
作曲[編集]
「我らが祖国」の歌詞は、ミカエル・ナルバンディアンが1859年に書き、1861年に発表した詩「イタリアの少女の歌」(アルメニア語:Իտալացի աղջկա երգը、Italatsi aghjka yergė)に由来する。
20世紀初頭に、パルセグ・ガナチアンがそれに曲を付けた。その後、歌詞(一部変更)と曲との両方が、1918年から1920年まで短期間存在したアルメニア第一共和国の国歌として採用された。
ソビエト時代[編集]
1920年11月、アルメニアを主権国家として国際的に承認するものであったセーヴル条約が締結されてからわずか3か月しか経っていなかったにもかかわらず、赤軍はアルメニアに侵攻した。
1922年、アルメニアはアゼルバイジャン、ジョージアとともにザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国に編入され、同共和国は同年末にソビエト連邦の一部と化した。アルメニア民族主義の象徴であった歌「我らの祖国」は、ボリシェヴィキ当局によって禁止された。 これに代わり、1944年以降はアルメニア・ソビエト社会主義共和国独自の国歌が用いられた。
そのため、この時期、「我らの祖国」はソビエトの支配に抗議する歌として新たな位置づけを得た。
主権回復とその後[編集]
ソビエト連邦の崩壊後、1991年7月1日、最高会議の決議によって、「我らの祖国」がアルメニアの国歌として復活した。しかし、いくつかの語句が変更されたため、歌詞は1918年版と完全には一致していない。
アルメニアでは、公民教育の重要な一環として、同国歌は学校の教室に掲げられるいくつかの国の象徴の一つとなっている。教師たちは、このように歌を重んじることで、「生徒たちが毎日国歌を歌うよう促される」と考えている。
2006年と2019年には、国歌をめぐる議論がアルメニア議会で取り上げられた。新政権は、ソビエト時代の国歌を復活させ、その歌詞を新しいものに置き換えることを求めていた。イタリアのヴィオラ奏者マルコ・ミシアーニャは、ヴィオラ独奏のための「『メル・ハイレニク』序奏と変奏曲」を作曲し、2018年にはコミタス室内楽堂でのコンサートで演奏した。
2025年には国歌法が改正され、国歌の節の順序が変更された。第2節が第3節に、第3節が第4節に、第4節が第2節になった。
歌詞[編集]
同国歌の歌詞は、「アルメニアの自由のために犠牲となる」ことの尊さを称えている。しかし、歌詞で死が語られていることから、国歌があまりにも「弱々しく」「陰気だ」と批判する論者もいる。とりわけ国民議会の議員の一部は、第一次独立闘争の時代に書かれたこの歌は、勝利と成功を謳歌する現代を正確に反映していないと考えている。しかし、「我らが祖国」を置き換える提案は、これまで一つも実現していない。連立政権の一角を占めていたアルメニア革命連盟(ダシュナク党)が、国歌の変更、特にアルメニア・ソビエト社会主義共和国国歌の旋律に基づく曲への置き換えに、これまで抵抗してきたことが大きな要因である。
現行版[編集]
| アルメニア語 | ラテン文字転写 | 国際発音記号 | 邦意訳 |
|---|---|---|---|
| Մեր Հայրենիք, ազատ անկախ, Որ ապրել է դարեդար Ամենայն տեղ մահը մի է Ահա եղբայր քեզ մի դրոշ, Նայիր նրան՝ երեք գույնով, |
Mer Hayrenik, azat ankakh, Vor aprel e daredar Amenayn tegh mahə mi e Aha yeghbayr kez mi drosh, Nayir nran yerek guynov, |
[mɛɾ hɑj.ɾɛ.ˈnikʰ ɑ.ˈzɑt ɑŋ.ˈkɑχ] [voɾ ɑp.ˈɾɛl ɛ dɑ.ɾɛ.ˈdɑɾ ‖] [ɑ.mɛ.ˈnɑjn tɛʁ ˈmɑ.hə mi ɛ ‖] [ɑ.ˈhɑ jɛʁ.ˈbɑjɾ kʰɛz mi də.ˈɾoʃ] [nɑ.ˈjiɾ nə.ˈɾɑn jɛ.ˈɾɛkʰ guj.ˈnɔv] |
我らが自由にして、独立した祖国は 何世紀にも渡り、代々生きながらえてきた。 何処に至れど死は同じ、 ほら、同胞よ、君の手に一枚の旗を、 見よ、三色に彩られし |
原版[編集]
最初期の国歌としての「我らが祖国」は、ナルバンディアンの詩「イタリアの少女の歌」の第1、第3、第4、第6連に基づいている。原文は、アルメニア語の正書法改革以前に用いられていた古典綴りを用いている。
| アルメニア語 | ラテン文字転写 | 邦意訳 |
|---|---|---|
| Մեր հայրենիք, թշուառ, անտէր, Մեր թշնամուց ոտնակոխ, Ահա՛, եղբայր, քեզ մի դրoշ, Նայի՛ր նրան, երեք գոյնով, Ամենայն տեղ մահը մի է, |
Mer Hayrenik, təshvarr, anter, Mer təshnamuts votnakokh, Aha, yeghbayr, kez mi drosh, Nayir nran, yerek guynov, Amenayn tegh mahə mi e, |
我らが祖国は、苦しみに沈み、頼るものもなく、 宿敵に踏みにじられてきた。 ほら、同胞よ、君の手に一枚の旗を、 見よ、三色に彩られし 何処に至れど死は同じ、 |
大衆文化として[編集]
同国歌の題名は、あるロシア在住アルメニア人向けのテレビチャンネル名として使われている。テレヴィジョン「メル・ハイレニク」は、ノヴォシビルスク州とシベリア連邦管区の行政中心地でもあるノヴォシビルスク市を拠点としている。
音楽作品への編曲[編集]
2012年、フィリップ・シェパードはロンドン・フィルハーモニー管弦楽団とともに、2012年夏季オリンピックおよび同年の夏季パラリンピックのために同国歌を録音した。