国鉄下河原線
日本国有鉄道 下河原線 | |
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基本情報 | |
国 |
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所在地 | 東京都 |
起点 | 国分寺駅、北府中駅 |
終点 | 東京競馬場前駅、下河原駅 |
駅数 | 4駅 |
開業 | 1920年(大正9年)5月26日(国鉄線として) |
廃止 | 1976年(昭和51年)9月20日 |
所有者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
運営者 | 日本国有鉄道 |
路線諸元 | |
路線距離 |
5.6 km(国分寺駅-東京競馬場前駅間) 3.8 km(北府中駅-下河原駅間) |
軌間 | 1,067 mm(狭軌) |
線路数 | 単線 |
電化方式 | 直流1,500 V 架空電車線方式(国分寺駅-東京競馬場前駅間) |
下河原線(しもがわらせん)とは、日本国有鉄道(国鉄)が運行していた中央本線(後に武蔵野線)の支線の通称である。東京競馬場線と呼ばれることもあった。
概要[編集]
中央本線国分寺駅から北府中駅を経て東京競馬場前駅までの旅客線と、北府中駅から分岐して京王電鉄中河原駅南東にあった下河原駅までの貨物線から成っていた。
元々は多摩川で採取される砂利の運搬を目的として、1910年(明治43年)に「東京砂利鉄道」の手によって開業した。開業10年後に鉄道省によって買収されたが、その翌年に営業廃止となり、国分寺駅の構内扱いとされた。1933年(昭和8年)に目黒区にあった目黒競馬場が府中に移転して東京競馬場として開業するとこれへのアクセス路線として、東京競馬場前駅を開設して旅客線として営業を再開。その後残部も貨物線として営業を再開した。
戦後、武蔵野線が当線に沿って建設されることとなり、国分寺から東京競馬場前までの旅客線は武蔵野線開業と同日の1973年(昭和48年)4月1日に廃線。北府中駅は武蔵野線の駅となり、北府中駅から下河原駅までの貨物線は武蔵野線の支線となった。しかし武蔵野線開通のおよそ3年後、下河原までの貨物線も廃線となった。なお廃線後も中央鉄道学園への引込線も兼ねていた部分は学園閉鎖まで残され、実習教材となる鉄道車両の搬入出に用いられていたという。
車両[編集]
旅客線の廃線直前の時期の平時はクモハ40形(豊田電車区所属)が単行で走っていた。ただしラッシュ時及び東京競馬開催日には混雑するため、101系5両編成での運行を行っていた。
貨物線の列車はDD13形(八王子機関区所属)が牽引していた。
駅一覧[編集]
接続路線の事業者名は当区間廃止時。
本線[編集]
駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 接続路線 | 所在地 |
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国分寺駅 | - | 0.0 | 国鉄:中央本線 | 国分寺市 |
北府中駅 | 3.3 | 3.3 | 下河原線貨物線 | 府中市 |
東京競馬場前駅 | 2.3 | 5.6 |
貨物線[編集]
- 全駅が府中市に所在
駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 接続路線 |
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北府中駅 | - | 0.0 | 国鉄:中央本線下河原線本線 |
下河原駅 | 3.8 | 3.8 |
跡地の状況[編集]
線路敷の多くは遊歩道や団地の敷地に転用された。また中央本線と並走していた区間には2000年代末頃まで線路が側線のように残っていた。