中島三千男

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中島 三千男(なかじま みちお、1944年 - )は、歴史学者。神奈川大学名誉教授、元学長。専門は日本近現代思想史。

国家神道研究[編集]

「「明治憲法体制の確立」と国家のイデオロギー政策――国家神道体制の確立過程」 (『日本史研究』第168号、1977年4月/安田浩、源川真希編『展望日本歴史 19巻 明治憲法体制』東京堂出版、2002年)や「国家神道の確立と民衆」(『中央公論』第3巻第8号、1977年8月)で国家神道論を展開した[1]。国家神道を「非宗教・国家の祭祀・道徳というたてまえの下に「改変」させられた神社神道」であるとし、国家神道体制を「信教の自由」「政教分離」という近代の思想原理を擬制的にではあるが組み込んだ体制であるとした(「「明治憲法体制の確立」と国家のイデオロギー政策」 )[2]。国家神道体制確立までの過程を5つの時期に区分し、祭神論争や神官教導職分離を根拠に明治14~27年までを成立期、日清日露戦争後の政策や国民・神職の意識の変化を根拠に明治27~45年までを確立期とした。「天皇制ファシズム期」は他宗教の弾圧によって国家神道体制のバランスが崩れたため、「国家神道体制の極致である、というよりもその崩壊であると言えると思います」と主張した(「「明治憲法体制の確立」と国家のイデオロギー政策」 )[2]。中島三千男、宮地正人安丸良夫らの国家神道論は神道が神社非宗教論によって他宗教を優越したという点は村上重良の国家神道論を一定程度継承しているが[3]、明治初期から昭和の「ファシズム」期を直線的に捉える村上説には否定的で、中島説は明治初期の神道国教化政策を転換した内務省の神社行政の実態解明の重要性を指摘した点に特徴がある[4]

新田均は「「国家神道」論の系譜(上・下)」(『皇学館論叢』第32巻第1号・第32巻第2号、1999年2月・1999年4月)で「国家神道」研究を「狭義の国家神道」論と「広義の国家神道」論に区分し、前者を「「国家神道」を神社神道を国家管理状態に限定して理解しようとするもの」、後者を「「国家神道」を神社神道以外の宗教をも包含する広範な国家的宗教制度として理解しようとするもの」と定義した。前者の論者に葦津珍彦阪本是丸、後者の論者に村上重良、宮地正人、中島三千男、安丸良夫などがいるとした[5]。後に新田は「最近の動向を踏まえた「国家神道」研究の再整理」(『宗教法』32号、2013年10月)で「国家神道」研究を「広義の国家神道」論の修正継続(中島三千男、赤澤史朗平野武子安宣邦島薗進)、「狭義の国家神道」論の精密化(葦津珍彦、阪本是丸、畔上直樹)、「国家神道」以外の別の包摂概念の設定(W・P・ウッダート、安丸良夫、磯前順一)、「国家神道」という用語の放棄(羽賀祥二山口輝臣)という4つの方向性に整理した[1]

著書[編集]

単著[編集]

  • 『天皇の代替りと国民』(青木書店、1990年) 
  • 『海外神社跡地の景観変容――さまざまな現在』(御茶の水書房[神奈川大学評論ブックレット]、2013年)
  • 『若者は無限の可能性を持つ――学長から学生へのメッセージ 2007-2012年度』(御茶の水書房[神奈川大学入門テキストシリーズ]、2014年)
  • 『天皇の「代替わり儀式」と憲法』(日本機関紙出版センター、2019年)

共著[編集]

  • 『「神国」の残影――海外神社跡地写真記録』(稲宮康人共著、国書刊行会[非文字資料研究叢書]、2019年)

編著[編集]

  • 『概論 日本歴史』(佐々木潤之介、佐藤信、藤田覚、外園豊基、渡辺隆喜共編、吉川弘文館、2000年)

出典[編集]

  1. a b 新田均「最近の動向を踏まえた「国家神道」研究の再整理」『宗教法』32号、2013年10月
  2. a b 新田均「「国家神道」論の系譜(下)」『皇学館論叢』第32巻第2号、1999年4月
  3. 谷川穣「5章 「国家神道」論の現状をどう見るか ――島薗進『国家神道と日本人』とそれ以後PDF」、山口輝臣編『戦後史のなかの「国家神道」』山川出版社、2018年
  4. 阪本是丸研究史 「国家神道」研究の四〇年PDF」『日本思想史学』第42号、2010年
  5. 新田均「「国家神道」論の系譜(上・下)」『皇学館論叢』第32巻第1号・第32巻第2号、1999年2月・1999年4月