ブルガリア国鉄
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種類 | 国営企業 |
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略称 | БДЖ/BDŽ |
本社所在地 |
![]() ソフィア |
設立 | 1888年8月1日 |
業種 | 運輸業 |
事業内容 | 旅客輸送/貨物輸送 |
従業員数 | 17,867人 |
所有者 | ブルガリア政府 |
外部リンク | https://www.bdz.bg/bg |
ブルガリア国鉄( Български държавни железници、略称:БДЖ)とはブルガリアの国営企業であり、同国最大の鉄道事業者である。
概要[編集]
2002年まで国内の鉄道インフラの主要部分を管理していたが、それ以降ブルガリア国営インフラ会社に移行した。
БДЖは昔から、企業の存続のために国からの補助金に依存している。2008年に同社は特定の乗客に対する旅行補助金に加え、国からの直接援助として1億3550万レバを受け取ったが、それらを含めて900万レバ以上の損失でその年を終えた。大赤字
1990年代以降、БДЖは道路輸送と激しい競争をしてきた。1990年から2005年まで同社の活動は急激な現象が見られた:
- 乗客数67%減少
- 旅客km70%削減
- 貨物輸送68%減少
- t/km63%減少
歴史[編集]
現在のブルガリア領土における最初の鉄道路線はルセ=ヴァルナ線だった。その長さは142kmである。建設の決定は1861年9月に行われ、建設はイギリスの会社によって行われた。同社は1863年にオスマン帝国政府から建設許可を得た。そして1866年11月7日に開業した。最初の車両工場はルセ(ЛВЖルセ)に設置されたが、2011年から2020年にかけて閉鎖されていた。1913年にはヴィディン=メズドラ線が開業した。その後どんどん路線網は拡大していった。
1874年にイギリスの会社は、会社の運営をモーリス・ド・ヒルシュ男爵に譲渡し、1888年に会社はブルガリア政府に買収された。1870年から1874年にかけて、ヒルシュ男爵はリュビメツ-ベロヴォ間の路線を建設し、タルノヴォ-セイメン (現在のシメオノヴグラード) -ノヴァ・ザゴラ-ヤンボルを迂回した。ヒルシュ男爵が所有する南部ブルガリアの鉄道路線は全長309.6kmで、1909年より国有となった。
鉄道網の設計及び建設に関する法律(1895年)では一時鉄道線(1435mm(標準軌))と二次鉄道線(狭軌線)が定義されていた。
1936年にБДЖは17,751人の従業員を擁し、うち5200人が首都ソフィアにいた。
ブルガリアの鉄道の電化は1963年より開始され、最初の電化区間はヴァルナ-シンデル間である。
2002年には欧州連合の現行慣行に準拠し、鉄道インフラ事業は別の国営企業に分離された。また2004年より鉄道市場の非独占化を目指すために第二種鉄道事業者による運営が許可された。
車両[編集]
詳しくはБДЖの車両一覧を参照。
БДЖは11,865両の客車と682両の機関車を保有している。2008年にはシーメンス社からDesiroを25両発注した。
2024年4月にドイツ鉄道から近代化されたIC用の客車を購入した。
列車[編集]
国際列車[編集]
БДЖは国際列車をИБМ列車と定めている。
国際列車は主にイスタンブールからソフィア間のイスタンブール-ソフィア・エクスプレスやイスタンブール-ブカレスト間のボスポラス・エクスプレスを運行している。他にもルーマニアからの地域列車が接続している。
セルビア、ギリシャとは路線の接続はあるものの相手側の国のインフラに問題があるので国際列車はほとんど運行されていない。
北マケドニアは近年までブルガリアとの接続をする路線を建設していたが、政権が変わったことにより東西軸のタヴァノヴツィ=ゲヴゲリヤ線のインフラ拡張に資金を回したことによって接続は当面の間は実現しないと思われる。
長距離列車[編集]
急行列車(ЕВ)と高速列車(БВ)が定められている。詳しくはインターシティ (ブルガリア)を参照。
地域列車[編集]
郊外地域列車(КПВ)と地域列車(ПВ)が定められている。郊外地域列車は中距離を走る。