ケン・マケルロイ

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ケン・マケルロイ
本名 Kenneth Rex McElroy[1]
生誕地  アメリカ合衆国カンザス州ジョンソン郡オーバーランドパーク
住所 ミズーリ州ノダウェイ郡スキドモア (死亡時)
没年月日 1981年7月10日(満47歳没) [2]
死没地  アメリカ合衆国ミズーリ州ノダウェイ郡スキドモア
死因 胸部・頭部および頸部に銃撃
肩書 犯罪者・ロリコン・自警団による報復の標的
国籍  アメリカ合衆国
配偶者 4人
子供 17人以上
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ケン・マケルロイ(Kenneth Rex McElroy, 1934年6月16日 - 1981年7月10日)は、アメリカ合衆国のロリコンである。町のいじめっ子(英: "the town bully")として知られていた[3][注釈 1]。生涯を通じて暴行、児童への性的虐待、法定強姦、放火、動物虐待、豚や牛の窃盗、住居侵入を伴う窃盗など、数十件に及ぶ重罪で告発された[5]。

合計で21回起訴されたが、そのたびに有罪判決を免れた。最後の一回を除いて[4]。1981年、同じ町に住む70歳の食料品店店主 Ernest "Bo" Bowenkamp 銃撃したが死に至らしめることはなかった事件について、第2級暴行罪で有罪判決を受けた。控訴審の判決が出るまで保釈されたが、その間、ボウエンカンプや彼に同情的な人々(町の牧師を含む)に対して計画的に嫌がらせを行った。これが彼自身の死の遠因となった。

経歴[編集]

1934年6月16日、Tony and Mabel (née Lister) McElroy 夫妻のもと、生まれる。16人兄弟姉妹の第15子である。両親は貧しい移住農民[注釈 2]で、スキドモア郊外に定住するまでカンザス州とオザーク高原を行き来していた。15歳・第8学年で学校を中退。すぐに牛泥棒、コソ泥(英: small-time thief)、女好きとして地元で悪名を馳せるようになった。20年以上にわたり、穀物、ガソリン、酒類、骨董品、家畜の窃盗に関与した疑いをかけられていたが、21回に及ぶ起訴の際も有罪判決を免れた。多くの場合、証人を尾行したり自宅前に車を停めて監視したりするなどして脅迫したのが原因とされる。彼の弁護を担当したのは、ミズーリ州デイビース郡ギャラティンの弁護士 Richard Gene McFadin であった[6]。

3人の妻と3人の妻以外の女性との間に少なくとも17人の子をもうけた。

  • 2番目の妻 Sharon (ca1943 - ) との間に Jerome, Tammy Sue, Debbie, Tina, Theresa の5人 (born 1959, 1961, 1963, 1964, 1965)[7]
  • 3番目の妻 Alice Wood (ca1946 - ) との間に Juarez, Tonia "Tony", Ken Jr. の3人 (born 1969, 1973, 1975)[8]
  • 4番目の妻トリーナ・マックラウド(Trena McCloud, 1957 - 2012)との間に Jerome "Jeffy" (のちに Derome), Oleta, Reno の3人 (born 1973, 1976/7, 1978)[9]
  • 1959年頃、Donna という15歳の少女との間に息子を1人 [10]
  • 1971年、Marcia Surritte との間に Tony [11]
  • 氏名不詳の少女[注釈 3] (ca1947 - ) との間に Ken Jr.[注釈 4], Lisa, Jeffery, 氏名不詳の第4子の4人 (born 1961, 1963, 1964, 1965) 第4子が生まれた時養子に出された[12][13]

まとめるとこんな感じ

  • 1934年、生まれる。
  • 1952年、最初の結婚[注釈 5]
  • 1959年(25歳)、2番目の妻(当時16歳前後)との間に第1子誕生
  • 1959年頃、15歳の少女との間に子をもうける
  • 1961年、少女(当時14歳前後)との間に第1子誕生
  • 1969年(35歳)、3番目の妻(当時23歳前後)との間に第1子誕生
  • 1969年(35歳)、4番目の妻(当時12歳)と出会う
  • 1973年(39歳)、4番目の妻(当時16歳前後)との間に第1子誕生

4番目にして最後の妻トリーナと出会ったとき、彼女は12歳・第8学年、マケルロイは35歳だった。マケルロイはトリ-ナを繰り返しレイプした。トリ-ナの両親は最初二人の関係に反対したが(そりゃそうだろう)、マケルロイはトリ-ナの両親の家を焼き、飼い犬を撃つという手段で同意させた[15]。

トリーナは14歳のとき妊娠、第9学年で学校をやめる。マケルロイと彼の3番目の妻・アリスと同居を開始する。マケルロイは法定強姦に問われるのを避けるため、アリスと離婚、トリーナと結婚する。その16日後、トリーナは出産。トリーナとアリスはトリーナの両親宅に逃げる。公判記録によるとマケルロイは二人の後をつけ、連れ戻す。トリーナの両親が留守の間に再び家を焼き、新しい飼い犬を撃った[16]。

1973年6月、トリーナの証言に基づきマケルロイは放火、暴行、法定強姦で起訴された。彼は逮捕・勾留され、初公判ののち2,500ドルの保釈金で釈放された[16]。トリーナと子供はミズーリ州ノダウェイ郡メリービルの里親のもとにおかれた。マケルロイは里親宅の外に何時間も座り込み、その家をにらんでいた。里親家庭の実の娘がどこの学校に通い、どのバス路線を利用しているかを知っていたため、自分の子供を取り戻すために「女の子と女の子を交換する[注釈 6]」と伝えた。マケルロイに新たな訴因が追加された[17]。

1976年7月27日、スキドモアの農家 Romaine Henry は、自身の土地で銃を撃っていたマケルロイに抗議したところ、散弾銃で2発撃たれたと述べた。マケルロイは殺意を持って暴行した[注釈 7]として起訴された。マケルロイは現場にいなかったと否認。裁判が長引く中、ヘンリーはマケルロイが少なくとも100回は自分の家の前に車を停めていたと述べた[18]。公判中、2人のアライグマ猟師が、銃撃事件当日ヘンリーの敷地から離れた場所でマッケルロイと一緒にいたと証言した。また、ヘンリーはマケルロイの弁護士リチャード・ジーン・マクファディンの尋問に対し、30年以上前の自身の軽犯罪歴(英: petty criminal conviction)を隠していたことを法廷で認めざるを得なかった[19]。マケルロイは無罪となった。伝えられるところによると、彼は裁判前に陪審員をストーキングして脅迫し、裁判官が所有する納屋を焼き払ったという[15]。

死[編集]

1980年、マケルロイの子供の一人が、Ernest "Bo" Bowenkamp と妻 Lois が経営する地元の食料品店で店員の Evelyn Sumy と口論になった。伝えられるところによると、幼い子供がキャンディーを万引きしたことが原因だった。マケルロイはボウエンカンプ一家につきまとい始め、ついには店の奥でボー・ボウエンカンプをショットガンで脅迫した。その後の衝突でボーエンカンプの首を撃った。ボーエンカンプは一命を取り留め、マッケルロイは(終身刑の可能性もある)第一級暴行罪で起訴された。1981年6月、第1審はマケルロイに対し第二級暴行罪で2年の刑を宣告するが、控訴審係属中は保釈された[20]。

釈放された直後の1981年6月30日、マケルロイは銃剣を取り付けたM1ガーランド半自動小銃を持って地元のバーである D&G Tavern に行き、ボー・ボウエンカンプを殺すとどぎつい脅迫をした[3][21]。これを受けて、保釈の条件に違背するとして町民により告発される。保釈取り消しの審問(bond revocation hearing)には多くの町民が集まったが、審問は延期される[4]。

ついに「その日」はやってくる。1981年7月10日の朝、町民は町の中心部にある Legion Hall でノダウェイ郡保安官の Dan Estes と集まり、自衛策について話し合った。この話し合いが行われている間にマケルロイはトリーナと共に D&G Tavern に到着した。彼が飲んでいると、Legion Hall の男たちにマケルロイが町にいるという知らせが届いた[注釈 8]。保安官は集まった人々に、近隣住民による自警団を結成することを提案し、マケルロイ本人と対峙しないよう助言した[23]。その後、エステス保安官はパトカーで町を出た。会議に出席していた市民はD&Gに一斉に行くことに決め、バーはすぐに満員になった。マケルロイは飲み終えると、ビール6本を購入、バーを出てピックアップトラックに乗り込んだ。マケルロイはトラックのシートに座っていたところを数発撃たれた。命中したのは2発だけで、1発はセンターファイアー型、もう1発はリムファイアー型だった。夫が撃たれた時トラックに同乗していたトリーナを含む46人の目撃者がいたが[24]、救急車を呼んだものはいなかった[3]。目撃者は全員、誰が撃ったのか答えることができなかったか、さもなくば誰が撃ったのか見ていないと主張した。このなかには、血まみれになって叫びながらトラックから這い出てきたトリーナを助けた男性(氏名不詳)も含まれる[25]。

州検察官(英: district attorney, DA)は起訴を見送った。広範囲にわたる連邦捜査も行われたが誰も起訴されることはなかった。ミズーリ州在住のジャーナリスト Steve Booher によると、町民の中には「彼は殺される必要があった」という態度をとる者もいた。2026年現在、マケルロイの死に関連して起訴された者はいない[3]。

その後[編集]

マケルロイはミズーリ州ブキャナン郡セントジョセフの Memorial Park Cemetery に埋葬される。

1984年7月9日、トリーナはスキドモア町、ノダウェイ郡、エステス保安官、Steve Peters(スキドモア町長)、Del Clement(トリーナによると夫を撃った人物。ただし不起訴)を相手取り、不法行為による死亡を理由に500万ドルの賠償を求める訴えを提起した。訴訟が進行した場合の高額な弁護士費用を避けるため、誰も不法行為を認めないまますべての当事者の合意により、17,600ドルを支払うという条件で法廷外で和解により終結[26]。

トリーナは再婚し、ミズーリ州ラクレード郡レバノンに移る。2012年1月24日、55歳の誕生日に死去[27]。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ↑ 郡のいじめっ子 (the bully of Nodaway County) とする資料もある[4]
  2. ↑ 『カインの末裔』の主人公のようなものであろう
  3. ↑ Harry N. MacLean は "Sally D." と呼んでいる
  4. ↑ 前出とは別人
  5. ↑ 外部サイトによると18歳のとき。単純計算[14]
  6. ↑ He told the foster family that he would trade "girl for girl" to get his child back. つまり「お前らの娘を代わりにいただく」
  7. ↑ 我が国の殺人未遂に近い概念
  8. ↑ Legion Hall は D&G Tavern の真向かいにあった[22]

出典[編集]

  1. ↑ MacLean 1988, p. 23.
  2. ↑ MacLean 1988, p. 25.
  3. ↑ a b c d Donald Bradley. “3 decades on, who killed Skidmore town bully still secret”. Mcclatchydc.com. 2010年9月1日確認。
  4. ↑ a b c “NO ONE IS INDICTED IN DEATH OF 'BULLY'”. New York Times: p. 7. (1981年9月26日) 
  5. ↑ David Krajicek. “Keep an Eye on Him”. trutv.com. 2026年5月24日確認。
  6. ↑ David Krajicek. “McElroys Style”. trutv.com. 2026年5月24日確認。
  7. ↑ MacLean 1988, p. 36-37, 40, 104.
  8. ↑ MacLean 1988, p. 43, 89. 324, 339.
  9. ↑ MacLean 1988, p. 71, 80, 104, 324.
  10. ↑ MacLean 1988, p. 35-36.
  11. ↑ MacLean 1988, p. 57.
  12. ↑ MacLean 1988, p. 38-39.
  13. ↑ Harry N. MacLean 『In Broad Daylight』 Harry MacLean、2019年(原著2012年)、384-385頁。ISBN 978-1-0878-0008-0。
  14. ↑ “悪行の限りを尽くした男への制裁”. 世界の猟奇殺人者 (2015年7月1日). 2015年7月3日確認。
  15. ↑ a b Hansen, Rose (February 6, 2018). “Skidmore, Revisited Part 1: The Death of Ken McElroy”. September 24, 2021確認。
  16. ↑ a b David Krajicek. “Another Teen Love”. trutv.com. 2026年5月24日確認。
  17. ↑ David Krajicek. “Saved by the Law”. trutv.com. 2026年5月24日確認。
  18. ↑ David Krajicek. “Intent to Kill”. trutv.com. 2026年5月24日確認。
  19. ↑ MacLean 1988, p. 98.
  20. ↑ Paul Stewart (1981年7月16日). “McElroy known as 'polite' and 'a terror'”. St. Joseph Gazette (St. Joseph, Missouri USA): p. 7 
  21. ↑ MacLean 1988, p. 236.
  22. ↑ Jefferson Grubbs (2019年8月2日). “This Entire TOWN Plotted To Murder A Man & Yes, The Docuseries Is As Bizarre As It Sounds”. bustle.com. 2026年5月26日確認。
  23. ↑ Kevin S. Held (2021年7月13日). “Bully’s murder remains a secret in Missouri town for 40 years”. fox2now.com. 2021年12月29日確認。
  24. ↑ “AS her daughter Tami listens, Trena McElroy retells how she watched...”. Getty Images (11 October 2018).
  25. ↑ David Krajicek. “Murder in Broad Daylight”. trutv.com. 2026年5月24日確認。
  26. ↑ David Krajicek. “Aftermath”. trutv.com. 2026年5月24日確認。
  27. ↑ Harry MacLean (2012年1月31日). “Trena McElroy Passed Away”. 2018年2月22日確認。

参考文献[編集]

  • Harry N. MacLean 『In broad daylight: a murder in Skidmore, Missouri』 Harper & Row、New York、1988年、1st。ISBN 978-0-06-015876-7。