カスティーリャ王国

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カスティーリャ王国(カスティーリャおうこく、スペイン語: Reino de Castilla)は、イベリア半島の中央部に存在した中世の王国である。その歴史は、レコンキスタの過程と深く結びついており、最終的にはスペイン王国の形成において中心的な役割を果たした。カスティーリャとは「城の土地」を意味し、イスラム教徒に対する辺境の防衛のために多数の城が築かれたことに由来する。

歴史[編集]

カスティーリャ伯領の成立[編集]

カスティーリャの起源は、アストゥリアス王国の東部辺境に設けられたカスティーリャ伯領に遡る。この地域は、ドウロ川流域のモサラベ人(イスラム支配下のキリスト教徒)によって再植民が進められ、イスラム勢力との最前線として機能した。9世紀には、アストゥリアス王アルフォンソ3世がこの地に多くの城を築き、伯爵領として組織した。

王国への昇格[編集]

1035年ナバラ王国のフェルナンド1世がカスティーリャ伯領を相続し、これを王国に昇格させ、初代カスティーリャ王となった。これによりカスティーリャは、それまでのアストゥリアスやレオン王国からの独立性を確立した。フェルナンド1世の治世には、レコンキスタが積極的に推進され、トレドなどの重要都市をイスラム勢力から奪回した。

レオン王国との合同と分離[編集]

カスティーリャ王国は、その歴史の中で幾度かレオン王国と合同し、また分離した。特に1230年フェルナンド3世がカスティーリャ王位とレオン王位を兼ねて以降、両王国は恒久的に統合され、「カスティーリャ=レオン王国」として知られるようになった。この統合は、イベリア半島におけるキリスト教勢力の統合を促進し、後のスペイン王国の基礎を築いた。

レコンキスタの推進[編集]

カスティーリャ王国は、レコンキスタの主要な推進者であった。13世紀には、フェルナンド3世がコルドバセビリアといった重要なイスラム都市を征服し、カスティーリャの領土を大幅に拡大した。14世紀から15世紀にかけても、カスティーリャはグラナダ王国に対する圧力を維持し続けた。

アラゴン王国との統合[編集]

1469年、カスティーリャ女王イサベル1世アラゴン王国の王子フェルナンド2世が結婚した。この結婚は、両王国の人的同君連合を形成し、1492年グラナダ陥落新大陸発見とともに、後のスペイン王国の基盤を磐石なものとした。両王国はそれぞれ独自の法制度と議会を維持していたが、共通の君主の下で一体的な外交政策を進めるようになった。

スペイン王国への統合[編集]

16世紀に入り、カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)の治世に、カスティーリャとアラゴンはさらに緊密に統合され、スペイン・ハプスブルク朝のもとで統一国家としての性格を強めていった。最終的に1715年新国家基本法により、カスティーリャの法と制度がスペイン全体に適用され、カスティーリャ王国はその歴史的な役割を終え、スペイン王国へと完全に統合された。

政治と社会[編集]

カスティーリャ王国は、国王を頂点とする君主制国家であった。国王の権力は強力であったが、貴族や都市の代表者からなるコルテス(身分制議会)も一定の影響力を持っていた。特に、都市の発展とともにブルジョワジーの力が強まり、コルテスでの発言力も増していった。

社会は、貴族、聖職者、平民の三身分に分かれていた。レコンキスタの進展に伴い、軍事貴族の地位が高まった一方で、再征服地の住民には一定の自由が与えられ、多様な文化が共存する社会が形成された。

経済[編集]

カスティーリャ王国の経済は、農業と牧畜が中心であった。特にメスタと呼ばれる牧羊業者組合は強力な影響力を持ち、羊毛はカスティーリャの主要な輸出品であった。レコンキスタの進展により、新しく獲得した土地での農業生産も拡大した。また、セビリアブルゴスなどの都市は商業の中心地として発展し、大西洋貿易も活発になった。

文化[編集]

カスティーリャ王国は、独自の文化を発展させた。カスティーリャ語は、スペイン語の基盤となり、アルフォンソ10世の時代には、学術・文学活動が盛んに行われた。トレド翻訳学校は、イスラム世界の知識をヨーロッパにもたらす重要な拠点となった。ゴシック様式の壮麗な大聖堂や城塞建築も数多く建設された。

豆知識[編集]

  • カスティーリャ語は、現代のスペイン語の標準語の基礎となっているんだ。
  • 「城の土地」という名前の通り、カスティーリャには本当にたくさんの古城が残っているよ。
  • フェルナンド3世は、カスティーリャとレオンを統合し、聖人としても崇敬されているんだ。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • レイナード・マッケイ『スペイン史』、創元社、2009年。
  • 関哲行、立石博高、中塚次郎編『世界歴史大系 スペイン史 1 - 古代~中世』、山川出版社、2008年。