IV号戦車
IV号戦車(IVごうせんしゃ、ドイツ語: Panzerkampfwagen IV、略号:Pz.Kpfw. IV)は、第二次世界大戦期にドイツ国防軍が使用した中戦車である。
元々は歩兵支援戦車として開発されたが、その高い拡張性からドイツ軍の主力戦車として大戦の全期間を通じて運用され、約8,500両が生産された。ドイツ戦車の中では最も生産数が多い。
開発経緯[編集]
ヴァイマル共和政下のドイツは、ヴェルサイユ条約によって戦車の開発・保有を厳しく制限されていた。しかし、密約によってソビエト連邦国内で秘密裏に戦車開発を進めるとともに、国内でも自動車開発の名目で研究が続けられていた。
IV号戦車の開発は、1934年にドイツ陸軍兵器局から出された「軽戦車よりも重く、III号戦車よりも火力支援能力に優れた戦車」という要求に基づいて開始された。「Begleitwagen」(随伴車両)という秘匿名で進められたこの計画に対し、クルップ、ラインメタル、MANの3社が試作案を提出した。
最終的にクルップ社の「VK.20.01(K)」案が採用され、1936年に最初の試作車が完成した。当初は短砲身の7.5 cm KwK 37 L/24を主砲とし、歩兵支援を主眼に置いていた。これは、電撃戦ドクトリンにおいて、敵の対戦車砲陣地や機関銃陣地を制圧し、歩兵やIII号戦車の進撃を支援する役割を担うことを想定していたためである。
生産と各型[編集]
IV号戦車の生産は1937年から開始され、大戦の進展とともに数多くの改良型が開発・生産された。
A型からD型[編集]
最初の量産型であるIV号戦車A型は1937年に生産が開始された。初期の型は装甲が薄く、機関銃弾や徹甲弾に対して脆弱であった。IV号戦車B型、C型と順次改良が加えられ、装甲厚が増していった。特にIV号戦車D型は、初期の主要生産型となり、フランス侵攻やバルバロッサ作戦で主力の一角を担った。これらの型は全て短砲身の7.5 cm KwK 37 L/24を搭載していた。
E型からF1型[編集]
1940年に生産が始まったIV号戦車E型では、車体前面装甲が50mmに強化され、車長用のキューポラも改良された。1941年に登場したIV号戦車F1型(F型初期生産型とも呼ばれる)は、砲塔と車体の設計がさらに簡素化され、生産性が向上した。しかし、これらも短砲身砲を搭載しており、ソ連軍のT-34やKV-1といった新型戦車に対しては火力不足が露呈し始めた。
F2型からJ型[編集]
独ソ戦の勃発により、T-34やKV-1といったソ連の新型戦車がドイツ軍の前に立ちはだかった。これらの戦車は厚い装甲と強力な長砲身砲を備えており、従来のIV号戦車の短砲身砲では有効な打撃を与えることが困難であった。これに対抗するため、IV号戦車に長砲身の7.5 cm KwK 40 L/43を搭載する改修が急遽決定された。
1942年春に登場したIV号戦車F2型(F型後期生産型)は、この長砲身砲を搭載したことで、火力面で飛躍的に向上し、T-34やKV-1に対抗できるようになった。これにより、IV号戦車は単なる歩兵支援戦車から、主力戦車へとその役割を変化させた。
その後も改良は続き、IV号戦車G型では、装甲のさらなる強化や、主砲がより長砲身の7.5 cm KwK 40 L/48に変更された。特に後期生産型には、シュルツェンと呼ばれる側面防御装甲が標準装備されるようになった。
IV号戦車H型は、IV号戦車の完成形とも言える型であり、それまでの改良点を統合し、生産性も向上した。H型以降は、車体前面の増加装甲が標準化され、ツィメリットコーティングが施されるようになったものもある。
1944年後半に生産が開始された最終生産型であるIV号戦車J型は、生産コスト削減のため、砲塔の旋回装置が油圧式から手動式に変更され、補助動力装置も廃止された。これにより、砲塔旋回速度は低下したが、燃料タンクの容量が増加し、航続距離が向上した。しかし、大戦末期の物資不足により、品質は低下していった。
戦闘での運用[編集]
IV号戦車は、第二次世界大戦の全期間を通じて、ドイツ国防軍の主力戦車として西方電撃戦、バルカン戦線、北アフリカ戦線、東部戦線、イタリア戦線、西部戦線など、あらゆる戦域で運用された。
初期の短砲身型は歩兵支援や対戦車戦闘において、III号戦車と協同して運用された。フランス侵攻では、一部の連合国戦車に対して苦戦を強いられることもあったが、総合的な性能では優位に立っていた。
独ソ戦が始まると、ソ連軍のT-34やKV-1の出現により、IV号戦車の火力不足が露呈した。しかし、長砲身砲を搭載したF2型以降の型が登場すると、その性能は飛躍的に向上し、T-34に対抗できる唯一の量産戦車としてドイツ軍の屋台骨を支えた。クルスクの戦いなど、大規模な戦車戦にも投入され、多大な戦果を挙げた。
大戦後期には、より強力なV号戦車パンターやVI号戦車ティーガーが登場したが、それらが数が揃わない中で、IV号戦車は引き続き多数が生産され、ドイツ軍の戦車部隊の主力であり続けた。その信頼性と整備性の高さも、前線での運用に大きく貢献した。
派生型[編集]
IV号戦車の車体は、その堅牢性と拡張性から、多くの派生車両の開発ベースとなった。
- IV号突撃砲:IV号戦車の車体を利用した突撃砲。
- IV号駆逐戦車:IV号戦車の車体を利用した駆逐戦車。
- フンメル:IV号戦車の車体を延長・改造した自走砲。15 cm sFH 18重榴弾砲を搭載。
- ヴェスペ:IV号戦車の車体を利用した自走砲。10.5 cm leFH 18軽榴弾砲を搭載。
- メーベルワーゲン:IV号戦車の車体を利用した対空戦車。
- ヴィルベルヴィント:IV号戦車の車体を利用した対空戦車。Flakvierling 38を搭載。
- オストヴィント:IV号戦車の車体を利用した対空戦車。3.7 cm FlaK 43を搭載。
- ブリュンバー:IV号戦車の車体を利用した自走ロケット砲。
- グリレ:IV号戦車の車体(H型以降)を利用した自走砲。15 cm sIG 33重歩兵砲を搭載。
運用国[編集]
豆知識[編集]
- IV号戦車は、生産されたドイツ戦車の中で唯一、開戦から終戦まで量産が継続された車両である。これは、その設計が非常に優れており、継続的な改良によって常に第一線で通用する性能を維持できたことを示している。
- その信頼性と汎用性の高さから「ドイツ軍の馬車馬」とも称された。
- ドイツの工業力と技術力の象徴として、多くの博物館に実車が展示されている。
関連項目[編集]
参考書籍[編集]
- ヴァルター・シュピールベルガー、広田厚司訳『ドイツ戦車発達史』大日本絵画、1994年。ISBN 978-4-499-22632-1。
- グランドパワー編集部編『IV号戦車シリーズ』ガリレオ出版、2006年。ISBN 978-4-861-62024-5。
- 古峰文三『ドイツのIV号戦車 (歴史群像シリーズ 世界の傑作機)』学研プラス、2010年。ISBN 978-4-05-606048-7。