V号戦車パンター
テンプレート:戦車 V号戦車(ごごうせんしゃ、独:Panzerkampfwagen V、パンツァーカンプ(フ)ヴァーゲン フュンフ、制式番号:Sd.Kfz.171)は、第二次世界大戦中のドイツの中戦車(45トン級)である。
ドイツの暗視装置の歴史[編集]
本項では、第二次世界中にナチス・ドイツが開発した赤外線(IR)ベースのアクティブ暗視装置について記す。
主に軍事用途で用いられ、世界で初めて実用化された「第0世代(Gen 0)」暗視技術である。これは外部IR光源で対象を照らし、受信機で可視光に変換する仕組みで、夜間戦闘能力の強化を目的とした。主な開発元はカール・ツァイス社とAEG社とWa Prüf 6(兵器試験部)で、戦車、歩兵兵器、ハーフトラックなどに適用された。
開発の歴史[編集]
初期段階(1930年代)[編集]
1935年から1936年にかけて、AEG社がIR夜視装置の生産を開始した。1936年頃からWa Prüf 6で夜間走行テストが実施され、主に車両や対戦車兵器向けの基礎研究が行われた。1939年には最初のプロトタイプが完成し、AEG製IR装置を37 mm対戦車砲(Pak 35/36)に搭載したテストが行われ、ドイツ軍への納入が開始された。これにより、夜間射撃距離約100-150 mを実現した。
戦時中の展開(1940-1943年)[編集]
1940年から1942年にかけて、IR技術の軍事応用が拡大した。Sd.Kfz. 251ハーフトラックやヴァンピール(Vampir、ZG 1229)システムが開発され、Sturmgewehr 44突撃銃に小型IRサイトを装備(歩兵用、約30-50 m範囲)。これにより、夜間突撃部隊「Nachtjäger」の運用が可能となった。1943年には、パンター戦車(D/A型)への試験装備がFallingbostel装甲学校で開始された。東部戦線の夜間戦闘需要からIRシステムの開発が急務となり、この時期の装置は重く(約100 kg)、信頼性が低く、少数生産に留まった。
後期戦(1944-1945年)[編集]
1944年末には、パンターG後期型にFG 1250 システムが少数(約44-50輌程度)装備された。これが最も実用的なIR暗視装置で、夜間射撃距離500-600 mを達成。東部戦線で限定的に使用されたが、IR光源が敵に検知されやすい欠点があった。1945年には戦局悪化により生産停止。各種IR装備の総生産数は約1,000セット未満と推定され、戦闘実績は曖昧である。戦後、連合軍が技術を回収し、冷戦期の暗視装置技術開発に影響を与えた。
ドイツのIR技術は革新的であったが、アクティブ方式のため光源の目立ちやすさと重量が課題で、受動型(星光増幅)への移行は戦後となった。総じて、第二次世界大戦での夜視装置は「実験的」な位置づけである。
FG 1250 システムの詳細[編集]
FG 1250 "Sperber"(シュペルバー。「スズメハチ」の意。ただし戦後に付けられたニックネーム)は、パンターG後期型(1944年末-1945年生産)に搭載されたアクティブIR暗視システムで、指揮官中心の運用を前提とする。主に夜間偵察・射撃用で、総重量約150 kg、消費電力200 W。
運用と性能[編集]
- 装備対象: パンターG後期型の指揮官キューポラのみ。Solution A構成(指揮官単独)。
- 性能: 夜間走行速度20-30 km/h、射撃精度2,500 m先の目標命中可能(テスト時)。ただし、IR光が敵のIR検知器に捕捉されやすいため、奇襲向き。
- 改修の影響: 装備のため内部スペースが狭くなり、75 mm砲弾3発分(計79発→76発)減少。生産数は約50-300輌(推定)。
- 欠点と実戦: 脆弱性が高く、捕獲防止で手榴弾固定の運用報告あり。東部戦線で少数使用されたが、燃料不足やメンテナンス難で効果限定的。
FG 1250 は、ドイツIR技術の頂点であるが、戦局の遅れで「幻の装備」となった。
戦後ドイツの暗視装置の歴史[編集]
本項では、第二次世界大戦後の西ドイツ(連邦共和国)および統一ドイツにおける赤外線(IR)ベースの暗視装置の開発と軍事適用について記す。
戦後初期は連合軍の技術回収とNATO依存が基盤となり、冷戦期にカール・ツァイス(Carl Zeiss)社主導の熱画像技術が飛躍的に進化。主にドイツ連邦軍(Bundeswehr、ブンデスヴェーア)の装備として、戦車・歩兵用に展開された。現代ではHensoldt社などの国産システムがNATO標準をリードしている。
戦後初期の再軍備と技術導入(1945-1960年代)[編集]
第二次世界大戦後、ドイツは軍事研究が禁止されたが、1955年のドイツ連邦軍創設に伴いNATO加盟国として暗視技術の再導入を開始した。
初期は米国製第1世代(Gen 1)イメージ増幅管(I2)装置を輸入し、歩兵用スナイパースコープや偵察用IRサイトを採用。戦車ではM47/M48パットンに簡易IRを搭載したが、国産開発は制限された。AEG社の戦時技術が連合軍に回収された影響で、カール・ツァイス社が光学分野で復興の中心となった。
冷戦期の発展(1970-1990年代)[編集]
冷戦下の東側脅威に対抗し、ドイツ連邦軍は熱画像技術(第2世代以降)の国産化を推進。主に戦車向けに焦点を当て、カール・ツァイス社が水銀カドミウムテルル(MCT)検出器を用いたWBG-X熱画像装置を開発。長波赤外線(LWIR、8-12μm帯)で受動型夜視を実現し、悪天候下の運用が可能となった。
戦車用システム[編集]
- 1982年: EMES 15 + WBG-X(レオパルト 2A1)
- レオパルト 2主力戦車の初期型に初搭載。安定化ペリスコープ統合型で、砲手用熱画像によりハンターキラー運用(指揮官・砲手の同時標的捕捉)を可能に。フレームレート16-30 fpsの逐次スキャン方式でリアルタイム画像を実現。
- 1984-1987年: レオパルト 2A2改修
- 初期レオパルト 2を熱画像標準化。弾道計算機との連携で移動射撃精度向上。
- 1986年: EMES 18 + WBG-X(レオパルト 1A5)
- 旧型レオパルト 1の近代化改修。105 mm砲対応のモジュール式熱画像で、120要素検出器アレイを採用。ドイツ連邦軍の全レオパルト 1部隊の主力となった。
- 1988年以降: レオパルト 2A3/A4標準装備
これにより、ドイツ連邦軍は米国に並ぶ熱画像技術のリーダーとなり、冷戦末期までにレオパルト部隊の夜間戦闘能力を大幅強化した。
歩兵用システム[編集]
冷戦期の歩兵用はGen 2 I2ゴーグルが主流で、ヘルメットマウント型 Nachtsichtgerät(暗視装置)を導入。詳細記録は限定的だが、偵察部隊向けに低照度増幅管を採用。熱画像ハンドヘルドは1970年代後半から試験され、1980年代にスナイパー用IRサイトが配備された。
統一後と現代の進化(1990年代-現在)[編集]
ドイツ再統一(1990年)後、NATO共同調達を活用し、多機能融合型装置へ移行。歩兵用では軽量化とデジタル化が進み、戦車用は第3世代+(Gen 3+)熱画像を標準化。
主要モデル[編集]
- 2021年: Mikron-D(歩兵用バイノキュラー)
- Theon InternationalとHensoldt OptronicsのコンソーシアムによるOCCAR共同調達。重量415 g未満のステレオI2型で、40°視野角、自動ゲイン調整、IR照射器内蔵。ブンデスヴェールに約50,000セット配備、2024年に追加25,000セット発注。
- 2025年: JIM Compact(多機能バイノキュラー)
- Safran Electronics & Defense Germany製。重量2 kg未満のMWIR熱画像+低照度カメラ+HD日中カメラ融合型。4倍ズーム、レーザー測距(12km)、リアルタイムデータ共有(Wi-Fi/Bluetooth)。スナイパー支援や火力誘導に使用。
これらのシステムは、完全暗黒下や煙幕下での運用を強化し、ヘルメット互換性とバッテリー持続(24時間以上)を重視。Hensoldt社がセンサー融合技術を主導し、NATOの次世代NVS開発に貢献している。
技術的特徴と影響[編集]
戦後ドイツの暗視装置は、受動型熱画像の精度向上(MCT検出器の冷却化)と軽量化が特徴。冷戦期のZeiss技術は欧州輸出(スイスPanzer 87など)に波及し、現代のMikron-D/JIMはデジタルネットワーキングで無人機連携を実現。総じて、ドイツ連邦軍は夜間優位性をNATOの基幹技術として確立した。
パンターの暗視装置[編集]
FG 1250(ファールゲレート1250、正式名称:Fahr- und Zielgerät 1250)は、第二次世界大戦末期にナチス・ドイツが開発したアクティブ赤外線暗視装置である。
主にパンター(Ausf. G後期)やSd.Kfz. 251/20半装軌車(Falke型)に搭載され、夜間走行(Fahr)と照準(Ziel)の両機能を統合したシステムとして設計された。視認距離約500-600mを実現し、夜間戦闘の革新を目指したが、少数生産と技術的限界により実戦影響は限定的であった。
開発[編集]
FG 1250の開発は1943年頃に開始され、ヴァンピール(Vampir、歩兵用ZG 1229)の技術を基盤に進化した。カール・ツァイス社が光学系(レンズ、照準器、全体設計)を、AEG社が電子系(イメージコンバーター、電源・増幅管)を担当。1944年にプロトタイプが完成。開発の中心人物はツァイスのガートナー技師で、1930年代後半からの赤外線基礎研究を融合させた。
動作原理[編集]
FG1250はアクティブIR方式を採用しており、装置が自ら赤外線光を照射して反射光を検知・変換する。
- 赤外線サーチライトが不可視のIR光(約800-900 nm(0.8-0.9 μm))を前方に照射。当時のCs-O-Ag(S-1型)フォトカソードの感度ピーク(特に800nm付近)に最適化されたもの。
- 目標物体からの反射IR光がイメージコンバーター(BiWa)に入射。
- イメージコンバーター(BiWa)内部のカソード(光電面)でIR光子が電子を励起。これらの電子が高電圧(約12kV)で加速され、蛍光画面(リン光体スクリーン)を励起して緑がかった可視画像を生成。
- 画像はレンズ系で拡大・表示され、指揮官が視認可能。中央に照準用の光点(プリズム機構)が表示され、精密な目標捕捉を支援する。
仕様[編集]
FG 1250はアクティブ赤外線方式を採用し、近赤外線光(約800-900 nm(0.8-0.9 μm))を投光器で照射し、反射光を受像器で増幅して緑色の単色画像を表示する。解像度は低め(ぼやけやすい)。パンターのキューポラに固定設置された。車長席のペリスコープ経由で操作され、砲手や操縦手は非対応である。
イメージコンバーターは、内部に、カソード、加速筒、蛍光画面、レンズ系を備え、IRを可視光に変換。遠距離目標用に追加の拡大ルーペを装着可能。
主な仕様は以下の通り。
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 方式 | アクティブ赤外線(IR)暗視 |
| 視認距離 | 500-600 m(理想値、実戦で300-400 m程度) |
| 投光器 | 直径20 cm、出力200 W |
| 受像器 | 直径112 mm、長さ46 cm、円筒形ユニット。光電管ベースのイメージコンバーター(反射光増幅、緑色表示) |
| 電源 | 専用発電機/バッテリー(連続使用短時間限定) |
| 重量 | 150 kg超(投光器30 kg+受像器(コンバーター)30 kg+電源(バッテリー)90 kg セット) |
| 視野角 | 約10 度(狭角、低解像度) |
後期Ausf.Gには、防盾(gun mantlet)の右側面にIRシステム用の電源コネクタ(electrical connectors)とブラケットが追加された例があり、これらはFG 1250の赤外線サーチライトやイメージコンバーターへのへの電力供給を補助するものであった。具体的には、防盾の側面に4本の30 mmボルトで固定されたプレート状のマウントとして設置され、防水ソケット経由でバッテリーからリードケーブルを接続する設計であった。
主な技術的欠点[編集]
- 重量と設置の煩雑さ: 総重量150 kg超の大型セット(投光器+受像器+電源)で、パンターのキューポラに固定設置が必要であった。日中は撤去を余儀なくされ、メンテナンスが負担となった。後部右弾薬庫を改造して12 Vバッテリーと変圧器を収納。これにより車両の機動性が低下し、乗員スペースを圧迫(主砲弾3発分相当)。
- 車長専用設計の制限: 受像器が車長席のペリスコープに限定され、砲手や操縦手は非対応。操縦手用スコープの開発版も存在したが、FG 1250本体の品質に劣り、戦闘投入されなかった。
- 位置露呈リスクの高さ: アクティブIR方式のため、200 W出力の投光器がIR光を放ち、敵のIR検知機(例: イギリス製)で容易に発見された。夜間奇襲の利点を失い、逆に標的にされる危険性があった。
- 低解像度と画像品質の悪さ: 光電管ベースのイメージコンバーターで緑色の単色画像を表示したが、粒状でぼやけやすく、視野角が狭い(約10度)。精密照準に不向きで、霧・雨・泥濘地帯では視認距離が減衰し、300-400 mに低下した。
- 電力・熱管理の不安定さ: 専用発電機/バッテリー依存で連続使用時間が短く、過熱しやすい。雨天時の故障多発が報告され、信頼性が低かった。
- 生産・統合の遅延: 戦時資源不足で少数生産に留まり、1944年10月時点でパンターへの搭載が20輌のみ。開発遅れが運用機会を逸した。
これらの欠点は、FG 1250を「画期的だが未熟なプロトタイプ」として位置づけ、戦後米ソの暗視技術(Sniperscopeなど)に教訓を与えた。
索敵方法[編集]
FG1250(Fahr- und Zielgerät 1250)は、パンター戦車の車長用キューポラに後付けで固定設置されたアクティブ赤外線暗視装置である。この装置は固定型だが、キューポラ内部の回転機構により360度回転が可能で、車長が手動で方向を調整できた。
具体的には、従来の対空MG34/42マウントを置き換え、キューポラの上部内部に「traversable ring」(回転リング)と呼ばれるプラットフォームが取り付けられ、そこに装置のメインコンポーネントである赤外線イメージコンバーター(Bildwandler、BiWa)と200 Wの赤外線サーチライト(直径20 cm)がマウントされた。このリングは方位指示器(azimuth indicator)と連動し、車長がハッチを開けずに周囲を観測できるように設計されていた。
電源は追加の12 Vバッテリー(戦車後部右側弾薬庫を除去して設置)と変圧器(バッテリーの低電圧を高電圧(最大12,000 V(12 kv)程度※)に変換し、装置を駆動)から供給され、戦車のエンジン駆動発電機(400 W出力)で充電可能であった。運用時間はバッテリー容量により制限され、連続使用で数時間程度。電力消費が大きいため、夜間限定運用が推奨された。
暗視装置による索敵(偵察・目標探索)は、主に車長が担い、以下の手順で行われた。
- 準備:エンジン始動で発電機を稼働させ、バッテリー充電。装置をオンにし、サーチライトを低出力でテスト(IR光漏れ防止)。
- スキャン(周囲探索):車長はキューポラ内の回転リングを操作して装置を水平方向(方位角)に手動で回転させ、360度の視野をカバーした。装置はアクティブIR方式のため、サーチライトが赤外線光を照射し、BiWaがその反射光を可視光に変換して車長の視界に映した。これにより、夜間や低視界条件下で最大500-600 m以内の目標(熱源や物体)を検知可能であった。距離は画像サイズで推定(訓練必須)。効果的なスキャンには事前の訓練が不可欠で、車長は砲塔や車体の移動を最小限に抑えつつ、リングの微調整でセクターごとに素早く探索した。
- 目標検知と指示:目標を捕捉したら、車長は装置の視界内で距離と方位を確認し、内部通話や無線で砲手や操縦手に指示を出した。砲手は主砲(7.5 cm KwK L/70)を砲塔旋回機構(油圧モーター駆動、30秒で360度)で向け、精密照準器(S.Z.F.1)で最終調整した。FG 1250自体は主に偵察用で、直接的な射撃照準には使用されず、支援的な役割を果たした。遠距離偵察時には、Sd.Kfz. 251/20「ウーフー(UHU)」装備の大型IRサーチライト(60 cm)と連携し、最大2,500 mまでの目標検知が報告されている。
- 終了後、装置オフで電力節約。運用は原始的で、故障多発(衝撃・熱影響)。
※FG 1250暗視装置のBiWa(Type 126管)は、電子を加速・増幅させるために約12,000 V(12 kV)の高電圧を必要とした。この電圧は、赤外線光子がカソードで電子を励起した後、蛍光画面まで高速で加速させるためのもので、当時の真空管技術では標準的な値であった。低電流(数 mA程度)で動作するため、危険性は低く抑えられていたが、変圧器による変換が不可欠であった。類似のVampir暗視装置でも16,000-17,000 V(16-17 kV)前後が用いられ、FG1250も同系統の技術であった。
運用[編集]
FG 1250は、標準パンターの夜戦能力(視認50 m未満)を劇的に向上させたが、生産遅延と資源不足で50輌程度しか実戦投入されなかった。
1944年9-12月に「Maschinenfabrik Niedersachsen-Hannover」(MNH)※でパンター戦車が改修され、暗視装置が取り付けれた。
※「下ザクセン・ハノーファー機械工場」。下ザクセン(Niedersachsen)はドイツの州名、ハノーファー(Hannover)はその州都の都市名を指し、第二次世界大戦中(特に1943-1945年)にハノーファー近郊で活動した重工業企業で、主にパンターやヤークトパンターの生産を担った。
「夜間猟兵(Nachtjäger)」部隊(=夜戦部隊)に配備されて、1944年末から実戦投入され、主に東部戦線で使用された。西部戦線では散発的であった。
西部戦線ではライン川防衛戦(1944年秋)で初使用され、連合軍の夜間渡河を監視・撃破したがイギリス製IR検知機に発見され損害を被った。
東部戦線では1945年3月のフライデンベルクの戦い(春の目覚め作戦)で最大規模運用され、ソ連T-34戦車を500 m外から撃破する戦果を挙げたが、泥濘地帯での故障多発が課題となった。ゼーロウ高地やベルリン攻防戦(1945年4月)でも散発使用されたが、燃料・弾薬不足で効果は限定的であった。
総じて、夜間機動の優位性を示したが、実戦では東部戦線中心に限定的に使用され、戦局全体への影響は小さかった。
以下は主な運用例。
- ライン川防衛戦(1944年秋、西部戦線): 初実戦投入。パンター数輌がFG 1250で連合軍の夜間渡河を監視・撃破。視認距離400 mでM4シャーマンを複数撃破したが、IR光漏れで米軍砲兵の集中砲火を浴び損害。テスト運用として成功と評価。
- 春の目覚め作戦(1945年3月、ハンガリー、東部戦線): 最大規模の夜間作戦。III Panzer CorpsとIV SS Panzer Corpsの40+輌のIR装備パンターが、ソ連18th Tank Corpsを夜間奇襲。FG 1250でT-34を500 m外から検知・破壊(数十輌撃破報告)。泥濘とソ連の対IR訓練で効果半減したが、ドイツ軍の夜間機動優位を証明。
- ゼーロウ高地/ベルリン攻防戦(1945年4月、東部戦線): 装甲教導師団の少数パンターが使用。ソ連の夜間進撃を阻むが、燃料/弾薬不足で撤退。連合軍報告で「不可視のパンターが夜襲」との証言あり。
- 東部・西部戦線全体(1945年3-4月): 約50輌が散発投入。東部でソ連IS-2を夜間撃破の逸話多しが、西部アーヘン近辺では英軍の対IRで無力化。総戦果は不明瞭で、鹵獲例なし。
典型的な構成ではパンター戦車10輌に対してSd.Kfz. 251/20「UHU」半装軌車両3輌が割り当てられた。これは、1945年2月12日に装甲兵総監の命令により実施された夜間戦闘ユニット「Sperber」(Sparrowhawk)のトライアルで、「総統擲弾兵師団 第101装甲大隊 第1中隊」に配備されたものである。この比率(約3.3:1)は、UHUの大型60 cm IRサーチライトが複数輌のFG 1250装備パンターを遠距離支援(最大2500 m)するための最適化されたもので、3月26日の報告では成功裏に運用されたとされている。
Lösung B[編集]
Pz.Kpfw. Panther Lösung B(英: Panther tank Solution B)は、第二次世界大戦中のドイツの主力中戦車であるパンター戦車(Panzerkampfwagen V Panther)に提案された赤外線夜視装置(IR暗視システム)の代替構成を指す。これは、夜間戦闘能力を強化するための試案の一つで、主に初期型パンター(D型 および A初期型)への適用が想定された。
Lösung Bは、「レーザング ベー」と読み、「解決策 B」の意味である。
概要[編集]
Lösung Bは、標準的なIR暗視システム「Lösung A(英: Solution A)」(車長のみ装備)の限界を克服するための設計である。Lösung Aでは車長のみが暗視能力を持ち、操縦手や砲手は車長の指示に頼る必要があったため、夜間航行や障害物回避に不都合が生じていた。これに対し、Lösung Bでは以下の3箇所に標準的なIRサイトを装備する。
- 車長用:Lösung Aと同様の位置(天蓋キューポラ)。
- 砲手用:砲塔前部の防盾に取り付け、照準器の開口部前方に配置。
- 操縦手用:車体前面のハッチに取り付け。
これにより、主要な乗員全員が独立した夜間視界を確保し、夜間戦闘の効率を向上させることを目的とした。IRサイトは、日中用と夜間用の単眼サイトを組み合わせた二重構造で、既存の双眼サイトを交換することで初期型パンターに適合可能とされた。
歴史的背景[編集]
1943年頃、ドイツ軍は東部戦線での夜間戦闘の必要性から、IR暗視技術の開発を急いだ。パンター戦車は量産初期段階にあり、D型(1943年初頭生産開始)やA型(同年夏生産開始)が主力だったが、これらの型は信頼性に問題を抱え、損耗率が高かった。Lösung Bはこうした初期型への改修を前提としたが、実際の生産や戦場配備は限定的であった。
資料によると、Panzer Regiment 24のベテラン兵士の証言では、IR装置の脆弱性を考慮し、捕獲時の破壊用に手榴弾を固定する運用が報告されている。また、イギリス軍の戦時報告書でもLösung B装備のパンターの目撃情報が散見されるが、写真や詳細な記録は乏しい。図面や設計案は複数存在するものの、G型(1944年以降生産)の後期型で実用化された「FG 1250 Sperber(シュペルバー)」システムが主流となったため、Lösung Bは実験的・試作段階に留まったとされる。
初期型への適用理由として、双眼サイトの狭い間隔がIRサイトの視界を妨げやすい点が挙げられるが、IR装置は日中撤去される運用が一般的だったため、こうした改修の必要性は疑問視されている。G型の安定した生産ラインを活用した方が現実的だったとの見解もある。
真相[編集]
・・・というようなもっともらしい話が、1990年代半ばから2000年代半ば頃まで信じられてきたが、実は全くのでたらめ・誤情報であった。
Solution Bの存在は、1990年代半ばに出版された書籍で広く知られるようになった。特に、Ryton Publicationsの『Panzerkampfwagen Panther』(Bruce Culver & Uwe M. Feist著、1995年発行)と、Concord PublicationsのArmor at Warシリーズ第7006号『Panther』(Thomas Anderson著、Vincent Waiイラスト、1996年発行)が、誤情報の元である。
前者は
「指揮官のキューポラに搭載されたFG 1250「シュペルバー」システムは、1944年後半からパンターに夜間戦闘能力を提供しました。200 W IR サーチライトは最大 600 メートルの目標を照らし、イメージ インテンシファイアを介して緑色がかった可視光に変換されました。しかし、直接見ることができたのは指揮官だけでした。操縦手と砲手は口頭での命令に頼っていましたが、これは広範な訓練を必要とする原始的な方法でした。」
「Solution A の最大の欠点は、指揮官にのみ IR 夜間表示機能を提供することでした。これを克服するために、Solution B は、車長のユニットと並んで、砲手(防盾に取り付けられた)と操縦手(車体前部ポート)に独立したIR 照準器を提案しました。この構成のD型のプロトタイプが存在し、1943年から44年にかけての限定的なフィールドトライアルを示唆しています。」
などのように記述し、
後者のp.63には、パンターD型の3箇所にIRサイトを合成加工したフェイク写真(クレジットはW. Schneider(おそらく架空か偽名))が掲載され、
これらがSolution B神話の火付け役となったが、この写真は粗悪な偽物であることが後の研究で判明した。この写真は、書籍の信頼性を損なう要因となった。
Solution A/Bは、主に戦後の英語圏文献で便宜的に分類された用語である。
当時のドイツ軍文書(Wa Prüf 6の報告など)では具体的なSolution B相当の記述がなく、Solution A(指揮官単独)の拡張アイデアとして散発的に議論された程度であった。1943年中盤のFallingbostelテストでは、Solution Aの限界(操縦手・砲手の夜間視界不足)が指摘され、操縦手用追加IRセット(Fahrgerät 1253)の提案はあったが、これは「空想的な初期案」止まりで、公式図面やプロトタイプ製作の記録はない。
第二次世界大戦当時のドイツ軍において、Solution Bの概念(Panther戦車のIR暗視装置を指揮官・砲手・操縦手の3箇所に独立装備する代替案)が「有効な設計案」として公式に存在したという信頼できる証拠は、現代の軍事史研究でも確認されていない。
現代の軍事史研究では、D型やA型はもちろんのこと、G型やF形への、3か所の暗視装置の搭載や改修や実戦投入は否定されており、Solution Bは存在しなかったと結論づけられている。
1997年8月10日には、グンゼ産業から、「1/35スケール パンターG後期型 赤外線暗視装置付」(G-782)が発売(後に上海DRAGONから再販)されているが、Solution Bを再現しており、もちろん、このような車両は実在しない。
他にも、2018年5月には、DRAGONから以下が発売されているが、同じく実在しない。
- WW.II ドイツ軍 Sd.Kfz.171 パンターG型 初期生産型 赤外線暗視装置付(DR6267NV)
- WW.II ドイツ軍 Sd.Kfz.171 パンターG型 後期型 赤外線暗視装置付(DR6268NV)
- WW.II ドイツ軍 パンターG型 w/鋼製転輪 赤外線暗視装置付(DR6370NV)
- WW.II ドイツ軍 パンターG型 w/ツィメリットコーティング 赤外線暗視装置付(DR6384NV)
これらは、砲手用と操縦手用の暗視装置を取り外すか、架空兵器として楽しめば良い。