日本海軍 駆逐艦 雪風
雪風(ゆきかぜ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦。陽炎型駆逐艦の8番艦である。その数奇な運命と、多くの激戦を生き抜いたことから「奇跡の駆逐艦」「不死鳥の駆逐艦」などと称される。
艦歴[編集]
雪風は1939年9月24日に佐世保海軍工廠で起工され、1940年1月20日に竣工した。竣工後は第二艦隊・第二水雷戦隊・第十六駆逐隊に編入された。
太平洋戦争開戦時には、南方作戦に参加。マレー沖海戦では、戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」の撃沈に貢献した。
1942年、ミッドウェー海戦では空母「加賀」の護衛を担当。加賀沈没後、乗員救助にあたった。ガダルカナル島の戦いにおいては、度々輸送作戦(鼠輸送)に参加し、物資や兵員の輸送に従事した。
1943年、ビスマルク海海戦に参加。この海戦で多くの輸送船と駆逐艦を失う中、雪風は無傷で生還した。また、第三次ソロモン海戦、ブーゲンビル島沖海戦など、ソロモン諸島方面での激戦に参加した。
1944年、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦に参加。特にレイテ沖海戦では、栗田艦隊の一員としてサマール沖海戦を戦い抜いた。この間も、雪風は被弾はするものの致命的な損傷を負うことはほとんどなく、自力航行不能に陥ることもなかった。
1945年、戦艦「大和」以下が参加した天一号作戦に、数少ない護衛艦の一隻として参加。坊ノ岬沖海戦において、大和以下多数の艦艇が沈没する中、雪風は軽微な損傷で生還した。この作戦後、雪風は呉鎮守府に帰投し、終戦まで瀬戸内海に留まった。
終戦後、雪風は復員輸送に従事した。1947年7月6日、雪風は賠償艦として中華民国に引き渡され、「丹陽」(タンヤン)と改名された。中華民国海軍においても、丹陽は老朽化しながらも第一線で運用され続けた。
奇跡の駆逐艦[編集]
雪風は、太平洋戦争中の数々の激戦に参加しながらも、常に軽微な損傷で生還し、沈没することなく終戦を迎えたことで知られる。僚艦が次々と沈没していく中で、雪風だけが生き残るという事例が非常に多かったことから、「強運の艦」「奇跡の駆逐艦」と呼ばれるようになった。その生存率は異常なほど高く、日本海軍の駆逐艦の中でも特異な存在であった。
豆知識[編集]
- 雪風の艦名は、気象現象の「雪の風」に由来する。
- 雪風は、旧日本海軍の艦艇で唯一、終戦まで稼働状態を保ち、かつ賠償艦として他国に引き渡された駆逐艦である。
- 雪風が参加した主な海戦で、自らが沈没を免れただけでなく、艦隊全体が全滅するような状況においても生き残ったことから、一部では「死神」と揶揄されることもあった。
関連項目[編集]
参考書籍[編集]
- 雑誌『丸』編集部編『日本海軍艦艇写真集 駆逐艦』(光人社、1997年)
- 木俣滋郎『日本水雷戦史』(光人社、1986年)
- 渡辺洋二『不死身の駆逐艦 雪風』(光人社NF文庫、2000年)