豊原市

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豊原市(とよはらし)は、樺太庁に唯一存在した市。現在のユジノサハリンスクにあたり、日本最北端の市である。

地理[編集]

  • 東十四条通り → 現ゴーリカヴァ通り(ロシア語表記:Горького。作家「マクシム・ゴーリキー」顕彰)
  • 東十三条通り → 廃道もしくは命名されず。
  • 東十二条通り → 現ラドゥニコーヴァヤ通り(ロシア語表記:родниковая。「ばね」のロシア語訳)、現アジェールナヤ通り(ロシア語表記:озерная。「湖沼」のロシア語訳)、現ジームナヤ通り(ロシア語表記:Зимная。「冬」のロシア語訳)、現バイェーヴァイ・スラーヴィ通り(ロシア語表記:Боевой Славы。「戦闘での栄光」のロシア語訳)
  • 東十一条通り → 現カムサモーリスカヤ通り(ロシア語表記:Комсомольская。「全連邦レーニン共産主義青年同盟『コムソモール』」のロシア語訳)
    • 「カムサモーリスカヤ通り」命名は、ソビエト共産党青年組織コムソモール地域組織40周年を記念し、1965年(昭和40年)6月に実施(それ以前の名称は「パルコーヴァヤ通り(ロシア語表記:Парковая。「公園」のロシア語訳)」)[1]
ファイル:Yuzhno-Sakhalinsk bus MAZ-206 2022-08.tiff
東十一条通り(現カムサモーリスカヤ通り
  • 東十条通り → 現ジリョーナヤ通り(ロシア語表記:Зелёная。「緑」のロシア語訳)、現サドーヴァヤ通り(ロシア語表記:Садовая。「庭園」のロシア語訳)
  • 東九条通り → 現スヴァボードニ通り(ロシア語表記:Свободный。「自由」のロシア語訳)
  • 東八条通り → 現フィズクリトゥールナヤ通り(ロシア語表記:Физкультурная。「体育」のロシア語訳)
  • 東七条通り → 現ミーラ大通り(ロシア語表記:Мира。「平和」のロシア語訳)
    • 「ミーラ大通り」命名は、対ドイツ戦勝20周年を記念し、1965年(昭和40年)5月に実施(それ以前の名称は「プリドゥゴールナヤ通り」。ロシア語表記:Предгорная。「麓の丘」のロシア語訳)[1]
ファイル:Yuzhno-Sakhalinsk overview.jpg
東七条通り(現ミーラ大通り
  • 東四条通り → 現クラースナヤ通り(ロシア語表記:красная。「赤い」のロシア語訳)
  • 東三条通り → 現ダリーンスカヤ通り(ロシア語表記:Долинская。「落合町」ロシア語訳および町名)、現チェーハヴァ通り(ロシア語表記:Чехова。作家「アントン・チェーホフ」顕彰)、現カルサコーフスカヤ通り(ロシア語表記:Корсаковская。「大泊町」ロシア語訳および町名)
  • 東二条通り → 現プーシュキナ通り(ロシア語表記:Пушкина。作家「アレクサンドル・プーシキン」顕彰)
  • 東一条通り → 現アムールスカヤ通り(ロシア語表記:Амурская。「アムール」のロシア語訳および州名)
  • 豊原大通り → 《(東西南北起点である)真岡通り(現サハリーンスカヤ通り)交差点より北方向約4km(東方向より「現リェースナヤ通り(ロシア語表記:Лесная。「森道」のロシア語訳)」がT字路接続するポイント)まで》現レーニナ通り(もしくは「現リェーニナ通り」。ロシア語表記:Ленина。旧ソ連国父ウラジミール・イリイッチ・レーニン」顕彰)、《(東西南北起点である)真岡通り(現サハリーンスカヤ通り)交差点より北方向約4km以北(前述「現リェースナヤ通り」T字路接続ポイント)3km先まで》現ドゥルーブジュィ通り(ロシア語表記:Дружбы。「友情」のロシア語訳)、《(東西南北起点である)真岡通り(現サハリーンスカヤ通り)交差点より北方向約7km以北》現サヴィェーツカヤ通り(ロシア語表記:Советская。「ソビエト」のロシア語訳。前身自治体「旧ウラジミロフカ村」旧市街(豊原市起点より北方向約9km)メインストリートにもあたる)
ファイル:Oodori in Toyohara.JPG
豊原大通り(現レーニナ通り)。(建物左端部分だけ写っている)右端建物は北海道拓殖銀行豊原支店(現サハリン州立美術館)。ほぼ中央に写っているドーム型尖塔が特徴の建物は丸越江戸っ子呉服店豊原本店(後の国営(現在は民営化)海産物缶詰専用スーパー「アキェアーン」ユジノサハリンスク支店 初代店舗建物(後に同地に建て替えた為、建物は現存せず))。
ファイル:Улица Ленина..JPG
豊原大通り(現レーニナ通り)
  • 西一条通り → 現クリューカヴァ通り(ロシア語表記:Крюкова。「現サハリン州執行委員会委員長」「ハバロフスク地方執行委員会副委員」を歴任した「ドゥミトゥリー・ニカラーエヴィッチ・クリューカフ」顕彰))、現グラージュダンスキー通り(ロシア語表記:Гражданский。「市民」のロシア語訳)、現ミターラ・テリーヤ通り(ロシア語表記:Металла Теллия。※ ロシア語訳(もしくは顕彰対象)、調査中)、《L字(の左右反転イメージ)道路 南北道路部分》現ミヂツイーンスカヤ通り(ロシア語表記:Медицинская。「医学」のロシア語訳)。(手書きカラー着色加工がされた「西一条通り(現クリューカヴァ通り)商店街」画像)
    • 「クリューカヴァ通り」命名は、「ユジノサハリンスク開基100周年」「ソ連建国60周年」「(反革命勢力)白軍からの極東地域解放60周年」を祝し、1982年(昭和57年)10月18日に実施(それ以前の名称は「タルゴーヴァヤ通り(ロシア語表記:Торговая。「取引」のロシア語訳)」)[2]
ファイル:Nishiichijo-dori in Toyohara.JPG
西一条通り(現クリューカヴァ通り)
  • 西二条通り → 現ヴァクザーリナヤ通り(ロシア語表記:Вокзальная。「ターミナル駅」のロシア語訳)
  • 西三条通り → 現レチーナイ・ペレウーラク小路(ロシア語表記:Речной переулок。「川沿いの小さな小道」のロシア語訳)
  • 西四条通り → 現ジェリェズナダロージュナヤ通り(ロシア語表記:Железнодорожная。「鉄道」のロシア語訳)
  • 西五条通り → 現ユージュナ・サハリーンスカヤ通り(ロシア語表記:Южно - Сахалинская。「南樺太」のロシア語訳および市名)
  • 西六条通り → 現センチャーブリスカヤ通り(ロシア語表記:Сентябрьская。「9月」のロシア語訳)
  • 西七条通り → 現ザーガラドゥナヤ通り(ロシア語表記:Загородная。「町外れ」のロシア語訳)
  • 西八条通り → 現スチェープナヤ通り(ロシア語表記:Степная。「草原」のロシア語訳)
  • 西九条通り → 現カローデズナヤ通り(ロシア語表記:Колодезная。「鉄道機関区倉庫」のロシア語訳)
  • 西十条通り → 現インヴァールスカヤ通り(ロシア語表記:Январская。「1月」のロシア語訳)
  • 西十一条通り → 現モールスカヤ通り(ロシア語表記:Морская。「海」のロシア語訳)
  • 西十二条通り → 現リャザーンスカヤ通り(ロシア語表記:Рязанская。「リャザン」のロシア語訳および州名)、現ダスタイェーフスカヴァ通り(ロシア語表記:Достоевского。作家「フョードル・ドストエフスキー」顕彰)
  • 西十三条通り → 現ポーチタヴァヤ通り(ロシア語表記:Почтовая。「郵便」のロシア語訳)
  • 西十四条通り → 現リニェーイヌィー通り(ロシア語表記:Линейный。「線形」のロシア語訳)
  • 北十二丁目通り → 現ビェリョーザヴァヤ・ローシシャ通り(ロシア語表記:Березовая роща。「ロシアの白樺」のロシア語訳)
  • 北十一丁目通り → 現ヴィェールフニー通り(ロシア語表記:Верхний。「上」のロシア語訳)、現ストゥライチェーリナヤ通り(ロシア語表記:Строительная。「工事」のロシア語訳)
  • 北十丁目通り → 廃道もしくは命名されず。
  • 北九丁目通り → 現ピアニェールスカヤ通り(ロシア語表記:Пионерская。「ソ連・共産圏少年団『ピオネール』」のロシア語訳)
  • 北八丁目通り → 廃道もしくは命名されず。
  • 北七丁目通り → 現チェーリマナ通り(ロシア語表記:Тельмана。ヴァイマル共和政期のドイツ共産党スターリン主義化して率いた「エルンスト・テールマン」を顕彰)
  • 北六丁目通り → 廃道もしくは命名されず。
  • 北五丁目通り → 現ゴールナヤ通り(ロシア語表記:Горная。「山」のロシア語訳)
  • 北四丁目通り → 現ブマージュナヤ通り(ロシア語表記:Бумажная。「紙」のロシア語訳)
  • 北三丁目通り → 現ファブリーシュナヤ通り(ロシア語表記:Фабричная。「工場」のロシア語訳)
  • 北二丁目通り → 現トゥヴェールスカヤ通り(ロシア語表記:Тверская。「トヴェリ」のロシア語訳および州名・同州都名(首都「モスクワ市」目抜き通りも同一名称))、現サドーヴィー通り(ロシア語表記:Садовый。「公園」のロシア語訳)
  • 北一丁目通り → 現ブリャーンスカヤ通り(ロシア語表記:Брянская。「ブリャンスク」のロシア語訳および州名・同州都名)、現アリェクサーンドゥラ・マトゥローサヴァ通り(ロシア語表記:Александра Матросова。旧ソビエト連邦英雄(「旧ソビエト陸軍シベリア志願旅団第2ライフル大隊」所属)「アレクサンドル・マトヴェビッチ・マトロソフ」顕彰)、現シェーヴェルナヤ通り(ロシア語表記:Северная。「北」のロシア語訳)、現ヴィシュニェーブィー通り(ロシア語表記:Вишневый переурок。「桜の小道」のロシア語訳)、現サドーヴァヤ通り(ロシア語表記:Садовая。「庭園」のロシア語訳)、現ヂェーツカヤ通り(ロシア語表記:Детская。「子供」のロシア語訳)
  • 真岡通り → 現サハリーンスカヤ通り(ロシア語表記:Сахалинская。「樺太」のロシア語訳および州名)
  • 南一丁目通り → 現カルパーツカヤ通り(ロシア語表記:Карпатская。「カルパティア山脈」のロシア語訳)、現ニェベーリスカヤ通り(ロシア語表記:Невельская。帝政ロシア時代の航海者・探検家「ゲンナジー・ネヴェリスコイ」顕彰)、アッリェヤー・サークルィ・イーミャ・ミヤニシ・ユタカ通り(ロシア語表記:Аллея сакуры им Мияниси Ютака。「宮西豊(ユジノサハリンスク名誉市民、同市内日本料理店「ふる里」経営者、作曲家)の桜並木」のロシア語訳(解説HP))
  • 南二丁目通り → 現ラボーチャヤ通り(ロシア語表記:Рабочая。「労働」のロシア語訳)現クリーリスカヤ通り(ロシア語表記:Курильская。「千島列島」のロシア語訳)
  • 南三丁目通り → 現キーエフスカヤ通り(ロシア語表記:Киевская。旧ソ連構成国のひとつ旧ウクライナ・ソビエト社会主義共和国(現ウクライナ)首都「旧キエフ(現キーウ)」のロシア語訳および市名)、現ハバローフスカヤ通り(ロシア語表記:Хабаровская。「ハバロフスク」のロシア語訳および「ハバロフスク地方」中心都市名)
    • 「キーエフスカヤ通り」命名は、ユジノサハリンスク市執行委員会により1957年(昭和32年)5月に実施(それ以前の名称は「ラボーチャヤ通り(ロシア語表記:Рабочая。「働く」のロシア語訳)」)[3]
  • 南四丁目通り → 現シビールスカヤ通り(ロシア語表記:Сибирская。「シベリア」のロシア語訳)、現クルーブナヤ通り(ロシア語表記:Клубная。「社交・親睦団体」のロシア語訳)、現ビブリオーチェシュヌィ通り(ロシア語表記:Библиотечный。「図書館」のロシア語訳)
    • 「シビールスカヤ」命名は、ユジノサハリンスク市執行委員会により1957年(昭和32年)5月に実施(それ以前の名称は「クルーブナイ通り(ロシア語表記:Клубной。「クラブ」のロシア語訳)」)[3]
  • 神社通り → 現クズニェーシュナヤ大通り(ロシア語表記:Кузнечная。「鍛冶屋」のロシア語訳)、現カムニスチーチェスキー大通り(ロシア語表記:Коммунистический。「共産主義者」のロシア語訳)
    • 「クズニェーシュナヤ大通り」命名は、ユジノサハリンスク市執行委員会により1957年(昭和32年)5月に実施[3]
    • 「カムニスチーチェスキー大通り」命名は、1956年(昭和31年)ソ連共産党第20回大会で行われたスターリン批判以降に国内全域で行われたスターリン顕彰刷新の一環として、1961年(昭和36年)11月に実施(それ以前の名称は「スターリングラードスカヤ - イーミェニ・カールラ・マールクサ通り(ロシア語表記:Сталинградская - имени Карла Маркса。スターリン顕彰都市「旧スターリングラード市(現ボルゴグラード市。旧ロシア帝国時代の名称は「ツァリーツィン市」)に資本論著者である思想家カール・マルクスを紐付けし箔付けした造語「カール・マルクス記念スターリングラード」のロシア語訳)」)[4]
  • 南六丁目通り → 現チリグラーフュナヤ通り(ロシア語表記:Телеграфная。「電信」のロシア語訳)、現カールラ・マールクサ通り(ロシア語表記:Карла Маркса。「カール・マルクス」顕彰)、現スパルチーヴヌィ通り(ロシア語表記:Спортивный。「スポーツ」のロシア語訳)
    • 「チリグラーフュナヤ通り」命名は、ユジノサハリンスク市執行委員会により1957年(昭和32年)5月に実施[3]
  • 南七丁目通り → 現トームスカヤ通り(ロシア語表記:Томская。「トムスク」のロシア語訳および州都名)、現アントーナ・ブユークルィ通り(ロシア語表記:Антона Буюклы。樺太の戦い (1945年)古屯要塞(現カラミトグスキー要塞)戦死者「アントン・ブユクリ軍曹」顕彰)
  • 南八丁目通り → 現アサヒーカヴァ通り(ロシア語表記:Асахикава。「旭川」のロシア語訳および市名)、現チッハキェアーンスカヤ通り(ロシア語表記:Тихоокеанская。「太平洋」のロシア語訳)
  • 南九丁目通り → 現イーミェニ・カスマナーフタ・パパーヴィシャ通り(ロシア語表記:имени Космонавта Поповича。ウクライナ系ソ連人初の宇宙飛行士パーヴェル・ポポーヴィチ」顕彰)
    • 「イーミェニ・カスマナーフタ・パパーヴィシャ通り」命名は、1965年(昭和40年)6月6日付でパーヴェル・ポポーヴィチをユジノサハリンスク名誉市民に認定した記念に実施(それ以前の名称は「ザヴォートゥスカヤ通り」。ロシア語表記:Заводскую。「工場」のロシア語訳)[1]
  • 南十丁目通り → 現パビェードゥイ大通り(ロシア語表記:Победы。「幾多の勝利」のロシア語訳)
    • 「パビェードゥイ大通り」命名は、対ドイツ戦勝20周年を記念し、1965年(昭和40年)5月に実施(それ以前の名称は「ユージュナヤ通り」。ロシア語表記:Южная。「南」のロシア語訳)[1]
ファイル:Проспект Победы. Южно-Сахалинск..JPG
南十丁目通り(現パビェードゥイ大通り)
  • 南十一丁目通り → 現サルネーシュヌィー通り(ロシア語表記:Солнечный。「太陽」のロシア語訳)
  • 南十二丁目通り → 現パグラニーシュナヤ通り(ロシア語表記:Пограничная。「国境」のロシア語訳)
  • 南十三丁目通り → 現エミェリヤーナヴァ通り(ロシア語表記:улица Эмельянова。1948年(昭和23年)~1953年(昭和28年)にサハリン地域執行委員会委員長を務めた「アレクサーンドル・オーシパヴィシュ・エミェリヤーナフ」顕彰)
    • 「エミェリヤーナヴァ通り」命名は、「ユジノサハリンスク開基100周年」「ソ連建国60周年」「(反革命勢力)白軍からの極東地域解放60周年」を祝し、1982年(昭和57年)10月18日に実施(それ以前の名称は「ビリョーザヴァヤ通り(ロシア語表記:Березовая。「白樺」のロシア語訳)」)[2]
  • 南十四丁目通り → 現グヴァルヂェーイスカヤ通り(ロシア語表記:Гвардейская。「警備員」のロシア語訳)
    • 「グヴァルヂェーイスカヤ通り」命名は、1954年(昭和29年)1月~1956年(昭和31年)10月の期間内に実施[3]
  • 南十五丁目通り → 現プルカーイェヴァ通り(ロシア語表記:Пуркаева。樺太の戦い (1945年)ソ連軍実戦部隊司令官「マキシム・アレクセェヴィチ・プルカエフ上級大将」顕彰[5]。)
    • 「プルカーイェヴァ通り」命名は、「ユジノサハリンスク開基100周年」「ソ連建国60周年」「(反革命勢力)白軍からの極東地域解放60周年」を祝し、1982年(昭和57年)10月18日に実施(それ以前の名称は「スパルチーヴナヤ通り(ロシア語表記:Спортивная。「スポーツ」のロシア語訳)」)[2]
  • 南十六丁目通り → 廃道もしくは命名されず。
  • 南十七丁目通り → 現エシェーニナ通り(ロシア語表記:Есенина。作家「セルゲイ・エセーニン」顕彰)
  • 南拾八丁目通り → 廃道もしくは命名されず。
  • 南十九丁目通り → 現ヴァリニーシュナヤ通り(ロシア語表記:Больничная。「病気休暇」のロシア語訳)
  • 南二十丁目通り → 現ミターラ・リーチヤ通り(ロシア語表記:Металла Лития。「リチウム金属」のロシア語訳)、現アヴィアツィオーンナヤ通り(ロシア語表記:Авиационная。「航空」のロシア語訳)
  • 南二十一丁目通り → 現インジーニルナヤ通り(ロシア語表記:Инженерная。「技術工学」のロシア語訳)
  • 南二十二丁目通り → 《L字(の左右反転イメージ)道路 南端東西道路部分》現ミヂツイーンスカヤ通り(ロシア語表記:Медицинская。「医学」のロシア語訳)
  • 南二十三丁目通り → 現イゴーリャ・ファルフヂーンナヴァ通り(ロシア語表記:Игоря Фархутдинова。元サハリン州知事(任期中である2003年平成15年8月20日、飛行機墜落により殉職)および元ユジノサハリンスク市長(任期:1991年平成3年)~1995年平成7年))イゴール・ファルクティノフ」顕彰・追悼)、現ジームィ通り(ロシア語表記:Зимы。「冬」のロシア語訳)

脚注[編集]