萩原舞
プロフィール | |
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別名 |
渡邊 紗希 久保 くるみ (共に旧名義) |
愛称 |
まいちぃ マイチィ マイマイ |
生年月日 | 1982年3月22日 |
現年齢 | 43歳 |
出身地 |
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血液型 | AB型 |
公称サイズ(2006年時点) | |
身長 / 体重 | 153 cm / ― kg |
スリーサイズ | 84 - 57 - 84 cm |
ブラのサイズ | E |
活動 | |
デビュー | 2002年 |
ジャンル | グラビア |
モデル内容 | ヌード、水着 |
出演期間 | 2004年 - 2006年, 2008年 |
他の活動 | AV女優 |
その他の記録 | |
元お菓子系アイドル | |
萩原 舞(はぎわら まい、1982年3月22日 - )は、日本のヌードモデル・AV女優。人気お菓子系アイドル出身者として知られる。
身長155cm 、スリーサイズ:B84・W57・H84 、Eカップ。愛称は「まいちぃ」、「マイチィ」、「マイマイ」。萩原舞出演作品の多くに使われる言葉は「みるくる」。
ハロー!プロジェクトのアイドル萩原舞(1996年生まれ)と同姓同名であるが、全くの別人。あちらの「萩原舞」名義が本名であるのに対し、本項の人物の場合は1997年ごろから使い始めた芸名であるため、インタビューに対して「彼女の方が萩原舞歴長いんですよ」と答えたことがある。
略歴[編集]
前歴[編集]
大阪府出身。初めての交際は中学2年生で、処女喪失は中学3年生。
ASAYANオーディション[編集]
中学卒業間近の1997年1月、渡辺 紗希(わたなべ さき、渡邊 紗希)名義[1]でテレビ東京のオーディション番組『ASAYAN』に出演し、東京で行われたヴォーカリストオーディションにてMY LITTLE LOVER「NOW AND THEN 〜失われた時を求めて〜」を歌唱[2]。最終選考にまで残るが[3]、結果は「MAX松浦の判断で該当者なし」となり[4]、デビューには繋がらなかった。この結果に、本人は「納得いきません」と話している[4]。
お菓子系時代[編集]
こうして一旦は芸能への道を絶たれた形となったが、その後、路上スカウトによりグラビアモデルとしての活動を決意。お菓子系雑誌『クリーム』1997年8月号でグラビアデビューを飾った。なお、このときスカウトを行った人物である千堂絵美(後の清水かおり)は以後萩原舞のマネージャー業務を担当することになるが、スカウト当時は自らお菓子系アイドルとしても活動していた異色の存在であった。これについては萩原舞本人も、現役モデルによるスカウトであったことが仕事を受諾した一因と話している。
デビュー最初期はこの千堂マネージャーによって与えられた久保 くるみ(くぼ くるみ)名義で誌面に登場していたが、この芸名を「変だからヤダ」と感じた本人は自ら萩原 舞名義を考案し、改名している[5]。
ファースト写真集で下着越しの陰毛を披露する等、当初から露出には比較的寛容な態度を見せ、春田萌(後の北島優)などと並びお菓子系の人気モデルの一人となった。しかし実際の収入は少なく、生活費を稼ぐためにグラビアでの仕事と並行してコンビニでアルバイトしていることを公言していた[6]。
ヌードモデル時代[編集]
2000年、18歳の誕生日当日に初のヘアヌードグラビアを撮影。『WOoooo!B組』2000年5月号水着グラビアのインタビュー欄にて、本人が「初ヌード」と言及したのがヌードに関する初の公式発表である。「萩原舞初ヌード」のニュースは当時のお菓子系アイドルファンの間で大きな驚きを持って受け入れられ、東京で行われた初のヌード撮影会には発表直後に予約が殺到した。その後数年間で数多くの写真集やイメージビデオを出版するなどヌードモデルとして精力的に活動し、お菓子系時代よりも多くのファンを集めた。
ヌードになった経緯や心情については必ずしも一貫した説明がなされているわけではない。ヌード騒動当時、インターネット上のファンコミュニティにて本人は「水着の次は下着、下着の次はセミヌード、セミヌードの次はヌードと流れが出来ていて、この業界に居るには脱ぐしか無くなってしまった」と語っている[7]。一方、別の機会には「水着や下着の頃は貧乏で、前から18歳になったら収入の多いヌードモデルになるつもりだった」と発言したこともある。また、それと同時に近い時期のアダルトビデオ出演を決心しており、その決意の程を明かしていた[7]が、その後は幾度となく態度を変え、AVデビュー直前になっての出奔や芸能活動引退表明直後の復帰など、長らく逡巡が見られた。
2003年9月30日、バウハウスの専属契約が終了。当時の公式ウェブサイト「マイチィドットネット」(http://www.maichy.net/)も同日付で閉鎖された。
AV女優時代[編集]
2003年11月、ジャパンホームビデオ専属女優としてのAVデビューが発表され[8]、2004年2月にデビュー作『夢より星より太陽より』が発売された。このAVデビューにあたっては萩原舞専用の「みるくる」レーベルが用意され、出演料は一作400万円[9]と異例の厚遇となった。この時期の出演作では男優との本番行為はおろかキスさえも実際には行っておらず、一般映画の「ベッドシーン」に近い手法が取られた。近年の日本では珍しい徹底的なソフトコアAV路線には賛否が分かれた。また、デビューの決断が遅れた事から当時21歳と年齢的には若干のハンディキャップを負っていたが、セールス面ではヌード同様に成功を果たした。AVデビューと同時期に競泳選手の北島康介との交際が写真週刊誌によって報じられたことも話題作りに一役買ったとされる[10]。
「みるくる」レーベルは3作で実質終了となり、半年後の2004年11月からは通常レーベルであるアリスJAPANに移籍。2006年まで新作が継続的にリリースされた[11]。この時期にはキスやフェラチオは実際の行為が行われるようになったが性交はいまだ例外で、後の本人による回想によれば全作を擬似で撮影したという[12]。
2008年7月、雑誌紙面上と本人ブログ[12]にて久々のAV復帰を宣言。ここへきてようやく、芸能活動11年目・26歳にして初となる本番挿入を行っており、9月リリースの復帰第1作での本番は大島丈との1回のみながら「本番解禁」が最大の呼び物とされた。この復帰作のメーカーであるマキシングとは3作契約とされていたが、実際の新作は10月リリースの2作目で途切れており、その後は翌2009年8月に上記2作の総集編がリリースされたにとどまる。総集編リリース時には本人が「今後も発売するものもない」[13]と明言、3作目の所在は不明のままとなった。2009年10月31日に当時の公式サイト「マイチィ・ウェブ」(http://www.maichy.jp/)が閉鎖、同サイトの最終更新時[14]に告知された「お知らせブログ」(http://yaplog.jp/iroiroaruyo)もほどなくして消滅し、実質的な活動休止状態に戻っている。
作品[編集]
イメージビデオ[編集]
- 平成女学園高等部 体力測定編(1999年4月23日、ソフト・オン・デマンド)
- 平成女学園高等部 水泳編(1999年4月23日、ソフト・オン・デマンド)
- 少女みるくる(2001年2月9日、バウハウス) - 初のヘアヌードビデオ
- みるくるの秘密(2001年3月9日、バウハウス)
- なんてったって、舞ちゃん。(2001年4月7日、バウハウス)
- みるくる伝説(2001年4月28日、バウハウス)
- PLATONIC LOVE(2002年3月22日、バウハウス)
- みるくる2002表バージョン(2002年11月20日、バウハウス)
- みるくる2002裏バージョン(2002年11月20日、バウハウス)
- b*LIVE(2003年5月25日、バウハウス)
- 4人にマワされた萩原舞(2003年7月27日、バウハウス)
- みるくるリターンズ(2003年9月26日、バウハウス)
- みるくるマニア(2003年11月27日、バウハウス)
アダルトビデオ[編集]
- 夢より星より太陽より (2004年2月27日、みるくる(ジャパンホームビデオ))※AVデビュー作
- マイチィ・リップス (2004年3月26日、みるくる)
- 愛をかけてください 完全版 (2004年5月28日、みるくる)
- 嬲られ姫 (2004年11月19日、アリスJAPAN(ジャパンホームビデオ))
- アリスJAPAN 2005 (2004年12月17日、アリスJAPAN)
- 女尻 (2004年12月24日、アリスJAPAN)
- 姦理人は女子校生 (2005年2月18日、アリスJAPAN)
- LOVE TEENS (2005年2月18日、アリスJAPAN)
- Juicy Love (2005年3月18日、アリスJAPAN)
- 奴隷飼育M~囚われのナース~ (2005年4月22日、アリスJAPAN)
- 萩原舞スペシャル (2005年5月25日、サクセス・ビデオコミュニティー)
- 女尻CLIMAX2005 (2005年5月27日、アリスJAPAN)
- 逆ソープ天国 萩原舞 (2005年6月24日、アリスJAPAN)
- Kiss to Kiss 萩原舞 (2005年7月22日、アリスJAPAN)
- SWEET LONELY SISTER 萩原舞 (2005年7月23日、アリスJAPAN)
- 絶頂ルート69 萩原舞 (2005年10月21日、アリスJAPAN)
- 萩原舞スペシャル2 (2005年10月26日、サクセス・ビデオコミュニティー)
- 猥褻モデル (2005年11月18日、アリスJAPAN)
- 白液姫~しろえきひめ~ 荻原舞 (2005年12月16日、アリスJAPAN)
- アリスJAPAN2006 (2005年12月30日、アリスJAPAN)
- ももいろの園 萩原舞 (2006年1月20日、アリスJAPAN) - 共演:早乙女みなき、白河みゆり
- マイチィの痴女日記 萩原舞 (2006年2月17日、アリスJAPAN)
- 悶絶セレナーデ 萩原舞 (2006年3月17日、アリスJAPAN)
- 逆ソープ天国貸切スペシャル2006 (2006年5月26日、アリスJAPAN)
- 萩原舞スペシャル3 (2006年7月28日、サクセス・ビデオコミュニティー)
- アリスJAPAN 2007 (2006年12月15日、アリスJAPAN)
- COMPLETE FUCK 萩原舞 (2006年12月22日、アリスJAPAN)
- COMPLETE FUCK 萩原舞 2 (2007年4月27日、アリスJAPAN)
- アリスピンクファイル あの新基準モザイクで魅せる! (2007年6月29日、アリスJAPAN)
- 解禁 (2008年9月16日、マキシング)
- 偶像破壊 淫絶FUCK! (2008年10月19日、マキシング)
- 萩原舞コレクション (2009年8月13日、マキシング)
書籍[編集]
写真集[編集]
- 乳白色の放課後(みるくいろのほうかご)(1998年3月5日、バウハウス) - 15歳時のファースト写真集
- TENNYO 2(2000年7月15日、宮澤正明撮影、英知出版) - 初のヘアヌード写真集
- Maichy(2000年11月29日、宮澤正明撮影、英知出版)
- I・舞・Me 萩原舞ファイナル写真集(2001年3月22日、吉田裕之撮影、英知出版)
- LOVE&PEACH(2001年12月8日、諏訪稔撮影、バウハウス)
- a*LIVE(2003年4月25日、諏訪稔撮影、バウハウス)
- ザ・撮影現場 ~夢より星より太陽より~(2004年2月12日、みるくるプロジェクト撮影、バウハウス) - AVデビューと並行して撮影された写真集
ムック[編集]
- みるくるLOVE 2000~2002(2002年10月6日、モリユタカ・諏訪稔・横山こうじ・吉田裕之撮影、バウハウス)
- 肌花HA☆DA☆KA(2002年7月20日、少年M・少年A・少年I撮影、英知出版)
- みるくるLOVE2003(2003年5月22日、榎本荘三・大友一生・諏訪稔・西郡友典・横山こうじ撮影、バウハウス)
- みるくるLOVEプレミアム(2003年9月24日、バウハウス)
- LOVE♀FUCK♂(2004年6月1日、バウハウス)
デジタル写真集[編集]
- EROSTASY vol.10 萩原舞(2003年6月、横山こうじ撮影、バウハウス)
- EROSTASY vol.16 萩原舞(2003年7月、横山こうじ撮影、バウハウス)
- デカマンポスパワー・萩原舞(2003年11月、吉田裕之撮影、バウハウス)
- デカマンポスパワー・萩原舞2(2003年11月、大友一生撮影、バウハウス)
カレンダー[編集]
- 2005萩原舞カレンダー(TRY-X)
脚注[編集]
- ↑ この名義は現在の芸名になってからの1998年にも『BUBKA』1998年8月号や『ヤングマガジンSPECIAL』誌上にて使っている。
- ↑ “ウォーカルオーディション 今週のスタジオオーディション出演者”. ASAYAN. asayan.com (1997年1月19日). 2025年8月26日確認。
- ↑ “ウォーカルオーディション 松木真理子・益田祐里・渡辺紗希の3人です!”. ASAYAN. asayan.com (1997年1月19日). 2025年8月26日確認。
- ↑ a b “ウォーカルオーディション”. ASAYAN. asayan.com (1997年2月2日). 2025年8月26日確認。
- ↑ 萩原舞 (2005年12月6日). “11月30日のコメントのお返事”. マイチィブログ. マイチィ・ウェブ. 2025年8月26日確認。
- ↑ ただし、収入を理由とする説明はヌード以後の回想で明かしたものであり、当時は「金銭感覚を養う」ことを理由に挙げていた。
- ↑ a b “萩原舞ちゃんついにヌード!”. 美少女探検会議室. Cream Unoffical HomePage (2000年4月8日). 2001年1月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年8月26日確認。
- ↑ 飛鳥浩 (2003年12月10日). “3ヶ月先から大騒ぎ! 萩原舞AVデビュー”. [アダルトビデオ]All About. オールアバウト. 2025年8月26日確認。
- ↑ ““マイチィ”萩原舞がAVに転身した「みるくる」事情”. Mr.Showbiz (2004年6月17日). 2025年8月26日確認。
- ↑ “五輪・北島、意外な“金効果”で萩原舞が大人気 AV異例の「予約」まで”. ZAKZAK. 産経デジタル (2004年8月21日). 2025年8月26日確認。
- ↑ 旧作映像の総集編リリースを含めると2007年まで続いている。
- ↑ a b 萩原舞 (2008年7月18日). “AV発売”. マイチィブログ. マイチィ・ウェブ. 2008年7月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年8月26日確認。
- ↑ 萩原舞 (2009年7月16日). “久しぶりの更新”. マイチィブログ. マイチィ・ウェブ. 2025年8月26日確認。
- ↑ 萩原舞 (2009年8月30日). “ここのサイト”. マイチィブログ. マイチィ・ウェブ. 2025年8月24日確認。