小島為政

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小島為政(こじま ためまさ、1830年--1900年3月9日)は幕末の新選組の支援者で新選組局長の近藤勇の義兄弟である。元の名は小島鹿之助である。

概要[編集]

武州多摩郡小野路村(現在の東京都町田市小野路町)に生まれる。父は小島角左衛門、母は小島きくで小島為政は長男であった。小島家の歴史は古く、南北朝時代の児島貴徳に始まるとされる。寄場名主の家系である。小島為政は国学漢学の造詣が深く、和歌狂歌、漢籍、能書であり、剣術馬術弓術などの武芸もたしなむ。18才の時に寄場名主の籍を父から継承する。小島家19代当主の小島為政は天然理心流3代近藤周助の門人となりその高弟になった。近藤勇とは義兄弟となり、近藤勇は小野路村に剣術の出稽古に訪れ、小島家の屋敷内道場で近隣の若者に剣術を教えていた。小島為政は近藤勇に漢学を教授したとされる[1]日野宿で寄場名主を務める親戚筋の佐藤彦五郎とも剣術を通じて交流した。小島家の当主は代々日記を書き残す習慣があり、86年間の日記が残る。1900年3月9日、死去、享年71。

業績[編集]

高幡不動尊にある石碑「殉節両雄之碑」の建立に尽力した。[2]。また新選組関連の膨大な資料を整理解読した。小島為政が残した史料をもとに子孫の23代当主小島宗市郎が1968年11月に「小島資料館」を開館した。旧多摩郡小野路村の名主の小島家の文書や、近世の地方文書、書籍、歴史資料などを収蔵するほか、近藤勇からの手紙や沖田総司年賀状・近藤勇稽古着・新選組墨印を保存し、展示する。資料館の収蔵品は 東京都指定有形文化財(平成5年3月指定)となる。

参考文献[編集]

  1. 小島政孝(1990)『新選組余話』小島資料館
  2. 佐藤あきら(1972)『聞きがき新選組』KADOKAWA(新人物往来社)