京浜東北線車両故障事故

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京浜東北線車両故障事故
日付2005年 (平成17年) 3月23日
時間9時30分頃
場所JR東日本京浜東北線蒲田大森駅間
死者0人
負傷者0人

京浜東北線車両故障事故(けいひんとうほくせんしゃりょうこしょうじこ)とは、JR東日本京浜東北線蒲田大森駅間で発生した車両故障事故である。

概要[編集]

JR東日本川崎変電所で、京浜東北線への饋電線の高速度遮断器が作動し、一時的に京浜東北線全線が運行不可能になった。

調査の結果、蒲田大森間で京浜東北線北行電車が走行中、配線ショートを起こした事が原因と判明。

停電の復旧を行ったが、該当編成(209系 10連)は電動車比率が4M6Tと低かったため、1ユニットカット状態(実質2M8T)では自力走行不可能であった。救援編成を向かわせたが、折からの雨で線路の粘着特性が悪化しており、救援編成までもが一時空転で起動不可能に陥った。

この為、乗客は動かない電車内に2時間以上にわたって閉じ込められる事になったが、降雨中の3月下旬とは言え車内の乗車率は100%を割っているものの立ち席が出る程度の混雑状況で、車内の不快指数は急速に跳ね上がった。照明は停電復旧と同時に点灯したものの、故障ユニットの電気系統が完全に使用不可能の為、1ユニット分のサービス電源設備だけでは容量が不足する為空調を使用することが出来ず、さらに該当形式は受動換気装置を持たず、窓も固定式のため、車内の居住環境は極度に悪化した。

この結果、乗客に体調不良を訴える者が続出し、6人が救急搬送され、20人が車掌室から車外に降りた。さらに、救援再開の後の蒲田駅到着後、10人が救急搬送された。

発生当初偶発的な停電事故と発表されていたが、後にメディアの乗客へのインタビューにより、蒲田駅発車時に既に3号車(故障ユニットの1両)から爆発のような異音が発生していた事が判明し、車両故障が主たる原因である事が判明した。

該当形式は『重量半分・価格半分・寿命半分』をキャッチフレーズに開発された車両であった。このうち『寿命半分』とは、通常従来型の車両で13~20年毎に行われる更新修繕を行わず、廃車として部材を資源としてリサイクルする事で、より技術的に進歩した車両を導入するという意味であったが、その耐用寿命にさしかかっていたこの時期、酷使を強いられる京浜東北線ではこれ以前から車両故障を頻発させていた。元々『寿命半分』のコンセプトが誤解され、「モハ63系[1]以来の粗製濫造電車」「走ルンです[2]」等と揶揄されていたが、車両故障の頻発はそれを裏付ける事になってしまい、この事故はそれを決定的なものにしてしまい、JR東日本に批判が集中する事になった。事故発生区間が東海道緩行線区間だったことも、モハ63系が大惨事を起こした桜木町事故とラップさせる事になった。当時、品川~田端間を併走する山手線電車は国鉄設計の205系を使用していたが、こちらは209系より約10年古い(山手線の205系は昭和60年新製開始の最若番グループであった)にもかかわらず、該当形式ほどには車両故障は多くなく、また6M5T組成である事から1ユニットカットが発生しても自走可能であった事から、殊更クローズアップされる事になった。また、JRは牽引力上は電車10連を救援可能な機関車を保有しているにもかかわらず、ブレーキ指令系統の問題から機関車での救援が出来ないという点も迅速な救援活動の妨げとなる要因になった。

また該当形式に限らず、JR東日本は、新製費圧縮、車体劣化の抑制、冷暖房効率の改善の、3つの観点から、冷房装備の新製車両は原則固定窓で、換気装置も受動式5~6基から電動式2基へと変更していたが、この事故で通勤型電車が電動車故障によって換気が出来なくなる構造は問題があるとされ、固定窓で新製された、209系、E501系E231系の既製造分を、急遽分割式の下降窓に改造し、増備途上であったE231系の新製分は当初より1段下降窓に変更された。なお、この固定窓も桜木町事故で被害を拡大する原因となったモハ63系の中段固定の3段窓を連想させ、209系の(ひいては、(国鉄設計の205系を除いた)JR東日本の新製通勤車全体の)イメージをさらに悪化させた。

機関車での救援が出来ない点に関しては特に対策はされなかったが、後に廃車209系の甲種回送の為、同社が保有する、EF64形EF81形のそれぞれ一部に、MON型統合モニタ装置搭載の電気指令式ブレーキ装備車の牽引に対応する装備が取り付けられた。

また209系0番台の京浜東北線撤退が予定を前倒しして行われる事になり、状態のいい電動車ユニットを選別して川越線鶴見線などの103系および113系の淘汰に転用された他は、なお一部線区で主力として活躍している205系の取替え配転は行われず、京浜東北線向け製造グループの大多数が205系に先んじて廃車となった。

なお、本件発生以前の段階で、209系500番台以降、『寿命半分』のコンセプトは見直され、従来通り必要に応じて更新修繕を行う形態に戻されている。

脚注[編集]

出典[編集]

  1. 所謂「戦争に勝つまでもてばいい」という思想に基づいた粗製・短寿命の「戦時設計車」である。
  2. 富士フイルムのレンズ付フィルム「写ルンです」になぞらえたもの。この製品は当初、「使い捨てカメラ」と呼ばれていた事から。

外部リンク[編集]

鉄道での事件・事故
国内
海外
関連項目 鉄道事故の一覧 - 鉄道事件の一覧