ジョン・ハーシェル・グレン

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ジョン・ハーシェル・グレン・ジュニア(英語: John Herschel Glenn Jr., 1921年7月18日 - 2016年12月8日)は、アメリカ合衆国の海兵隊パイロット宇宙飛行士政治家宇宙空間を周回した初のアメリカ人である。

経歴[編集]

ジョン・グレンは、オハイオ州ケンブリッジでジョン・ハーシェル・グレン・シニアとクララ・テレサ・スプロットの間に生まれた。幼少期をニューコンマーで過ごし、ニューコンマー高校を卒業した。マウント・ユニオン大学に進学し、航空工学を学んだ。

軍歴[編集]

第二次世界大戦が勃発すると、グレンは1942年アメリカ陸軍航空隊の航空カデットプログラムに志願した。しかし、採用を待つ間にアメリカ海軍航空隊への入隊を申請し、1942年3月に採用された。テキサス州コーパスクリスティ海軍航空基地で飛行訓練を受け、1943年アメリカ海兵隊に入隊した。

グレンは第二次世界大戦中、F4Uコルセアのパイロットとして太平洋戦線で59回の戦闘ミッションを遂行した。朝鮮戦争では、F-86F セイバーのパイロットとしてMiG戦闘機との交戦も経験し、3機のMiG-15を撃墜した。この功績により、殊勲飛行十字章など数々の勲章を受章した。

戦後は、アメリカ海軍テストパイロット学校を卒業し、テストパイロットとして活躍した。1957年には、超音速ジェット機でアメリカ大陸横断飛行を初めて行った。

宇宙飛行士[編集]

1959年、グレンはマーキュリー計画の初の宇宙飛行士グループである「マーキュリー・セブン」の一人に選ばれた。宇宙飛行士としての厳しい訓練を受け、1962年2月20日マーキュリー・アトラス6号に搭乗し、「フレンドシップ7」と名付けられたカプセルで地球を3周した。これは、アメリカ人として初の地球周回飛行であり、宇宙開発競争においてソ連に続く大きな成果であった。

グレンは国民的英雄となり、ジョン・F・ケネディ大統領から表彰を受けた。その後、1964年にNASAを引退し、政治の世界へと転身した。

政治家[編集]

1964年、グレンはオハイオ州からアメリカ合衆国上院議員選挙に立候補したが、負傷のため撤退した。1974年に再度立候補し、当選を果たした。以来、1999年まで24年間にわたり上院議員を務めた。

上院議員としては、政府運営委員会、軍事委員会、情報特別委員会などで活躍し、特に核拡散防止条約の推進や、高齢者問題、教育問題に尽力した。

1998年、77歳でSTS-95に搭乗し、スペースシャトル「ディスカバリー」で2度目の宇宙飛行を行った。これは、当時史上最高齢の宇宙飛行士としての記録であり、高齢者の宇宙空間における生理学的影響を研究する目的もあった。

1999年に上院議員を引退。引退後は、ジョン・グレン公共サービス学校オハイオ州立大学内)の設立に尽力するなど、公共サービスへの貢献を続けた。

私生活[編集]

グレンは高校時代からの恋人であったアンナ・マーガレット・キャストールと1943年に結婚し、生涯を添い遂げた。2人の子供がいた。

死去[編集]

ジョン・グレンは2016年12月8日、オハイオ州コロンバスのジェームズがん病院で、95歳で死去した。

栄典・受賞歴[編集]

豆知識[編集]

  • ジョン・グレンは、グレート・アメリカン・バディ・システムと呼ばれる、宇宙飛行士の訓練中に互いを支え合うシステムを提唱した一人であった。
  • 彼は宇宙飛行後も非常に健康で、高年齢での宇宙飛行も医学的に可能であることを示した。
  • 彼の名前を冠した空港や学校が複数存在する。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • Glenn, John. John Glenn: A Memoir. Bantam, 1999. ISBN 978-0553112141
  • Swenson, Loyd S., Jr., James M. Grimwood, and Charles C. Alexander. This New Ocean: A History of Project Mercury. NASA SP-4201, 1966.
  • Kranz, Gene. Failure Is Not an Option: Mission Control from Mercury to Apollo 13 and Beyond. Simon & Schuster, 2000. ISBN 978-0743200790