チャンスヴォート F4U コルセア

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

F4U コルセア(F4U Corsair)は、第二次世界大戦期にアメリカ合衆国のチャンス・ヴォート(Chance Vought)社が開発し、主にアメリカ海軍およびアメリカ海兵隊で運用された単座レシプロエンジン艦上戦闘機である。その特徴的な逆ガル翼と強力な武装、そして高い性能により、太平洋戦域において連合軍の主力戦闘機の一つとして活躍した。

開発[編集]

F4Uの開発は、1938年にアメリカ海軍が「F4F ワイルドキャット」の後継となる新型艦上戦闘機の開発要求を発出したことに始まる。この要求は、高い最大速度、優れた上昇性能、そして強力な武装を兼ね備えた機体を目指すものであった。

チャンス・ヴォート社のレックス・B・バイゼル率いる設計チームは、当時利用可能だった最強のエンジンであるプラット・アンド・ホイットニー R-2800 ダブルワスプ(Pratt & Whitney R-2800 Double Wasp)を搭載することを決定した。このエンジンの巨大な出力は、必然的に大きなプロペラ直径を要求した。しかし、通常の前方配置の主翼では、プロペラが着艦時に甲板に接触する恐れがあった。この問題を解決するため、バイゼルは「逆ガル翼」という独創的な設計を採用した。この翼形により、主脚を短く保ちながらプロペラの地上クリアランスを確保することができた。また、この翼は空力的に優れており、高速性能にも寄与した。

最初の試作機であるXF4U-1は、1940年5月29日に初飛行を行った。しかし、開発は順調に進んだわけではなく、初期のテストではエンジンの過熱、着艦時の視界不良、着陸装置の強度不足など、様々な問題が露呈した。特に、機首が長く視界が遮られる問題は、空母での着艦運用において大きな課題となった。

設計[編集]

F4Uは、全長10.16 m、全幅12.50 mの比較的大きな機体であり、その強力なR-2800エンジンは2,000馬力以上の出力を誇った。武装は当初、主翼に機銃が集中配置されており、初期生産型では主翼両側に12.7mm機関銃が合計6挺装備された。後期型では、20mm機関砲が採用されるモデルも登場した。

特徴的な逆ガル翼は、主脚の長さを短縮しつつ、大型プロペラのクリアランスを確保するために考案されたものであった。この翼はまた、翼根部に燃料タンクを内蔵するスペースを確保し、航続距離の延伸にも貢献した。コクピットは後方に配置され、当初は視界の悪さが指摘されたが、これは後に座席の位置を上げることで改善された。

運用[編集]

F4Uは、その高い性能から「ウィスリング・デス」(Whistling Death:唸る死神)や「コルセア」(Corsair:海賊)の愛称で親しまれた。しかし、その強力な性能と引き換えに、初期の機体は操縦が難しく、特に空母での着艦は熟練したパイロットでも困難を伴った。このため、アメリカ海軍では当初、F4Uを陸上基地からの運用に限定し、空母への配備を見送った。

イギリス海軍航空隊は、早くからF4Uの可能性に着目し、1943年からF4Uを導入した。イギリス海軍では、短距離着艦技術の改良や着陸装置の改修などを行い、F4Uを空母で運用するノウハウを確立した。このイギリス海軍の経験が、後にアメリカ海軍がF4Uを空母に本格配備する上で重要な役割を果たした。

F4Uが最も活躍したのは太平洋戦争の戦場であった。零戦をはじめとする大日本帝国海軍の航空機に対して、F4Uは高速、重武装、そして堅牢な構造という利点を生かし、優れた戦闘能力を発揮した。特に、高高度での戦闘や急降下攻撃においてその優位性は顕著であった。F4Uは、対戦闘機戦闘だけでなく、対地攻撃対艦攻撃にも多用され、多様な任務で連合軍の勝利に貢献した。

第二次世界大戦後も、F4Uは朝鮮戦争においてジェット機時代の過渡期にF-86MiG-15といったジェット戦闘機と共に対地攻撃機として活躍した。特に、優れた低速安定性と重武装は、地上支援任務において高く評価された。F4Uは、1960年代までいくつかの国で運用され、最終的には1964年にホンジュラス空軍で退役した。

派生型[編集]

F4Uは、その長い運用期間中に数多くの派生型が開発された。

  • XF4U-1:最初の試作機。
  • F4U-1:初期生産型。鳥かご型のキャノピーを持つ。
    • F4U-1A:パイロットの視界改善のため、座席位置が上げられ、キャノピーが改良された型。
    • F4U-1C:武装を20mm機関砲4門に変更した型。
    • F4U-1D:爆弾やロケット弾の搭載能力を強化した戦闘爆撃機型。
  • F4U-4:エンジンを強化し、性能向上を図った型。後期生産型の主力となった。
  • F4U-5:さらにエンジンを強化し、寒冷地での運用を考慮した型。
  • AU-1:朝鮮戦争で開発された地上攻撃専門型。重武装と装甲が施された。
  • F4U-7フランス海軍向けに開発された最終生産型。

豆知識[編集]

  • F4Uの設計は非常に堅牢であったため、しばしば胴体着陸してもパイロットが無事であったという逸話が残っています。
  • 逆ガル翼は、その独特な形状から「カモメの翼」と評されることもありました。
  • F4Uが空母での運用が困難であったことから、一部のパイロットからは「アンウィルド・バード」(Unwieldy Bird:扱いにくい鳥)と揶揄されることもありました。しかし、その真価が発揮されると、畏敬の念をもって見られるようになりました。
  • 生産はチャンス・ヴォート社だけでなく、グッドイヤー・エアクラフト社(FGシリーズ)やブルースター・エアロノーティカル社(F3Aシリーズ)でも行われました。

関連項目[編集]

参考書籍[編集]

  • 飯田義雄『世界の傑作機 No.20 F4Uコルセア』文林堂、1990年。
  • 岡部いさく『図解 戦闘機』新紀元社、2007年。
  • スティーブン・ハーディング『太平洋航空戦記』大日本絵画、1992年。