エストニア国鉄
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種類 | 株式会社(国有) |
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略称 | EVR |
本社所在地 |
![]() タリン |
設立 | 1992年 |
業種 | 運輸業 |
事業内容 | 鉄道事業 |
代表者 | カイド・ジンメルマン |
営業利益 | 4億1740万ユーロ(2022年) |
従業員数 | 676人(2022年) |
所有者 | エストニア政府 |
主要株主 | エストニア政府 |
外部リンク | https://www.evr.ee/et/ |
エストニア国鉄(エストア語:Eesti Raudtee)とはエストニア最大のインフラ運営会社である。民営化が試みられたのち、エストニア政府が同社を買収(当時は旅客輸送、貨物輸送も含まれていた。)し、それ以来100%国有化された。
歴史[編集]
始まり[編集]
現在のエストニアにおける最初の鉄道路線は1870年にロシア帝国のバルチック鉄道によってパルディスキ-タリン-タパ-ナルヴァ間が開業した。同年、現在のロシア領のペトログラード付近のムガまで延長され、サンクトペテルブルク=ワルシャワ鉄道に接続した。この路線は不凍港のパルディスキとタリンをロシア内陸部からつなぐ重要な役割があった。両港はその後数年間で大幅な成長を遂げ、穀物輸送で重要性を増した。
1876年にタパとタルトゥ間で2番目の鉄道が開通し1887年にはラトビア国境のヴァルガまで延長された。この路線は1889年に開通するプスコフ=ヴァルガ=リガ線と接続することになる。1905年にはケイラからハープサルなでの別の路線の建設を取得した。また、貨物支線も建設された。1893年にバルチック鉄道はプスコフ=リガ鉄道を合併し、サンクトペテルブルク=ワルシャワ鉄道と合併して北西鉄道が設立され国有化された。(ロシア帝国国鉄)
エストニアでは広軌(1524mm)路線に加えて、軌間750mmの狭軌鉄道が建設され、その最初の区間は1896年に開業したヴァルガとペルヌ間で開通した。1897年にはムイサキュラからヴィリャンディへの接続が続き、1901年までにはタリンまで延長された。
第一次世界大戦中はロシア帝国軍は補給を改善するために、タパからタルトゥまでの路線をパイデから先タムサルまで延した。1917年のアルビオン作戦でエストニアのヒーイウマー島とサーレマー島を占領するとドイツ帝国軍は、のちに軌間600mmのローマッサーレからクレッサーレ、オリッサーレまで至る狭軌鉄道を建設した。
エストニア国鉄(戦間期)[編集]
1918年にエストニアが独立すると、既存の鉄道会社からエストニアの国有鉄道会社であるエストニア国鉄(EVR)が設立された。EVRは広軌線約650km、狭軌線約340kmを引き継いだ。ラトビアやリトアニアと異なりエストニアは戦争による鉄道への被害が少なかった。そのためEVRは鉄道網の近代化と拡張を迅速に行うことができた。
しかし広軌ネットワークはタルトゥからペツェリまでの路線のみ拡張され、これは1931年に完成した。タルトゥからヴィリャンディとペルヌを経てリーシペレまでの路線の計画があったが、資金不足により凍結した。1924年タリン-パースキュラ間が直流1500Vで電化された。これはエストニア初の電化路線であり、バルト三国初の電化路線であった。これのため、EVRはEVR・M系電車を4両発注した。車両群の多くは蒸気機関車によって拡大されたが、引き継がれた約130両のロシア製機関車は徹底的に更新工事を受けた。また、EVRはKk形蒸気機関車とMtk形蒸気機関車の新車を10両発注した。1939年にDR62形蒸気機関車をベースに設計されたKk2形蒸気機関車が4両発注されるはずだったが、戦争により納入が困難になり、のちにVRグループに売却された。
戦後老朽化していた狭軌鉄道網は大幅に拡張され、近代化と新路線の開通が行われた。タリン-ペヌル間で狭軌鉄道用に寝台車が導入された。それの牽引用に1935年以降、EVR・DeM形ディーゼル機関車が導入された。この機関車は750mm軌間の鉄道として時速102kmを記録し世界新速度記録を樹立した。
1940年時点で1447kmの鉄道網を運営しており、うち772kmは広軌、675kmは狭軌だった。1940年にソ連がエストニアを併合した際、EVRはソビエト鉄道(СЖД)に編入された。
1992年以降のエストニア国鉄[編集]
エストニアがソ連から独立したのち、1992年1月1日にエストニア国鉄(EVR)として再設立され、エストニアの鉄道の運営が委託された。鉄道路線だけでなくソ連製の機関車や貨車、客車が引き継がれた。その後すぐにAS Go Group(国際輸送)、南西鉄道(沿岸地域の輸送)、エルロン(タリン通勤鉄道)、EVR(貨物輸送、内陸地域輸送)に分割された。
2001年にEVRの株式の66%がバルト・レール・サービス(BRS)に5800万ドルで買収された。民間の管理下で多くのアメリカ製の中古機関車が輸入された。2007年にEVRは国有化された。
組織[編集]
エストニアの鉄道システムの現在の構造は、南西鉄道がタリン=ヴィリャンディ線のインフラ運営者であり、EVRが他の路線を運営するというものである。 Elektriraudtee (2013年以降はElron)は国内全域、EVR Ekspress (Go Railに改称)はロシアへの国境を越えた旅客輸送を全て運営している。Operailは、 2009年にEVRが設立した子会社EVR Cargoから、2012年に分離独立し、貨物輸送サービスを行っている。 EVRは現在、鉄道インフラ会社としてのみ運営されている。
外部リンク[編集]
- [公式サイト https://www.evr.ee/et/]