エカチェリーナ1世
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エカチェリーナ1世(露:Екатерина I)とは、ロマノフ朝・ロシア帝国の2代目皇帝。
生涯[編集]
奴隷から皇后へ[編集]
1684年4月15日、リトアニアの騎士の娘として生まれる。当初の名前はマルタ・エレナ・スカヴロンスカヤであった。1700年に大北方戦争が始まると、リトアニアはロシアとスウェーデンの戦闘に巻き込まれた。マルタはロシアの将軍メーンシコフの捕虜となり、洗濯婦(事実上の性奴隷)としての生活を送った。また、この頃エカチェリーナに改名した。
飛び抜けて美しいわけでは無かったが明るく利発なエカチェリーナはロシア皇帝ピョートル1世に見初められ、メーンシコフは彼女を皇帝に献上した。2人は1707年に秘密結婚し、5年後に正式に結婚した。ピョートルは激昂しやすい性格だったが、エカチェリーナは彼を宥めることができたという。彼らの間には多くの子供が生まれたが、無事に育ったのはアンナ(ピョートル3世の母)とエリザヴェータの2人の娘だけだった。
皇帝に即位[編集]
1725年2月にピョートル1世が後継者を定めないまま崩御すると、自身の影響力拡大を目論むメーンシコフ将軍は元老院を恐喝して従わせ、エカチェリーナを新皇帝に擁立した。彼女の治世下では清朝とのキャフタ条約締結など一定の外交政策はあったものの、実権はメーンシコフが握っていた。1727年5月6日、酒乱による体調不良で崩御。享年43。エカチェリーナ1世は娘のエリザヴェータに帝位を継がせようと考えていたが、結局ピョートル1世と前妻エヴドキヤの孫ピョートル2世が即位した。