アンナ (ロシア皇帝)
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アンナ(露:Анна)とは、ロマノフ朝・ロシア帝国の4代目皇帝。
1693年2月7日、ロシアのツァーリイヴァン5世の4女として生まれる。1710年、ドイツの貴族クールラント公と結婚するが、1年も経たず夫が急死したため未亡人となった。1730年、ロシア皇帝ピョートル2世が若くして病没。後継者はピョートル1世の実娘であるエリザヴェータが有力と見られたが、保守派が強い影響力を持つ元老院は改革派のピョートル1世を嫌い、代打としてアンナを皇帝に担ぎ出した。こうしてドイツから呼び戻されたアンナだったが、政治はドイツから連れてきた寵臣に丸投げし、自身は毎日遊興に耽った。ベッドに寝転んでサーカスを鑑賞する絵画も残っている。アンナの治世下でピョートル1世以来の西欧化政策は次々と覆され、重税の取り立てや綱紀の弛緩により人々の反発が強まった。やがて従姉妹のエリザヴェータの人気が増してくると、アンナは彼女の排除を目論むが果たせず、1740年10月28日に崩御した。享年47。後継者には大甥で当時生後6ヶ月のイヴァン6世を指名した。