アメリカ海軍戦艦ウェスト・ヴァージニア (BB-48)
BB-48 ウェスト・ヴァージニア(USS West Virginia, BB-48)は、アメリカ海軍のコロラド級戦艦の4番艦である。艦名はウェストバージニア州に因む。
艦歴[編集]
ウェスト・ヴァージニアは、バージニア州のニューポート・ニューズ造船所で建造された。1920年12月29日に起工、1923年12月17日に進水し、1923年12月1日に大尉トーマス・J・カービー指揮下で就役した。
就役後、ウェスト・ヴァージニアは太平洋艦隊に配属され、主にハワイ州の真珠湾を母港として活動した。艦隊演習や訓練に参加し、太平洋におけるアメリカのプレゼンスを示した。
真珠湾攻撃[編集]
1941年12月7日、真珠湾攻撃においてウェスト・ヴァージニアは「戦艦列」に係留されていた。この攻撃でウェスト・ヴァージニアは帝国海軍の航空機による魚雷7本と爆弾2発の直撃を受け、大破着底した。攻撃の結果、乗員106名が死亡した。艦長であったマービン・S・ベニオン大佐は重傷を負いながらも、最後まで指揮を執り続け、後に名誉勲章を追贈された。
浮揚と修理[編集]
真珠湾攻撃後、ウェスト・ヴァージニアは大規模な被害を受けていたものの、浮揚作業が開始された。1942年5月17日に浮揚に成功し、応急修理のため真珠湾海軍造船所にドック入りした。その後、本格的な修理と近代化のため、ワシントン州ブレマートンのピュージェット・サウンド海軍造船所へ回航された。
太平洋戦線での活躍[編集]
大規模な改装と修理を終えたウェスト・ヴァージニアは、1944年7月に再就役した。改装によって、レーダー、対空兵装が大幅に強化され、その外観も大きく変化した。
再就役後、ウェスト・ヴァージニアは太平洋戦争の終盤において重要な役割を果たした。レイテ沖海戦では、スリガオ海峡夜戦に参加し、日本の戦艦「山城」および「扶桑」などと交戦した。この海戦は、戦艦同士が交戦した最後の夜戦として知られる。
その後も、硫黄島の戦い、沖縄戦などの上陸作戦において、艦砲射撃による火力支援を行った。終戦時には、東京湾に入港し、降伏文書調印式にも立ち会った。
戦後[編集]
第二次世界大戦終結後、ウェスト・ヴァージニアはマジック・カーペット作戦に参加し、復員兵の輸送任務に従事した。1946年1月にワシントン州のブレマートン海軍基地に到着し、1947年1月9日に退役した。その後、太平洋予備艦隊に編入されたが、再就役することはなく、1959年3月1日に海軍船籍簿から抹消された。最終的に1959年8月24日にスクラップとして売却された。
豆知識[編集]
- 真珠湾攻撃で大破着底したウェスト・ヴァージニアだが、その後の修理と近代化により、全く異なる艦容へと変貌した。まるで別の艦になったようだと評されることもあった。
- スリガオ海峡夜戦では、レーダー射撃により旧式戦艦ながらも日本の戦艦に対して有効な攻撃を行った。これは、技術の進歩が海戦の戦術に大きな影響を与えたことを示す一例である。