雲龍型航空母艦
雲龍型航空母艦(うんりゅうがたこうくうぼかん)は、大日本帝国海軍が太平洋戦争中に建造した航空母艦の艦級である。翔鶴型航空母艦をベースに、より簡略化された設計が採用され、戦時急造を念頭に置いた量産型空母として計画された。最終的に16隻の建造が計画されたが、戦局の悪化により多くが未成に終わり、航空母艦として竣工したのは「雲龍」、「天城」、「葛城」の3隻のみであった。
概要[編集]
雲龍型航空母艦は、ミッドウェー海戦で失われた4隻の正規空母の補充と、増大する航空兵力に対する需要を満たすために計画された戦時標準船型の空母である。当初は改マル5計画において、より大型のG15計画航空母艦(改大鳳型航空母艦)の量産が検討されたが、建造期間とコストの問題から断念された。そこで、高い完成度を持つ翔鶴型航空母艦の設計をベースに、資材の節約と建造期間の短縮を目的とした簡略化が行われることになった。
主な簡略化点としては、エレベーターの数を2基に削減、格納庫の縮小、船体構造の簡素化などが挙げられる。これにより、建造期間は翔鶴型と比較して大幅に短縮され、資材も節約された。また、機関は駆逐艦「陽炎型」のものを採用し、量産性を高めている。武装面では、12.7cm連装高角砲と多数の25mm三連装機銃を搭載し、対空防御を重視した。
しかし、戦局の悪化により、資材や熟練工の不足が深刻化し、計画された全ての艦が完成することはなかった。竣工した3隻も、燃料不足や航空機不足のため、本来の空母としての能力を発揮する機会はほとんどなく、いずれも1944年から1945年にかけて失われるか、終戦を迎えている。
建造[編集]
雲龍型は、16隻の建造が計画されたが、最終的に起工されたのは6隻に留まった。
残りの3隻は、戦局の悪化に伴い建造中止または空母以外の艦種への変更が検討された。
その他、マル急計画で計画された10隻は、全て建造中止となっている。
同型艦[編集]
豆知識[編集]
- 雲龍型の設計は、翔鶴型をベースとしながらも、同時期の駆逐艦の機関を流用するなど、徹底した量産化が図られたんだ。これは、戦時下の厳しい資材・工員不足の中で、いかに短期間で航空母艦を揃えるかという日本海軍の苦肉の策だったんだよ。
- 雲龍型の艦名は、日本の古来からの「龍」にちなんだものが多く、縁起の良い艦名がつけられたんだ。しかし、その多くは未成に終わり、竣工した艦も過酷な運命を辿ったんだね。
- 竣工した3隻のうち、最後まで残ったのは葛城だけだったんだ。葛城は戦後、日本本土への復員輸送に従事し、多くの兵士を故郷に送り届けたんだよ。