長門型戦艦
ナビゲーションに移動
検索に移動
長門型戦艦(ながとがたせんかん)は、大日本帝国海軍が第一次世界大戦後に建造した超弩級戦艦の艦級である。戦艦「長門」と「陸奥」の2隻が建造された。
概要[編集]
ワシントン海軍軍縮条約締結以前に計画・建造された最後の戦艦であり、「ビッグセブン」と総称される16インチ(40cm)級主砲を搭載した最初期の戦艦群の一角を占める。特にその速力は当時としては驚異的な26.5ノットを発揮し、世界の海軍に大きな影響を与えた。
長門型戦艦は、八八艦隊計画の中核を担う艦として設計された。従来の戦艦と比較して、主砲の大口径化と高速化が図られ、防御力も強化された。特に主砲には、当時としては世界最大級の41cm砲が採用され、その攻撃力は絶大であった。
両艦は太平洋戦争開戦時には旧式化しつつあったものの、その強力な武装と堅牢な防御力から、連合艦隊の主力艦として運用された。長門は大和型戦艦の就役まで連合艦隊旗艦を務め、その威容は日本国民の象徴でもあった。
建造[編集]
主な改装[編集]
長門型戦艦は、その運用期間中に数度の改装が行われた。
- 第一次近代化改装(1920年代後半):主に艦橋構造物の大型化、高角砲の増設など。
- 第二次近代化改装(1930年代前半):主機換装による速力向上、魚雷防御区画の強化、対空兵装の増強など。この改装により、煙突が1本にまとめられ、外観が大きく変化した。
戦歴[編集]
両艦は太平洋戦争開戦時、真珠湾攻撃には参加せず、日本本土に待機した。
- 長門:
豆知識[編集]
- 長門型戦艦は、その均整の取れた美しい艦容から「日本の誇り」と称された。
- 「長門」は、太平洋戦争を生き残った唯一の主力艦(戦艦・空母)として知られている。
- 「陸奥」の沈没事故は、当時の日本海軍にとって大きな衝撃であり、様々な憶測を呼んだ。