酒保商人
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酒保商人(しゅほしょうにん)は、軍隊に随行したり、駐屯地や野営地の近くで店を開いたりして、兵士に食料・飲料・日用品などを販売した民間の商人。英語ではsutlerという[1]。
概要[編集]
軍からの支給品を補い、兵士の日常生活に必要な品や嗜好品を販売する役割を担った。取り扱う品には、食料や酒類のほか、タバコ、菓子、衣類、裁縫用の針やボタンなどがあった[2]。
軍隊の移動に合わせて営業する必要があり、仮設の売店を設けることもあった。一方、駐屯地では建物を使って店を営む例も見られた[3][2]。
歴史[編集]
ヨーロッパ[編集]
三十年戦争当時のヨーロッパでは、司令官の許可を受けた商人が軍隊に同行し、食料や酒類、衣類などの生活物資を販売していた。高値での販売に対する兵士の反感や、給料の遅配に伴う商人の離脱といった問題もあった[4]。
アメリカ[編集]
アメリカ独立戦争では、軍の許可を受けた商人が食料、コーヒー、石鹸、酒類などを兵士に販売した。軍に同行する女性たちの中にも、こうした商売を営む者がいた[5]。
19世紀のアメリカ陸軍では、許可を受けた商人が駐屯地などで売店を経営し、軍の規則や監督に従った。フォート・スコットの例では、将校からなる会議が販売価格を定め、兵士への掛け売りは月給の半分までとされた。また、兵士への強い蒸留酒の販売も禁じられていた[2]。
日本[編集]
日本の例としては、日露戦争中に酒保商人となった堤清六が挙げられる。堤は歩兵第30連隊に従って満洲や樺太へ渡った[6]。
作品での描写[編集]
ベルトルト・ブレヒトの戯曲『肝っ玉おっ母とその子どもたち』では、酒保商人の女性アンナ・フィーアリングが主人公となっている。戦争で子どもたちを失いながらも、生活のために軍隊を追い続ける姿が描かれる[7]。
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ↑ Fort Larned's Sutlers' Complex、アメリカ合衆国国立公園局。
- ↑ a b c Post Sutler-Historical Background、アメリカ合衆国国立公園局、フォート・スコット国定史跡。
- ↑ Suttling Booth, 1808 (c)、英国国立陸軍博物館。
- ↑ Bernhard R. Kroener(1998年)Lebensverhältnisse und Organisationsstruktur der militärischen Gesellschaft während des Dreißigjährigen Krieges、Internet-Portal “Westfälische Geschichte”。
- ↑ Liberty Exhibit Big Idea 4: A Women's War、アメリカ独立革命博物館。
- ↑ 堤清六、埼玉大学学術情報リポジトリ収録資料。
- ↑ 広報ななお 平成29年6月号「第6回能登演劇堂ロングラン公演 無名塾 肝っ玉おっ母と子供たち」、七尾市。