蒲田温泉

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蒲田温泉(かまたおんせん)は、東京都大田区蒲田に在る銭湯である[1]。黒い色の湯の温泉であ[1]

概要[編集]

宴会場サウナも併設されており、銭湯としては若者客も多い[1]。宴会場では生ビールや料理の提供も行われており、居酒屋のような利用方法もされている[1]。銭湯に宴会場が併設されているのは、京浜工業地帯羽田空港に近いといった立地的な理由もある[1]

東京都から「黒湯の温泉」と認定されている[1]。認定第1号は六郷温泉(大田区)で、蒲田温泉は認定第2号であるが、六郷温泉が閉館済であるためい蒲田温泉が最古の認定店となっている[1]

大田区の天然温泉は蒲田温泉に限らず湯が黒いのだが、蒲田温泉の黒さは区内でもトップクラスである[2]。湯温は日によっては摂氏50度近くになることもある[2]

蒲田温泉食堂[編集]

蒲田温泉食堂(かまたおんせんしょくどう)は、2階に在る食堂。温泉釜めしが看板メニューとなっている[2]

歴史[編集]

1937年(昭和12年)に開業。創業者はもともとは宮大工の棟梁をやっていた人物であり、「月日の湯」という名称の銭湯を他でも営業していた[1]。そのため開業当初の名称は「蒲田温泉 月日の湯」であった[1]。他の「月日の湯」が閉業していったため、最後に残った「蒲田温泉 月日の湯」を「蒲田温泉」に改称している[1]

もともと温泉を掘削しようとしていたわけではなく、井戸水の掘削をしたところ温泉が湧きだした[1]

開業当初は、京浜電気鉄道(現・京浜急行電鉄本線雑色駅と京浜蒲田駅(現・京急蒲田駅)の間にあった出村駅が最寄り駅であり、出村駅周辺に映画館があったこともあって、この地域は賑わっていた[1]。なお、出村駅は戦災被害のため1945年に休止となり、再開することなく1949年に廃止となっている。蒲田温泉の前の車道は路面に色も異なり、沿道には店も多く、出村駅があったころの名残となっている[1]

1986年(昭和61年)に1年かけて建て替えを行う[1]。当時の日本では各家庭で風呂を設置するようになった時代でもあり、日本各地で銭湯が潰れはじめた時代でもあった[1]。建て替え費用3億円は利息8~9%の借金であった[1]。しかし、蒲田温泉はこの建て替え工事で設置した宴会場が当りとなる。100人定員の宴会場は、平日も運営されていたが、特に土日ともなると満席になり、ビール大瓶7ケースが1日で売れることもあった[1]。当時の日本は「一億総中流時代」と言われる、バブル経済が終わる前の最も経済が調子のいい時期でもあった[1]。蒲田温泉の宴会場のヒットを真似るかたちで、蒲田の銭湯は宴会場を併設するようになった[1]

1989年(平成元年)には大田市場が開業し、大田市場で働く人たちの中には、蒲田温泉の朝10時の営業開始から夕方まで寝ていったり、深夜0時まで蒲田温泉で寝ていた人が深夜2時、3時から大田市場で働き始めるといったこともあった[1]

脚注[編集]

  1. a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 大北栄人 (2024年5月30日). “【蒲田温泉】昭和の人々がカラオケに沸いた「宴会場」は時代を映す鏡だった”. ジモコロ. 2026年7月25日確認。
  2. a b c 「東京が誇る二大温泉街 蒲田&戸越へ」、『旅の手帖』2025年12月号、交通新聞社、2025年、 42頁。

外部リンク[編集]