荏柄天神社
荏柄天神社(えがらてんじんしゃ)は、神奈川県鎌倉市荏柄に鎮座する神社である。学問の神として知られる菅原道真を祀り、天神信仰における重要な社の一つに数えられる。鎌倉五山の東方に位置し、鎌倉の歴史と文化に深く根ざした神社として知られている。
由緒[編集]
荏柄天神社の創建は、平安時代中期の承平年間(931年 - 938年)に遡ると伝えられる。当時、京都の北野天満宮から勧請され、菅原道真公の御霊を祀ったのが始まりとされる。文献によっては天喜元年(1053年)に源頼義が奥州征討の際、戦勝を祈願したとの記述も見られるが、一般的には承平年間の創建が有力視されている。
鎌倉時代に入ると、源頼朝が鎌倉幕府を開いた際、荏柄天神社を鬼門の方角に位置する鎮守として崇敬した。頼朝は社殿を改築し、また社領を寄進するなど、手厚く保護したとされる。この頃から、鎌倉幕府の歴代将軍や御家人からも篤い信仰を集めるようになり、鎌倉の守護神としての地位を確立していった。
特に、学問の神としての信仰は、鎌倉時代の武家社会においても重んじられ、子弟の学業成就や出世を願う人々からの崇敬を集めた。室町時代以降も、足利氏などの有力武将や、江戸時代には徳川氏の信仰も厚く、社殿の修造や寄進が度々行われた。
祭神[編集]
- 菅原道真公(すがわら の みちざね こう)
祭神である菅原道真は、平安時代の学者、漢詩人、政治家である。昌泰2年(899年)に右大臣となるなど、朝廷の要職を歴任したが、延喜元年(901年)に藤原時平の讒言により大宰府へ左遷され、延喜3年(903年)に同地で没した。死後、京都では落雷などの異変が相次ぎ、これらが道真の怨霊によるものと恐れられ、鎮魂のために北野天満宮などが建立された。その後、道真は学問の神、書道の神、雷の神として信仰されるようになり、全国に天満宮や天神社が建立された。荏柄天神社もその一つであり、鎌倉における天神信仰の中心地としての役割を担っている。
境内[編集]
境内には、学問の神を祀る社らしく、多くの筆塚や硯塚が建立されている。また、梅の木が多く植えられており、春には美しい梅の花が咲き誇る。これは、菅原道真が梅をこよなく愛したことに由来する。
- 本殿:現在の本殿は、江戸時代中期に再建されたもので、流造の建築様式を持つ。素木造りの簡素ながらも荘厳な佇まいを見せる。
- 拝殿:本殿の手前に位置し、参拝者が祈願を行う場所である。
- 絵筆塚:漫画家で日本漫画家協会初代理事長の近藤日出造の発案により、1967年(昭和42年)に建立された。毎年4月25日の例大祭に合わせて「絵筆塚祭」が執り行われ、多くの漫画家やイラストレーターが参列し、絵筆の供養と画業の精進を祈願する。手塚治虫、石ノ森章太郎、長谷川町子など、著名な漫画家の名前が刻まれていることでも知られる。
- かっぱ筆塚:2000年(平成12年)に、清水崑の代表作である「かっぱ」のイラストが彫られた「かっぱ筆塚」が建立された。
- 漫画の碑:絵筆塚のそばには、漫画文化の発展に寄与した先人たちを顕彰する「漫画の碑」も建立されている。
- 梅園:境内には、紅梅、白梅など約100本の梅の木が植えられており、2月から3月にかけて見頃を迎える。
例祭と年中行事[編集]
- 例大祭(4月25日):荏柄天神社の最も重要な祭礼である。祭典では、神職による祝詞奏上や玉串奉奠が行われ、学業成就や国家安寧、五穀豊穣などが祈願される。この日には絵筆塚祭も同時に執り行われるため、多くの漫画関係者や参拝者で賑わう。
- 筆供養:絵筆塚祭において行われる。使い古した筆や絵の具などを供養し、画業への感謝と精進を誓う。
- 初天神(1月25日):毎月25日は「天神さんの日」として縁日が開かれるが、特に1月の25日は「初天神」と呼ばれ、多くの参拝者が訪れる。学業成就を願う受験生やその保護者で賑わう。
- 七五三:11月に行われる七五三詣りには、健やかな成長を願う多くの家族連れが訪れる。
文化財[編集]
荏柄天神社には、鎌倉時代の絵巻物である「天神縁起絵巻」が伝わっていたとされているが、現存しない。しかし、関連する美術品や古文書などが境内に保管されており、貴重な文化財として大切にされている。