船越昌
船越 昌(ふなこし あきら、1931年11月24日[1] - 2021年)は、丹波地域の郷土史家、小説家[2]。キリスト教(無教会)の独立伝道者、船越書店経営[1]。
経歴[編集]
兵庫県氷上郡春日町多田(現・丹波市多田)生まれ[3]。高等小学校を出た後、農業のかたわら、炭坑夫や人夫を長年にわたってしてきた。9歳の時に母が亡くなり、引き続いて兄と姉が亡くなり、19歳の時に父が亡くなった。22歳の時に結婚した最初の妻は自殺した[4]。再婚した妻との間に生まれた長男が脳性小児麻痺だったことに苦しみ、酒と囲碁に溺れるが、愛農会の小谷純一の講演を聴いて回心した。次に生まれた長女は健康だったが、次女はまた脳性小児麻痺だった[5]。長男は早くに亡くなった[6]。逵原ミレイ(しあわせの宮宮司)によると、船越は「愛農会の講習にくる迄は酒呑みの荒んだ生活をしていた。それを何とか真人間にしてもらえないかと、家族から小谷先生の所へ送り込まれてきた――それが先生の1ケ月の聖書研究会ですっかり改心した」という[7]。1970年時点で国鉄福知山線黒井駅前で書店を経営。信仰に入って10年余りで、愛農会の小谷純一、無教会派の高橋三郎の教えを受けている[6]。
1970年2月に回心記ともいうべき著書『新しい天地を望みて』(船越書店)をタイプ印刷で刊行した[6][8]。タイトルは石原兵永の『清教徒』(山本書店、1963年)からヒントを得ている[6]。『新しい天地を望みて』は朝日新聞の記事になるなど注目を集め、1971年6月に全面的に書き改めた『ひたむきに愛を求めて』(主婦の友社)を刊行した[8]。三浦綾子が序文を執筆した[7]。その後、書店を経営するかたわら、郷土史の研究と郷土文学の創作に従事[9]。半どんの会同人[10]。文芸誌『旅と湯と風』に所属[3]。1980年に氷上郡混声合唱団の組曲「丹波」作詞[3]。1980年1月に半どんの会現代芸術文学賞受賞[3]。
『ひたむきに愛を求めて』における重度脳性麻痺の2人の子供を育てた記録を読んだ友人が部落差別について話したのがきっかけとなって部落史に関心を持ち、1976年に『被差別部落形成史の研究――畿内における一向一揆の関連のなかで』(部落解放研究所)を刊行した。豊臣政権が一向一揆に参加した人々を荒田開発や新田開発に投じて封じ込めたことが被差別部落の形成につながったと主張し[11]、真宗に関する部落史研究が注目されるきっかけとなった[12]。部落の起源を一向一揆に求める船越昌、石尾芳久、寺木伸明らの学説は「一向一揆起源説」(一向一揆起源論)と呼ばれる。その後の研究により、実証根拠を失ったとされるが、部落と一向一揆の関係自体は重要な論点であるとされる[12]。
丹波市の広報「たんば」令和3年5月20日号(第199号)に同姓同名の人物が89歳で亡くなったことが記載されている[13]。2023年4月29日付の丹波新聞に故・船越昌が作った「丹波市の詩(うた)」に丹波市出身のアマチュア作曲家・大菅道信が曲を付けた作品をプロの歌手や演奏家が披露するイベントの案内が掲載された[14]。
著書[編集]
- 『新しい天地を望みて――苦悩と思索と恩恵の回想』(船越書店、1970年)
- 『ひたむきに愛を求めて』(主婦の友社、1971年)
- 『鳥ケ岳――丹波ヨブの生涯』(主婦の友社、1972年)
- 『丹波戦国史――黒井城を中心として』(青田確次、村上完二、青木俊夫共著、歴史図書社、1973年)
- 『被差別部落形成史の研究――畿内における一向一揆の関連のなかで』(部落解放研究所、1976年)
- 『暁に涙は燃える――歴史小説』(神戸新聞出版センター、1979年)
- 『愛の甦る時』(神戸新聞出版センター、1982年)
- 『丹波達身寺――木彫仏像の原郷』(文、細見克郎写真、保育社、1984年)
- 『いのち晃く』(文芸社、2010年)
出典[編集]
- ↑ a b キリスト教年鑑編集部編『キリスト教年鑑 第28巻(1985年版)』キリスト教新聞社、1985年、698頁
- ↑ 上杉聰、寺木伸明、中尾健次著、解放新聞社編『部落史を読みなおす――部落の起源と中世被差別民の系譜』解放出版社、1992年
- ↑ a b c d 船越昌『愛の甦る時』神戸新聞出版センター、1982年
- ↑ 『主婦の友』第55巻第10号(通巻663号)、1971年9月
- ↑ 「本天沼から」『聖書の日本』第421号、1971年8月
- ↑ a b c d 「西荻通信」『聖書の言』第415号、1970年5月
- ↑ a b 逵原ミレイ『ひらがな神社のカタカナ宮司――ある社の記録』しあわせの家出版部、1993年、133頁
- ↑ a b 「船越昌著『ひたむきに愛を求めて』」『聖書の言』第429号、1971年7月
- ↑ 船越昌・文、細見克郎・写真『丹波達身寺――木彫仏像の原郷』保育社、1984年
- ↑ 青田確次、村上完二、青木俊夫、船越昌『丹波戦国史――黒井城を中心として』歴史図書社、1973年
- ↑ 船越昌「報告 一向一揆と被差別部落の起源」『現代の理論』第13巻第10号(通巻153号)、1976年10月
- ↑ a b 藤原豊「第12回全国部落史研究交流会 (上)」部落解放・人権研究所、2006年10月13日
- ↑ 広報「たんば」令和3年5月20日号(第199号)(PDF)
- ↑ ご当地ソングと筝曲によるマチネ 丹波新聞、2023年4月29日